【内田雅也の追球】すぐに役に立つこと
情報との向き合い方、野球人にとって必要な感性の話を続けたい。
トラックマン、ホークアイやラプソードといった測定器で得たデータ、最新のトレーニング方法がある。ネット上の動画にはスイーパーの投げ方もバレル打法もノウハウを知ることができる。
もちろん、情報の活用は選手の上達やチームの戦略に欠かせない重要な要素である。重々承知の阪神監督・藤川球児が疑問を投げかけるのは「選手はそれをやれば、すぐにうまくなれると思っている」という早合点、または勘違いである。
実際、そんな魔法のような上達法などない。この日も甲子園球場での秋季練習の合間に「実際、1軍の第一線や、大リーグで活躍している選手たちが、どれほど苦労し、陰で努力しているのかを知らないといけない」と話した。「それは、ものすごいですから」
長く、辛い日々の努力、途方もないほどの反復練習が陰にある。
戦力外や解雇となった時、「あれだけ努力してきたのに……」と悔やんでも遅い。「そうか、がんばったんだなあ、で終わりですからね」と藤川は言った。大リーグでの見聞が言わせている。自分の知らないところで、他人はもっと努力をしているかもしれないのだ。そんな厳しい競争社会がプロなのである。
一般社会でも同じことが言える。工業系で全米トップのマサチューセッツ工科大(MIT)では「社会に出てすぐに役に立つ学問は教えない」という。ジャーナリスト・池上彰が著書やウェブ上に書いている。
なぜか。先端技術や情報科学では知識はすぐに古くなる。つまり「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」。
かつて慶大塾長で野球殿堂入りもしている小泉信三の言葉でもある。1950(昭和25)年の著書『読書論』(岩波新書)に<直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本である>とある。古典を例に<直ぐには役に立たない本によつて、今日まで人間の精神は養はれ、人類の文化は進められて来たのである>。一般教養、リベラルアーツの重要性を説いている。
野球では昔も今も変わらぬ基本を指す。藤川は「すぐに役に立つこと」が無意味だと分かっている。だから、11月の秋季キャンプでも「すぐには役に立たない」練習をすることだろう。 =敬称略= (編集委員)