選手生活を振り返る大橋悠依(撮影・佐々木彰尚)

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 競泳女子で21年東京五輪個人メドレー2冠の大橋悠依(29)=イトマン東進=が自身の誕生日でもある18日、都内で引退会見を行った。冒頭で恩師である平井伯昌コーチから花束を贈られ、晴れやかな笑顔。「約21年間、充実していて、夢にも思ってなかった五輪で金メダルを獲得できて、幸せな大満足の競泳人生だった。最後は晴れやかな気持ちで引退を迎えられて誇りに思う」と語った。今後は所属の特別コーチとして活動するほか、大学院で栄養学などを学ぶ。

 栄光の後の苦悩も大橋ならではのアスリート人生だった。21年夏の東京五輪で、日本競泳女子初の2冠を達成したが、現役続行を決意してからの3年間は苦悩の日々。元々は2021年夏に予定されていた自国開催の世界選手権福岡大会を最後の花道と考えていたものの、新型コロナ禍によって東京五輪ともども延期。「いちばん苦しかったのが2022年。自分の感情がどうなっているのかも自分で把握できず、頭の混乱、感情の混乱があった。(同年)8〜9月頃は練習を途中で上がって、(担当の)石松コーチが話してくるのを全て無視して更衣室に行って、部屋に戻ることもあった」と告白した。

 引退を決意したのは23年秋。「パリ五輪を目指すにあたって、冬の苦しい練習を乗り越えるのはあと1回と思わないと心が持ちそうにないなと。最後だと思わないと頑張りきれないと思って決意した」と述懐。「東京五輪からの3年間で、モチベーションの維持にすごく苦労した。パリ五輪に出場したいと考えたときに、自分の全てを懸けるという気持ちで(引退時期を)決断した」と明かした。

 ゴールを決めたことでラストスパートを懸け、今夏のパリ五輪まで完走。9月の国民スポーツ大会が現役ラストレースとなった。「結果(としての金メダル)に価値があると思っていたが、この3年間で自分の金メダルへの思いが少し変わって、自分の糧や勇気になったのは東京五輪という舞台で自分の力を出せたこと。(レース前に)ビビったりしたが、結果がどうなってもいいから、自分の泳ぎをするという勇気を出してレースをすることができた、そういう経験があることがこの(苦しかった)3年間の糧だった」と胸を張った。

 学生時代の貧血による体調不良などを乗り越え、ポテンシャルを開花させたヒロイン。晴れやかにピリオドを打ったが、約20年の競技人生への自己採点を問われると「本当は120点と言いたいが、届かなかったのは世界新記録の樹立。(18年日本選手権400メートル個人メドレーで)4分30秒を出した時に、もっと(当時ホッスーが持っていた4分26秒36の世界記録更新を)目指したかったというの(心残り)があるので、95点にしたい」と語った。

 ◆大橋悠依(おおはし・ゆい)1995年10月18日、滋賀県彦根市出身。幼稚園時代に姉の影響を受け、彦根イトマンスイミングスクールで水泳を始めた。14年に東洋大学に進学し、17年日本選手権で400メートル個人メドレーの日本新記録を樹立。同年の世界選手権では200メートル個人メドレーで日本新記録で銀メダルを獲得した。18年からイトマン東進所属。2021年東京五輪では個人メドレーで日本女子史上初2冠を達成した。パリ五輪200メートル個人メドレーに出場。175センチ、57キロ。