誰かを、何かを、支援する時、人はどんな動機で行為に移るのでしょうか。

学費に困っている学生さんと、そんな学生をつなぐサイト。
学費支援プラットフォームとしてstudygiftが立ちあがったのは5月17日のことでした。

それから1週間余り。賛同や批判の声がネット上を席巻しました。

「炎上マーケティング狙っていない」--studygiftに集まる賛同と批判の声(cnet.japan)
studygiftはなぜ暴走したか 「説明不足」では済まされない疑念、その中身 (1/2)(ねとラボ)


本件に限らず…
僕は、直接相手を批判するのであれば、批判対象の事柄の当事者(関係者)であるか、または、批判の反論にもお付き合い(コミット)するほどの時間投入をする覚悟を持つべきだ、という姿勢です(感想を述べる、程度なら全然構わないかと)。
ですので、本件そのものに対しとくに何か物申したい!というき、というわけではありません。
最後にも述べますが、studygiftについては、「サイトを見て、支援したいと思った人がすればいい(僕はしないけど)」以上の感情をもちませんでしたし。


一方、本件を見て、世の中で行われている様々な寄付活動を思い出しながら…

「なぜ人は、支援したいと思い、そして実際に、寄付などの形で支援行為をするのだろう?」
「支援するとき、自分にはどんな気持ちが根底にあるだろう?」

そんなことを考えたくなりました。


そして。支援するときというのは、

「困り方への共感」×「つながりたい感」

が、ある一定ラインを超えたときじゃないかなあ、と思いました。


「困り方」というのは、何に困っているか、とか、支援することに実効性があるかどうか、などのことで、そのポイントに対し共感出来れば、支援したいと言う気持ちは高まるのではないか、ということになります。

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