40代にはまだ、自己をアップデートできる可能性が残されているという(写真:kouta/PIXTA)

昭和30年代頃までは「老境の一歩手前にいる頽齢期」として描かれることもあった40代の男性ですが、時代の変遷とともにそのイメージはガラリと変わりました。

とりわけ、大学卒業のタイミングが「就職氷河期」と重なった現在の40代には、従来の常識があてはまらないと、明治大学教授の齋藤孝氏は指摘します。齋藤氏が語る、令和時代の40代が持たなくてはならない「高い緊張感と強い覚悟」とは。

※本稿は、齋藤氏の著書『40代から人生が好転する人、40代から人生が暗転する人』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

現代と比べ「貫禄」があった明治の40代

私の父は大正生まれで、祖父母が明治の生まれです。今、あらためて父や祖父母の当時の写真を見返すと、現代の同年代の人たちと比べて10歳くらいは年齢が老けて見える気がします。

「老けて見える」という表現がもし適切でないなら、「貫禄がある」と言い換えてみましょう。むしろ大正や明治の人は、今の私たちから見て貫禄がありすぎるのです。

文豪・夏目漱石の生まれた年は明治維新より1年前の慶応3(1867)年です。その名を耳にすれば、堂々と髭を蓄えた風格漂うあの面持ちを思い出すはずです。しかし、彼が世を去ったのは49歳です。ということは、私たちが見ている漱石の写真は、それよりも若いはずです。それでもあの貫禄なのです。

また、文豪で言えば『浮雲』などで知られる二葉亭四迷も45歳で亡くなっています。お手元のスマホで今すぐ調べてもらえればわかりますが、眼鏡と髭が実に印象的な、際立った貫禄の容貌です。現代の平均的な40代男性のルックスとはかけ離れていると言えます。

ちなみに、いまテレビに出ている方で40代といえば、たとえば小泉孝太郎さんが2024年に46歳、高橋一生さんが44歳を迎えるそうです。

お二方とも明治の時代にタイムスリップしたら、20代の若者と間違われてしまうかもしれません。もちろん、タレントさんとそうでない人を単純に比べることはできませんが、一般の人たちだけに絞って比べたとしても、現代人の見た目が若くなっているのは確かです。

そういえば、『サザエさん』に出てくる磯野波平さんは、パッと見の雰囲気はお爺さんのようにも見えますが、昭和26(1951)年に朝日新聞で連載が開始された時点での年齢設定は54歳でした。2024年時点では、棋士の羽生善治さんや俳優の阿部サダヲさん、タレントの岡村隆史さんらと波平さんは"タメ年"ということになります。

ちなみに、妻のフネさんはフジテレビの公式サイトで「50ン歳」となっていました。ご高齢に見えてしまう2人ですが、当時としてはこれが一般的な50代の夫婦像だったということでしょう。

変化した「初老」という言葉に対する意識

そもそも「初老」という言葉は、奈良時代は40歳ぐらいのことを指していたと言いますし、しかも昭和に入ってもその概念はまだ残っていたようです。

たとえば、昭和16(1941)年に発表された太宰治の短編小説『風の便り』には、40代という年齢を強調した次のような一説が出てきます。

「私は先日の手紙に於いて、自分の事を四十ちかい、四十ちかいと何度も言って、もはや初老のやや落ち附いた生活人のように形容していた筈でありましたが、はっきり申し上げると三十八歳、けれども私は初老どころか、昨今やっと文学のにおいを嗅ぎはじめた少年に過ぎなかったのだという事を、いやになるほど、はっきり知らされました。」

また、昭和30(1955)年から読売新聞に連載され、翌31(1956)年に書籍化された石川達三のベストセラー小説『四十八歳の抵抗』では、損保会社に勤める48歳の主人公を初老の男性として描いています。

当時の一般的な定年は55歳でしたので、48歳の主人公は定年退職まであと7年の、いわば老境の一歩手前にいる頽齢期の男であるということです。

その後、時代とともに日本人の寿命も延び、「初老」という言葉に対する国民意識も変わりました。

NHK放送文化研究所が2010年に行った調査では、「初老という言い方は何歳くらいの人に対して使える言葉だと思いますか」との問いに対し、もっとも多かった答えが「60歳から」で42%を占めたそうです(2位が「50歳から」と「65歳から」でともに15%)。

それとともに寿命も延びました。厚労省が調べた平均寿命の年次推移をみると、昭和22(1947)年に50〜54歳だった平均寿命は、令和4(2022)年には82〜87歳となっています。日本人の寿命は75年で30年以上延びた計算になります。

この平均寿命が延びた背景には、医学の進歩や防疫対策の向上、公衆衛生の環境改善といったことが考えられるでしょう。

一方、「若く見える」というのはどういうことでしょうか。もちろん、老化の進み方には個人差がありますし、遺伝的な要素も大きいとは思いますが、社会制度や生活環境の変化も大きく関係しているように思えます。食生活の変化や、美容への関心の高まりも、大きな要因でしょう。

小津映画での「40代の未婚男」の描かれ方

明治や大正の人が貫禄を持って見える別の理由として、昔は早い年齢で結婚する人が多かったというのも要因ではないでしょうか。

明治や大正の頃といえば、女性はおそらく20歳前後、男性なら25歳くらいであれば多くが結婚をしていたようですし、20代で所帯を持って、社会的な責任が大きくなれば、若くても顔つきや立ち居振る舞いは自ずと変わってくるものです。

さらに20代で子が生まれ、50代で孫ができ、夫婦ともどもお爺ちゃん、お婆ちゃんという立場になれば、存在感も増して人によっては老けてくることでしょう。となれば貫禄がついてくるのも当然かもしれません。
翻って令和の現代では、晩婚化や未婚化の進展で男も女も30代で独身という人はちっとも珍しくありません。

内閣府の調査によると、「配偶者も恋人もいない」人の割合が全世代で男女ともに2割以上となっており、特に20代の女性の約5割、男性の約7割が独身でかつ交際している相手もいないとのことなのです。

昭和26(1951)年に公開された小津安二郎監督の『麦秋』という映画作品では、原節子が演じる紀子という女性が、「28歳にもなって結婚しない」ことを、家族全員がやきもきするという状況が描かれています。

やがて、そんな紀子にも勤め先の専務さんの紹介で縁談話がやってきます。お相手は京大出身で紳士録にも載っている海外帰りのデキる社員。周囲は安堵するのですが、よくよく聞くと男性の年齢は数えで42歳(満40歳)。驚いた紀子の母は「それじゃ紀子がかわいそう」と困惑するのです。そんな母に向かい、笠智衆が演じる紀子の兄・康一は、「紀子だってもう若いとはいえない。こっちだってそう贅沢を言える身分じゃない」と憮然として説くのでした。

紀子は結局、兄の同僚の矢部という男と結婚することになるのですが、その際に紀子は兄嫁の史子に「ホント言うと、四十にもなって結婚もしないで1人でブラブラしている人って、あんまり信用できないの」と言うのです。

50代の独身世帯が珍しくない現代の価値観からすると隔世の感がありますが、昭和20(1945)年代ではこれが一般的な考え方でした。「28歳の女」「40歳の男」は社会的にそういう位置づけだったのです。

雇用環境の激変にさらされた「氷河期世代」の40代

昭和において40代の会社員というと、公私において20代から成功や失敗を積み重ね、仕事も一回りを覚えて経験値が増し、比較的安定した社会的ポジションを得られているというイメージです。

一方、現代の「40代」という世代に共通するのは、あの就職氷河期を経て今に至るということです。2000年代初め、当時の政権が非正規雇用の規制を大幅に緩和したことで日本の雇用環境は激変し、全国の就活生たちが厳しい現実に直面することになりました。

就職氷河期の定義はいろいろありますが、一般的にはバブル崩壊後の雇用環境が厳しかった10数年間、すなわち平成5(1993)年頃から平成16(2004)年くらいに学校を卒業した人たちが「氷河期世代」と呼ばれ、2024年における年齢がおおむね40歳くらいから50代半ばの人たちを指すようです。

本稿を読んでいる40代は丸ごとすっぽりハマっていることになります。

思い描いたコースにうまく乗れないままキャリアの節目である40代を迎え、今後の50代、60代へ向けて戦いながら日々を過ごしている方も少なくないことでしょう。そう考えると、40代が「安定の世代」とばかりは必ずしも言えないかもしれません。

40代には自己を「アップデート」する機会がある

そういう40代が、これからの自分の心の軸をどこに置いていくべきなのか、社会人としてのスキルをどう向上させ、ひいては1人の人間としてどのように教養を高めていくのか。


実は40代とは、他の世代と比べてより高い緊張感と強い覚悟を持って生きていかねばならないのかもしれません。

54歳の磯野波平さんが定年まであと1年、といった時代とは違い、もはや定年は65歳から70歳へ延びようとしています。となれば、令和の40歳にはまだ25年以上、四半世紀を超える勤め人としての時間が残されていることになります。

とはいえ、年数だけこなせば給与が上がる時代は終わりつつありますし、もとより非正規雇用であれば年功賃金も無縁の世界です。

今の立ち位置に見切りをつけて転職を考え、新たなキャリアデザインを描いて自己をアップデートしようと模索している人もいることでしょう。その可能性がまだ十分に残されているのが40代ということでもあります。

(齋藤 孝 : 明治大学教授)