南京で三国時代の墓を発見 呉の重臣・張昭の墓と確認
【新華社南京11月10日】中国江蘇省の南京市考古研究院は7日、三国時代の呉の重臣、張昭(156〜236年)の家族墓を同市で発見したと明らかにした。南京では2019年の丁奉(てい・ほう)家族墓に次ぐ呉の重臣墓の発見で、同時期の墓に関する重要な考古学発見となった。
同研究院は22年7〜10月に実施した新城油庫公園の建設に伴う探査で、地下に大量の古墓があるのを発見し、23年11月からの調査で漢代から清代の墓395基を発掘した。多くは明清時代の土坑墓で磁器や銅器、陶器、金器など300点余りが出土。中でも最大の発見となったのが張昭家族墓だった。
張昭家族墓は8基が東西方向にほぼ同じ方角に向いて並び、いずれも土坑磚(せん=れんが)室構造で規模は小さく、形状も似通っていた。複数の墓の後部には明渠(きょ)と暗渠からなる排水溝があり、計画的な地下排水システムを形成していた。保存状態も良く、六朝(三国時代の呉から南北朝時代の南朝の六つの王朝)時代の墓では珍しく、専門家は、独特な排水システムこそ家族墓の有力な証拠との見方を示した。
発掘の現場責任者を務める朱中秀(しゅ・ちゅうしゅう)氏は「墓はいずれも早い時期に盗掘されたが、青磁のすずりや卣(ゆう=取手付きの酒壺)、盞(さん=さかずき)、カエル形の水注および金印、銅弩機(どき)など少量の遺物が見つかった」と説明。うち張昭の墓は、凸字型の平面プランで墓道や墓坑、磚室、排水溝などからなり、墓室は長さ3メートル、幅1.8メートルで金印や銅弩機、銅銭などが出土したと述べた。出土した二つの亀鈕(きちゅう)金印にそれぞれ「輔呉将軍章」「婁侯之印」の文字があり、史料や墓の構造が示す年代特徴を踏まえ、被葬者が張昭だと断定したという。
朱氏は、張昭家族墓の発見が南京地域の六朝時代墓の考古学研究材料を充実させるとともに、呉の墓の地域区分や時期区分、変遷、葬儀習俗などの研究を深める上で重要な参考価値を持つとの考えを示した。
南京は六朝時代初期に「建業」と呼ばれ、呉の都城だった。三国時代の呉は長江中下流域に割拠し、皇族や重要な軍事・政治人物の大部分が死後に南京とその周辺に埋葬された。(記者/蔣芳、邱冰清、毛俊)