人間国宝の三代吉田簑助さん

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 文楽の女形人形遣いの第一人者で、人間国宝の吉田簑助(よしだ・みのすけ、本名・平尾勝義=ひらお・かつよし)さんが7日、死去した。

 91歳だった。告別式は12日正午、大阪府吹田市桃山台5の3の10公益社千里会館。喪主は妻、平尾匡子(きょうこ)さん。

 大阪市生まれ。父も人形遣いで1940年、6歳で三代吉田文五郎に入門。戦後は二代桐竹紋十郎門下となり、61年に三代吉田簑助を襲名した。「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の八重垣姫など時代物の高貴な姫から「曽根崎心中」のお初、「冥途(めいど)の飛脚」の梅川といった世話物の遊女まで様々なヒロインをあでやかに遣った。94年に人間国宝に認定された。

 98年に脳出血で倒れたが、翌年に舞台復帰。87歳まで舞台に立ち、2021年4月、「持てる力のすべてを出し尽くした」として引退した。その後は弟子の舞台稽古に顔を見せることもあった。最近は自宅で過ごすことが多く、7日、急に体調が悪化して病院に運ばれ、家族や弟子たちが見守る中、静かに息を引き取ったという。

 06年にはフランスの芸術文化勲章コマンドゥールを受章。09年、文化功労者。12年から日本芸術院会員。23年に旭日中綬章を受けた。

 一番弟子の人間国宝・桐竹勘十郎さんの話「『まねはまねでしかない、自分の芸をつくりなさい』と導いてくれた。引退後も師匠が存在してくださることが、演者の励みだったので心の支柱を失った気持ちです」