だって、日本人だから…祖先の「酒に弱い」という突然変異が「日本人全体」に広まった、細胞核の中の「驚愕の生命ドラマ」
美しい二重らせん構造に隠された「生命最大の謎」を解く!
DNAは、生物や一部のウイルス(DNAウイルス)に特有の、いわゆる生物の〈設計図〉の一つといわれています。DNAの情報は「遺伝子」とよばれ、その情報によって生命の維持に必須なタンパク質やRNAが作られます。それゆえに、DNAは「遺伝子の本体である」と言われます。
しかし、ほんとうに生物の設計図という役割しか担っていないのでしょうか。そもそもDNAは、いったいどのようにしてこの地球上に誕生したのでしょうか。
世代をつなぐための最重要物質でありながら、細胞の内外でダイナミックなふるまいを見せるDNA。その本質を探究する極上の生命科学ミステリー『DNAとはなんだろう』から、DNAの見方が一変するトピックをご紹介しましょう。
*本記事は、講談社・ブルーバックス『DNAとはなんだろう 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする巧妙なからくり』から、内容を再構成・再編集してお届けします。
たった1つの塩基の置換で起こること
世の中には酒に強い人と弱い人がいて、日本人はどちらかというと酒に弱いほうだ、とはよく耳にする話である。
「酒に弱い」ということを科学的にいうと、「アルコールを分解し、酢酸に変える能力が低い」ということだ。その能力を遂行するのは、肝細胞などに存在するアルコール脱水素酵素と、アセトアルデヒド脱水素酵素である。
前者がアルコール(エタノール)をアセトアルデヒドに分解し、後者がアセトアルデヒドを酢酸に分解する。アセトアルデヒド脱水素酵素には多くの種類があり、そのうち「ALDH2」という酵素が、肝臓でのアルコール代謝に最も重要である。
この酵素の遺伝子も他の遺伝子と同様、両親から引き継ぐものなので、僕たちの細胞には当然、2つあるはずだが、日本人の半数弱は、この酵素のうち1つが「変異型」になっていて、酵素としての活性がない。
だから、酒にあまり強くないのである。これに対して西洋人やアフリカ人などは、ほぼ全員が2つの酵素ともに「正常型」であるため、酒に強い人間ばかりである。
この、ALDH2遺伝子の正常型と変異型の差は、たった1つの塩基の違いによる。正確にいうと、この遺伝子のある場所の塩基GがAに置換したことにより、該当するアミノ酸がグルタミン酸からリシンに変化しているのである(図「ALDH2遺伝子のSNP」)。
「突然変異」から「遺伝的多様性」へ
かつて世界の誰かのDNAに最初に起こったときは、たしかに「突然変異」だっただろう。だが、今は違う。
現在ではすでに、かつて「突然変異」だったこの塩基の置換が、日本人という集団全体に広まっている。こうなると、単に「変異」として片づけられるものではなくなり、むしろ遺伝的な多様性を意味する「多型」と表現すべきものになってしまっているのである。
このような、ある1つの塩基が別の塩基になっている割合が集団の1パーセント以上ある場合、「変異」とは見なさず、「多型」と見なすことになっている。ALDH2のような例は、1つの塩基が人によってはAだったりGだったりするという意味で、1個の塩基の多型、すなわち「一塩基多型(スニップ・SNP:single nucleotide polymorphism)」とよばれる。
「個人差」を生む要因
スニップは、かつてある個体の生殖細胞で突然変異が起こり、ある塩基が別の塩基に置換したものが徐々に集団内に広まって、ある一定以上の個体がその変異をもつにいたったものである。最初は突然変異に起因するわけだから、スニップはALDH2遺伝子以外の場所でも起こりうるということになる。
ヒトゲノムには、ほかにもたくさんのスニップが存在することが知られており、ヒトゲノムの個体間におけるいわゆる「個人差」(ゲノム全体の0.1パーセントを占める)のうち、ほぼ半数がスニップだといわれている。
たとえば、耳垢が湿っているか乾いているかにも、ある遺伝子に存在するスニップが関わっているし、心筋梗塞などのいわゆる「生活習慣病」の原因遺伝子にも、多くのスニップが関わっていることがわかってきている。
ヒトゲノムは、「ホモ・サピエンス」という種における全遺伝情報である。したがって、全体としては「ホモ・サピエンスのゲノム」であることが保たれているが、DNAの塩基配列という細かい部分を見ていくと、ところどころで変化を起こしていて、それが「個人差」というものを生んでいる。
そしてその「個人差」とは、何十万年と続くホモ・サピエンスの歴史のなかで、突然変異がゆっくりと、着実に、そして多くの場合ランダムに起こってきたその結果である、ということができる。
一方において、ゲノムに生じる変化はスニップだけに限らない。先述のとおり、スニップというのはヒトゲノムにおける個人差のうち「半分」だけだ。では、「残りの半分」はどうなっているのか。
その残りの半分の部分には、とらえ方によっては、「これこそDNAの本質なんちゃうか」と思えてしまうほど、興味深い変化が生じている。その変化とは、塩基配列の「繰り返しの多型」とよばれるものである。
生物と「繰り返し」の切っても切れない関係
「同じことを何回も繰り返す」という事象には、どこか僕たち人間の関心を惹きつける要素が含まれているらしい。
そうした繰り返しは、たとえばチャールズ・チャップリン(1889〜1977年)の映画『モダン・タイムス』で表現されたベルトコンベア労働者のようにコメディーや皮肉の対象になってきたし、少しずつ楽器が加わりながら同じモチーフが何度も繰り返されるモーリス・ラヴェル(1875〜1937年)作曲のバレエ音楽『ボレロ』のように、芸術の対象にもなってきた。
そして、「繰り返し」という現象は、僕たち生物にとっても非常に重要なものとなっている。「生殖の繰り返し」によって生物は何十億年も生命をつなぎ、「細胞分裂の繰り返し」が僕たちのこの体をつくっているわけだから、それは当然である。
ウイルスもまた、細胞に感染して爆発的に増えるということを連綿と繰り返してきたからこそ、多様なウイルスの世界を構築することができたといえる。
DNAの世界にもまた、「繰り返し」が存在する。複製のことではない。それは、タンパク質の情報をコードしている「遺伝子」ではなく、むしろ「遺伝子以外の部分」に多く起こる「繰り返し」である。
「DNAの繰り返し」とは、数個程度の塩基配列が、何回も繰り返して存在していたり、数十塩基もの長さの塩基配列が、これも何回も繰り返して存在していたりするものを指している。こうした繰り返し配列について、掘り下げて見ていこう。
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