何人かの政治家という方と直接お話をさせていただいたこともある。大学の教授の方々とも、難しいテーマで議論をさせてもらったこともある。その度に、疑問に思う。みなさん、ひとりひとりは、こんな立派なのに・・・その先生方が集まって始めることは、なぜ、あんなにヘボいのか?

東日本大震災でわかったことがある。政治家、官僚、東電・・・日本のエリートの方々は、集まっていても、あまり役に立たないのではないかという現実。「先生方」が、各々の「先生方」を、「先生」呼ばわりする組織では、危機管理能力なんて存在しなかったという、日本というシステムの恐ろしい現実である。


サンデー毎日の4月24日号で、「街場の原発論」と題して内田樹さんがこのように指摘されている。「エリート達は、受験秀才です。彼らの仕事は、正解を答えることであり、誤答を嫌います。誤答をするくらいなら、黙っている。でも、危機というのは、資源がない、情報がない、人員がない、時間がない。という状況のことです。そのような状況下で、最適判断を求められると、受験秀才はフリーズしてしまう。」「このように判断したことには十分な根拠があるという条件が整うまで、秀才は何もしない。その間に、もっとも貴重な資源である時間は、不可逆的に失われてしまう」。このような人達に、日本の管理運営を委ねるようなシステムを採用してきたことに警鐘を鳴らされている。


その道の秀才は、畑の違う分野には、同じような秀才が居ると信じている。だから、お互いが「先生」と謙遜し合う。秀才だから、自分を全知全能だと言ったりはしない。賢くて変に傲慢じゃないから、その得意分野だけの智慧を出そうとする。


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