〜高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ〜
1980年〜90年台にかけての日本経済のバブルが膨れ上がって破裂前後の頃の、筆者のドロドロの商社マン生活の実体験をベースに、小説化しました。 今も昔も変わらない営業マンの経験する予想を超えた苦楽物語を、特に若手営業マンに対して捧げる応援メッセージとして書きました。






第三章 初めての海外出張


「宮田くん。 どこに出張?」


「イランって言われました。」


「えー!? イ、イラン??? 
それは、・・・大変!」


宮田は心のなかで叫んだ。

< よりによって初めての外国、初めての海外出張が
  イランとは! アメリカやヨーロッパはどこへ
  いったんか!?ほんま! > 


当時イランはイラン・イラク戦争の真っ只中であった。
米ソを中心とする世界的な冷戦構造が続く中、旧ソ連
がイランを、米国がイラクを政治的・軍事的に支援して
おり、イラン・イラク戦争は実際は背後の大国が操る泥
沼の戦争の様相を呈していた。

特に米国の全面的支援を受けているイラクは、フセイン
大統領のカリスマ性もあいまって、イランに対して圧倒
的な武力攻撃をしかけ戦況を有利に展開していた。

一方のイランは、旧ソ連から譲り受けた旧式の装備が中
心であるため劣勢に立たされ、国境を越えて音速で侵入
してくる最新鋭のイラク爆撃戦闘機による空爆が首都テ
ヘランやイラク国境付近で頻繁に起こっており、日系企
業主導の幾つかの火力発電プロジェクトなどがイラク軍
の爆撃の被害にあうという報道が連日のように日本でも
なされていた。

今回の出張はまさに空爆のさなかの首都テヘランであっ
たのだ。



「おい、宮田。今回の出張は、お前も関与しているイラ
ンでも有数の企業であるアルミニウム オブ イラン
(Aluminium of Iran Co.Ltd、通称アロイコ{ALOICO})
の案件だ。

今、イランでは民需用の圧延製品の需要が大きく伸びて
いるのはお前も知っていると思う。

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