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妊娠や出産を知られたくない女性が身元を伏せて、仮名で医療機関で出産できる「保護出産(内密出産)」を認める特別法が7月、韓国で施行された。日本では、熊本市の慈恵病院が全国で唯一、女性が病院の担当者だけに身元を明かす「内密出産」に取り組んでいるが、法制化には至っていない。

匿名の内密出産を巡っては、生まれた子どもの出自を知る権利を損なわないかという議論もある。韓国の保護出産制度やベビーボックス(赤ちゃんポスト)問題に詳しい、目白大学人間学部人間福祉学科の姜恩和教授は「法制化は女性の孤立出産を防ぎ、乳児遺棄を防ぐことが一番の目的で、支援の拡大にもつながります」と説明する。韓国ではなぜ法制化できたのか、背景や制度について姜教授に聞いた。(ライター・国分瑠衣子)

●2013年以降、「ベビーボックス」への赤ちゃん預け入れが急増

ーー韓国で保護出産の特別法が制定された背景を教えてください。

「正式な法律名は『危機的妊娠および保護出産支援と子どもの保護に関する特別法』といい、『危機妊娠保護出産法』という略称です。

韓国の人口は日本の半分ほど、出生率は日本よりも低く、国際結婚率は日本の3倍以上です。以前から韓国では保護出産制度の是非が国会で議論されてきました。

法制化に至った背景の一つが、匿名で赤ちゃんを受け入れる『ベビーボックス』(赤ちゃんポスト)に預け入れられる子が、非常に多かったことです。韓国のベビーボックスは、キリスト教団体など民間が運営しています。

韓国では2012年8月以降、ベビーボックスに赤ちゃんの預け入れ人数が急増しました。背景には2011年に全文改正された養子縁組に関する『入養特例法』があります。この改正法で、養子縁組が届け出制から許可制になり、中央養子縁組院が設立され、養子縁組の情報管理をすることも定められました。

また、これまでは養親が子どもの出生届を出す、いわゆる「藁(わら)の上からの養子」が容認されていましたが、改正後は生みの親が提出しなければならなくなりました。これについては、出生届で身元が分かってしまうことが、女性の精神的な負担になり、ベビーボックスに預け入れる人が増えたという指摘があります。

一方で、養子縁組後に女性の家族関係登録簿から子どもの氏名が削除されるなど、女性のプライバシーを守るための措置が十分に周知されず、ベビーボックスが広く知られてしまったためだという指摘もあります。

ベビーボックスへの預け入れの理由として、経済的な問題や、一人での養育が難しいといった問題があります。ベビーボックスを巡っては賛成も反対も議論はありますが、何とかしなければならないという声が上がっていました」

●ドイツ、フランスにも内密や匿名の出産制度はある

ーーもう一つ、保護出産の法制化が加速した背景として『消えた赤ちゃん問題』を挙げています。

「2023年4月に政府が発表した『消えた赤ちゃん問題』は社会に大きな衝撃を与えました。韓国では、子どもが病院で生まれると、予防接種などのために新生児番号が付与されます。 その後、親が行政機関に出生届を出すことで、国民として認知されます。

しかし、2015年から2022年までの8年間で、病院で生まれて新生児番号が付与されたけれども、出生届が出されていない赤ちゃんが2000人以上もいることが分かりました。

その後、6、7割の赤ちゃんはベビーボックスに預け入れられたことが分かったのですが、調査の過程では遺棄された赤ちゃんがいることも判明しています。出生の届け出で、親に任せるだけでは子どもの権利は守られないこと、予期せぬ妊娠をして誰にも相談できず孤立する女性がいることが浮き彫りになり、法制化への機運が一気に高まったのです。

超党派の議員立法で、2023年10月に『危機妊娠保護出産法』が制定されました。ドイツの内密出産制度、フランスの匿名出産制度と法令化している国はあり、韓国はドイツの内密出産制度と大枠は似ています」

●生みの親個人の情報開示は本人の同意が必要

ーー新しく始まった保護出産の流れを教えてください。

「予期せぬ妊娠により危機的な状況に陥った女性は、その先のことを考えられずパニック状態になることがあります。まずは韓国全体で16カ所ある地域の相談機関に相談をすることで、自分の状況を整理し、生まれてくる子どものことを考えられるようになります。

保護出産が注目されがちですが、大事なのは16カ所の相談機関による丁寧な支援です。その結果、自分で育てる、または子どもを養子縁組に託すということを決めていきます。最後にどうしても難しい場合は、保護出産を申請します。指定された相談機関の大半が妊娠期の入所施設を運営してきた社会福祉法人です。

相談機関を経て、女性は希望する医療機関に仮名で入院して、出産します。出産や入院費用は国や自治体が負担します。保護出産した女性は産後7日間、赤ちゃんを自分で育てるかどうかを考える『熟慮期間』を持ちます。その上で、地域の相談機関や管轄する自治体に引き渡す決断をした場合、その時点で親権は停止します」

ーー保護出産で生まれた子が出自を知る権利はどう保障されるのですか。

「保護出産した女性には氏名や連絡先などを記録に残すことが義務付けられます。女性の情報は、児童権利保障院という日本のこども家庭庁にあたる国の機関が保管します。保護出産で生まれた子は、成人に限らず、未成年でも保護者の同意のもとで、出生証明書の公開請求ができ、出自を知れるようになっています。ただし、生みの親の個人を特定するような情報は、生みの親本人の同意がなければ開示されません」

●法施行後1カ月で、419件の相談電話

ーー法律では、まずは孤立出産や乳児遺棄を防ぐことを重視しています。妊娠に悩む女性と地域相談機関とをつなげるために、女性に情報をどう届けるのでしょうか。

「大事なことは『敷居の低さ』です。悩んでいる女性たちには『本当に相談していいんだ』という安心感を持ってもらわなければなりません。ベビーボックスにあれほど多くの人が集まったのは安心感を提供したからだと思います。

女性たちとつながれるように、『危機妊娠保護出産法』の施行とともに、『危機妊産婦相談電話1308』を開始しました。相談電話の広報のために、薬局にポスター、リーフレット、シールを配布しているところです。

法施行後1か月間で、『1308』に419件の相談電話が寄せられ、16人が保護出産を申請し1人が撤回した状況です。産前・産後の支援は、16カ所の地域相談機関が行いますが、このうち14カ所はこれまで妊娠期支援を担ってきた施設なので、たとえ保護出産を申請したとしても、その後の女性の揺れ動く心境に寄り添いながら丁寧に支援していくという、これまで培われてきた支援のノウハウが十分に生かされることが期待されています」

●相談の敷居を低く、本人に届く支援体制を整える

ーー日本では2022年に厚生労働省と法務省が内密出産のガイドラインを公表しましたが、法制化には至っていません。

「韓国のベビーボックスや保護出産は赤ちゃんの命を救うことを第一に考えています。『消えた赤ちゃん問題』が、明らかになったとき、韓国では法制化を求めて、世論が高まりました。

もちろん保護出産制度で全てが解決するわけではありません。日本でも全国的に妊娠相談窓口が増えている状況で、2022年の児童福祉法改正では『困難を抱える妊産婦等に一時的な住居や食事提供、その後の養育等に係る情報提供等を行う事業』が創設されました。

今後も、赤ちゃんの命を守り、予期せぬ妊娠で悩む女性の状況に目を向け、相談の敷居を低く、本人に届く支援を整えていく必要があると思います。そうしながら、さらにどんな制度が必要なのか国民が議論を重ねていくことが求められます」