/過去は現在にある。その人が誰かは、その人が何をしてきたかで決まる。だから、過去こそが人間の本質だ。未来を売り渡し、喰い潰すのではなく、明日の喜びを今日の楽しみにし、自分に自由を切り開こう。/

 アウグスティヌスは言った、過去は現在にこそある、と。過去は、過去においては、そのときどきに過ぎ去っていく現在にすぎなかった。ところが、それは、この今の現在において、もはやけっして動かしがたい事実として結実し、実在し続けている。ウソをついて世間を一時はごまかせたとしても、いずれはかならず発覚する。そして、そのときは、ウソをついた、という過去も、絶対に消しがたい過去となって、あなたにへばりつく。

 たとえば、隣の部屋から、こちらの部屋へ移ったとして、隣の部屋はもう無くなった、などと誰が思うだろうか。昨日から今日になったところで同じこと。昨日は、今日の隣に厳然としてある。それがわからないのは、また明日、次の隣の部屋へ移ることばかり考えているから。しかし、そう考えたところで、今日も、昨日も、無くなりはしない。それどころか、ときには昨日こそが、あなたの明日を無いものにしてしまう。

 言ってみれば、長い登りエスカレーターを上っているようなもの。本人は前ばかり見ているから、後は無くなったかのように思う。だが、上にいて、あなたに出会う人は、あなたがどこから来て、なにをしてきたのか、あなたの背後にひったりと重なって見える。後が見えないのは、本人だけだ。

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