井上晴美が語る、デビュー時から連続ドラマなどで活躍してきた思い出とは

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 井上晴美さん(50)は16歳でバラエティ番組『桜っ子クラブ』(テレビ朝日系)でデビューし、アイドルグループ“桜っ子クラブさくら組”のメンバーとして活躍した。女優として『ナースのお仕事』『月の輝く夜だから』(フジテレビ系)などの連続ドラマ、映画、グラビア撮影でも忙しく活動してきた当時の井上さんを、まぶしく感じ応援していたファンは多い。そんな彼女が当時の思い出を振り返った。【全3回の第3回。第1回から読む

【貴重写真】『ナースのお仕事』などドラマ、映画でも忙しく活動してきた頃の井上晴美、現在スナックを経営している姿や神社巡りを満喫する様子も

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 熊本市出身の井上さんは、水泳選手として練習に打ち込むと同時にアイドルに憧れ、中学を卒業すると芸能界入りとともに単身上京。都内で高校に通いながら、1991年『桜っ子クラブ』でデビューした。

「毎週土曜日午後3時から生放送していたんですよね。西武遊園地で撮影していたので、毎週黄色い電車に乗って通って(笑)。今の私とは全然違う世界で、もうずいぶん昔のことのよう。時が流れるのは早いな、と思います」

『桜っ子クラブ』でデビューしたアイドルグループ“桜っ子クラブさくら組”には、井上さんのほか菅野美穂(47)や中谷美紀(48)、加藤紀子(51)ら女優として羽ばたいていったメンバーが多くいた。

「当時は1日1日がただ精一杯で、あっという間に過ぎていった、という感じです。でも、楽しかったですよ。メンバーの出入りが激しくて、みんないつの間にかいなくなったり、入ったりしていたので、特に誰と仲が良かった、というのはありませんが、帰りの電車で一緒になったら、『じゃあ、ご飯でも食べて帰ろうか』という話になって新宿でよくご飯を食べて帰っていました。メンバーそれぞれ事務所が違ったせいか、嫉妬とか足の引っ張り合いとかはなかったですよ。私が知らないだけなのかな」

 大ブレイクを果たす前のSMAPやTOKIOもレギュラー出演していた。

「SMAPの後ろでTOKIOが踊っていたんですよね。今思えば、すごい番組(笑)。この番組に出演した頃から、SMAPはどんどんスターになっていって、ファンの声援がすごくて圧倒されました。

 彼らはグループでまとまって行動し、事務所の車で現場に入り、楽屋は違うし、撮影が終わったら、すぐに次の現場に移動していたので、一緒になるのはカメラの前だけ。話す機会もなくて、仲良くなることはありませんでした。ファンの子たちから『仲良くしないで!』という空気も感じていましたし。私たちは西武遊園地に通う電車の中でファンの子たちと一緒になったりしていたので、目を付けられないよう端っこのほうで小さくなっていました(笑)」

なぜ「スキンヘッド」で広告に?

 高校のインターハイに水泳選手として出場した経験のある井上さんは、スタイル抜群でグラビアでも大活躍。なかでも、1999年、幻冬舎の文庫キャンペーンポスターモデルに起用され、スキンヘッドでヌードになった新聞の一面広告は大きな話題となった。

「幻冬舎さんからお話をいただき、当時の事務所の社長と『1年間の大きなキャンペーンだから、何かインパクトのあるものがいいね』と話し合ったときに、社長からアイデアが出てきて、私も『おもしろいね』と。新しいことにチャレンジするのが好きですからね」

 もともと肌が弱い井上さんは、エステには行けなかったが、筋トレなどで身体を絞り、25歳の美しい姿を写真におさめるべく努めたという。

「ファンの方には『髪の毛を剃ってないほうが良かった』と言う方もいましたが、篠山紀信さんが撮影してくださったアート作品なので。アートの心があれば、あの写真の良さはわかっていただけるんじゃないかな、と思っています。写真集(『LIVE』)にもしていただいたので、それは今も大切にしていますよ」

今後「女優の仕事も増やしていきたい 」

 アイドルを入り口に、女優としても羽ばたいていった井上さんは、『ナースのお仕事』『月の輝く夜だから』(フジテレビ系)などの話題の連続ドラマに立て続けに出演した。

「忙しすぎてあんまり記憶がないほどなのですが、『お水の花道〜女30歳ガケップチ』や『ナースのお仕事』が思い出に残っていますね。『お水の花道』はバブル時代も描いていたので、華やかに映るよう、時間をかけてキレイにセッティングしていただきました。撮影初日を迎える前には、夜のお店の世界を知るために、男性スタッフに連れられて銀座や六本木のクラブに見学にも行ったんですよ。

 働いている女性たちの大変さも知りました。私自身が芸能界で大変だったこと? う〜ん……つらかったことや、悲しかったこともあったかもしれませんが、私は昔からそういうことは考えないようにしているんですよね」

 夜の世界のように、芸能界もキラキラして見える世界。井上さん自身も輝いていた。周囲の男性から口説かれることも多かったのではないか、と想像してしまうのだが、「全然!私は身体が大きい(身長164センチ)し、性格は男っぽいし生意気に見えると思うんですよね。男性がアプローチするのって、やっぱり控えめで可愛らしいタイプの女の子なんじゃないかな、と思います」と否定した。

 これからは、また女優の仕事も増やしていきたいと語る。

「若い人がターゲットのドラマや映画が多いですよね。そういう作品もいいですが、私と同年代の中高年をターゲットにした、私たちの抱えている問題や悩み、楽しみが描かれている作品があったら、ぜひに、という気持ちです。

 ただ、芸能界のお仕事って、自分がやりたいからやれるものではないと思うんです。流れがあって、それに乗れるかどうか。子育て中はせっかくオファーをいただいても、忙しくてお断りせざるを得なくて残念に思ったことがありました。だんだん子どもたちの手が離れてきたので、これからはうまく波に乗っていけたらいいな、と思っています。お仕事ください(笑)!」

 様々な経験をして第二の人生を歩み始めた井上晴美さんだった。

(了。第1回を読む)

◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)