「メンタルを病む60代」「余裕ある60代」の決定差
なんだか嫌われているのかなと思っても、その人は私の人生には関係ない、私にはなにも影響しないと思うことで自分を守り、相手を忘れます(写真:fizkes/PIXTA)
あの孔子によれば「六十にして耳順がう」。そんな“精神的な安定期”に入る年代に、実はうつ病というかたちでメンタル不安になる人が少なくありません。厚生労働省の調査(2017年)によると、気分障害患者の31.7%は65歳以上です。
自身の役割や立場、環境に大きな変化が訪れる60代。人生後半への入り口で陥りやすい「負の思考」をどう乗り越えればいいのか。精神科医として多くのシニア世代と向き合ってきた保坂隆さんが「60歳からこれをやめたら一気に老け込むこと」を解説します。今回は「人間関係に悩む中高年を救う空海の教え」。
人間関係の悪化は精神的にきついもの
人間関係に疲れてしまうことがあります。仕事を退職する理由の上位にくるのが「人間関係の悩み」です。職場だけではなく、家庭で、地域で、学校やサークルで、人が2人以上集まれば人間関係ができあがり、うまくいったりいかなかったりするのが人生です。
それでも、人間関係の悪化は精神的にきついものです。Iさんは、60歳を機に再雇用となったため時間ができ、今までやりたかった織物の教室に通いはじめました。教室の先生は教え方が上手で、織り機に触れている間は心が落ちつき、とてもいい時間でした。
しかし、1つ気になることがありました。教室が終わったあとに、他の方々はランチにつるんで出かけるようですが、Iさんは誘われません。少し観察していると、リーダー格の女性がいて、なんだかIさんに冷たいようでした。Iさんには理由はわかりません。
こういうとき、Iさんはある人が言った言葉を思い出します。それを語った人が、スポーツ選手だったか、タレントだったかは忘れてしまいましたが、こういうことを言っていたそうです。「相手の気持ちをコントロールすることはできないし、変えることもできない。だから、こんなことは自分の人生には関係ないと思うことにしている」と。
よく、「相手は変えられないから、自分が変わるしかない」という言葉も聞きますね。これも1つの対処法なのですが、苦手な相手のことを自分には関係がないと忘れてしまう方法もあります。私たちは、ともすれば皆から好かれたいと考えてしまいます。でも、人間には相性というものがあります。
相性が合うかどうか、見た目で判断するべきではないのですが、見た目で自分のテリトリーに入れたくないという人もいます。なんだか嫌われているのかなと思っても、その人は私の人生には関係ない、私にはなにも影響しないと思うことで自分を守り、相手を忘れます。
「ママ友に翻弄された」女性が今思うこと
ある女性が話してくれました。娘さんが小学生のときにPTAの付き合いが大変だったそうです。やはりボス的ママさんがいて気を使ったり、いじめがあったりして巻き込まれてしまいました。
しかし、娘が成人した今、「あれはなんだったのか」と思うそうです。今ではそのときのママ友と付き合いはありません。自分の人生に大きく影響する出来事でもなかったのに、渦中にいるときは怒ったり落ち込んだりしていました。「今思えば、コメディですね」と話してくれました。私たちは、いろいろな人間関係に巻き込まれますが、相手を「私の人生には関係ない人」として切り捨て忘れることも必要です。
「南斗は随(したが)い運(めぐ)れども、北極は移らず」(『秘蔵宝鑰』)という空海の言葉があります。北極星は動かない星です。昔の人は北極星を探して自分の位置を確かめました。南斗は北極星より南にある星で、季節とともに動いていきます。人の言葉や感情に巻き込まれないで、北極星のように「ぶれない心」をもって自分の人生を歩んでほしいと思います。
断るのが下手な人がいます。Uさんは、地域の活動をしているうちにだんだんと役職を任せられるようになりました。地域の祭りの事務局責任者やらマンションの管理組合の理事長やらをしています。
人の好いUさんのことですから、マンションで倒れたお年寄りがいれば、様子を見に行ったり、住民の苦情を受けたりしていました。疲れも溜まっていたのでしょう。めまいを起こすようになり病院へ行くと、メニエール病と診断されました。休養が必要だとのことで、あらゆる役職から下りて休みました。
役職を下りて思ったことは、「自分ががんばらなくても世の中はまわっている」ということです。少し淋しい気持ちもありますが、時間にゆとりができたことで自分自身のために映画を観たり、本を読んだり、若いころの趣味が復活したそうです。
人間関係はほどほどにしないと…
私たちは仕事でも地域でも、人間関係の波にのまれてがんばってしまうことがあります。忙しいことは、自分が役に立つという喜びや充実感もあるので悪いことではないのですが、ほどほどにしないとストレスが溜まります。気がつかないでいると病気になって、体が緊急停止を命じるのです。義理人情に厚い真面目な人がうつ病になることも少なくありません。
義理人情が薄くなった時代とは言われますが、まだまだ義理にとらわれている中高年は多いようです。昔は、バレンタインデーに義理チョコなどというものが盛んにやりとりされていました。
義理チョコをもらうと、義理のお返しをしなくてはいけません。これもなかなかの負担です。最近の若い人は、仲のいい友だちにチョコをあげるそうです。義理的なものが減ってきたのはいいことだと思います。
そのほかにも義理の飲み会などがたくさんありました。「飲み会は業務ではないなら、参加しません」と断る部下がいると驚いていた男性がいましたが、義理の付き合いは最小限にして自分の時間を楽しみたいという考え方を、中高年は少し見習ってもいいかもしれません。
会社や人のために動いていた人が、病気になったり動けなくなったりしたときに、とたんに生きがいがなくなって自己否定感が高まることがあります。義理もほどほどにして、自分の時間を楽しめるようにすることが老後の備えにもなるはずです。
日本の「三筆」と言われる、もっとも優れた書の達人がいます。空海、嵯峨天皇、橘逸勢の3人です。その空海の書に「道(い)うことなかれ人の短(たん)、説くことなかれ己の長(ちょう)」(『崔子玉座右銘断簡』)があります。意味は「人の欠点をあげつらうな、自分の長所を自慢するな」というごく当たり前のことです。
もともとは、後漢時代の学者である崔子玉の座右の銘として伝えられているようです。中国の古代の学者が座右の銘にしたということは、はるか昔から人間というのは集まれば他人の悪口を言い、自分の自慢を言いたがる人が多くいたのでしょう。
人は悪口を言うことで「団結」する
ある役所の会計年度任用職員として働きはじめたTさんは、昼休みの休憩室でのランチタイムが憂うつでした。そこに集まるのは、自分と同じ非常勤の職員たちです。昼の休憩室ではお局(つぼね)様的な2人が、他の職員の悪口を言います。「あの職員は仕事ができない」「課長はなにも決められない」。はじめのうちTさんは、「そうなんだ」と素直に悪口を聞いていました。
でも仕事をしているうちに「あんなに悪口を言うほど、悪い人ではないけど」と思うようになりました。昼休みは、職員の悪口を言うことで非常勤の団結を固める場なのでした。「あの人はダメだ」と言われ続けている職員の1人は、うつ状態で休みはじめました。
Tさんは中学時代を思い出しました。女子のリーダーが1人の女子の悪口を言いはじめ、仲間を増やしました。自分は悪口を言いたくないのに、リーダーの仲間のなかにいました。Tさんは悪口こそ言いませんが加担者だったのです。いじめられていた子は不登校になりました。
Tさんは当時を思い出して、昼休みに休憩室に行けなくなりました。吐き気がしてきたそうです。休憩室を避けて、自分のデスクで昼食を食べはじめました。そして起こったことは、Tさんへのいじめでした。Tさんも具合が悪くなり、会計年度任用職員を途中で辞めてしまったそうです。
人は悪口で団結することがあります。はるか昔から現在まで、悪口には人をまとめる絶大な力があります。しかし悪口でまとまる関係は発展性がありません。今の地位を守るため悪口を言っていても、いずれ人は離れていくでしょう。私たちも「道うことなかれ人の短、説くことなかれ己の長」を座右の銘にして、悪口は言わないようにしていきたいものです。
ただし、空海はこういうことも言っています。「短所は即ち長所である。長所は即ち短所である」「ひとには短所も長所もない。一切は空(くう)である」(『秘蔵宝鑰』)。悪口を言わないという戒めの先に、人を一面で見ずに多面的に見ること、レッテルを貼らないということを考えたのだと思います。
(保坂 隆 : 保坂サイコオンコロジー・クリニック院長)