阪神・淡路大震災のとき、全くの素人で、ボランティアに伺ったときの経験談が、これから「人の役に立ちたい」と考える方のご参考になれば。

かつて被災者の立場だった西宮市議会議員今村岳司氏のブログも紹介します。

僕は阪神・淡路大震災のとき(当時大学4年生)、ボランティアで東京から現地にかけつけ、1ヶ月弱滞在しました。

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そのときの自らの感情変化や経験を元にしつつ…
「かつて被災者、今部外者」の立場から記事をしたため、ネット上で話題になっている、西宮市議会議員今村岳司氏のブログを引用しながら、被災地支援において大切な姿勢について述べます。
※今村氏のブログ
http://xdl.jp/diary/#20110313


以下、◆ではじまる箇所は、上記ブログより引用となります。
注)一部実際のブログとは順番が前後します。



1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき僕は、東京の一人暮らしのアパートにいました。不精な学生生活を送っていたため、起きたのは昼前…つけたTVで、大変なことが起きていることを知りました。

「助けたい」「なんとかしたい」

瞬間的に起きた感情はこれです。

だから、感情に任せてボランティアに向かう人たちの良心を否定するわけではありません(もちろん)。
しかし、「助けたい」という自分になることで自分の気持ちを満たすこと以上に、本当に、本当に、相手を想う気持ちがあれば、「相手に何ができるか」を瞬間的に考えられる自分でいられるはずです。
思いもかけない出来事で飛び出た右脳的感覚を、左脳が抑制する、とでもいいますか。

「自分ひとりがいっても無力である。
行くと、自分ひとり分の食事を奪うことになる。」

はっきりと、はっきりと、瞬時でそう思ったを覚えています。


まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。

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