服を脱いで放心状態…「風俗の裏側」を探りつづけた男がみた伝説のストリッパー・一条さゆりの「意外な」本音

写真拡大 (全3枚)

1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。そんな人生を歩んだ彼女を人気漫才師中田カウス・ボタンのカウスが「今あるのは彼女のおかげ」とまで慕うのはいったいなぜか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第16回

『「見ているうちに涙が出てくる」…伝説のストリッパー・一条さゆりのショーに秘められた「芸の真髄」』より続く

一条さゆりの「プライド」と「劣等感」

作家の藤本義一はテレビ番組や雑誌の対談を通して、一条と交流してきた。藤本は私とのインタビューで彼女の芸についてこう語った。

「ストリッパーには道筋があって、回遊魚のように、全国をヒモみたいな男と一緒にフラフラ流れていくんだよ。でもね、さゆりさんにはそういう感じはなかったね。同じストリップでも、職業としてのプライド、自負心みたいなものを持っていた。哲学みたいなものがあるように感じたね」

藤本によると、人間はみんな劣等感を持っている。それをバネに生きていく過程で、劣等感を虚栄心につなげる人間と、ゆっくりとその劣等感を抱いて生きていく人間の2種類がある、一条は後者で、虚栄心を感じさせなかった。

ストリップは「商売」ではなく「自己証明」

「不器用な人だったんでしょうね。その生き方に不器用さを感じましたね」

藤本は65(昭和40)年から25年間、深夜のテレビ番組「11PM」で風俗の裏側を探りつづけてきた。多くのストリッパーにも会った。それでも一条のように純な生活意識を感じさせる女性はいなかった。彼女からは、タレントにありがちな、自分を売り込むという意識を感じなかった。純粋に踊り、見ている者の心を揺さぶる。彼女が好んだのは、ただそれだけだと藤本は思った。

彼女は身体を見せながら別世界に入っていくようだった。藤本はスペインで、少数民族ロマの女性が踊るのを見たときの経験を聞かせてくれた。

「24時間踊りつづけるんですよ。300人くらいの小さな劇場でね。周りの人間は冷たい目でその女性の踊りを見ているんですがね。24時間ずっと見つづけると、そのダンサーはものすごく喜ぶんです。放心状態になるというか。自分の存在が認められてうれしいということなんでしょう。これと同じものをさゆりさんから感じました。踊りを通して自己証明の作業をしていたんではないかな」

『「裸になるときの度胸がいい」…「性転換した」ストリッパ―が大絶賛!ストリップ界の頂点が放つ「心を掴む」魅力』へ続く

「裸になるときの度胸がいい」…「性転換した」ストリッパ―が大絶賛!ストリップ界の頂点が放つ「心を掴む」魅力