3月11日、あの大震災の日から、私の妻(45才)は、メディアへの態度を大きく変えた。東日本大震災が新聞の凋落にトドメを刺した。そう確信する。

私の妻は、毎日、真面目に新聞を読む古いタイプの人間である。新聞の凋落が叫ばれていても、妻は、なんとなく続けて購読するのだろうと考えていた。

しかしである・・・びっくりすることが、ここ一週間で起こっていた。リビングに、開かれない新聞がつんどくされているのだ。何故、読まないかと質問すると・・・。大震災のニュースをテレビで追いかけて、並行してネットとケータイでいろいろと情報チェックしていたら、新聞を読む気になれなかったと答えた。実は、こういう家庭が日本に増産されたのが、この一週間ではなかっただろうか。

ネットに次々にアップされる鮮度の高い情報。テレビでは、ライブの映像が流される。その2つをチェックしていたら、翌日届く新聞の情報は、確認作業程度にしかならない。ネットからの情報取得に疎かった奥様や高齢者の多くが、目覚めたのではないかと思う。これって新聞社にとって史上最大級の激震じゃないだろうか。

人間にとって、刻々と変わる情報を手に入れる欲求と快感は、大きい。その快感を知ってしまったら、新聞には戻れないだろう。そういう快感に酔いしれる人達は、東京電力や政府の対応に、さらにじれる。その「鮮度のない」言葉や仕草に、イライラするようになる。

「時間」が情報の価値を決定することへの絶対的な体感こそ、情報革命の本質である。アフリカや中東の民主革命を新しいメディアが推し進めたように・・・今回の東日本大震災の一連の報道は、日本のメディアの主役交代を完全に成したと言っても過言ではない。


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