愛娘が生まれた2週間後に逮捕…2度の服役を経て世界へ “天才”と称された介護士ボクサー、子どもの名前に込めた思い
24日に大阪・大和アリーナで開催される「3150×LUSH BOMU vol.1」で異色のボクサー、健文トーレス(TMK)が7年8カ月ぶりに日本のリングに立つ。かつて将来を嘱望されたホープは道を踏み外し、犯罪に手を染め、合わせて13年も服役した。それでも出所して復帰を果たすと今年5月にWBOバンタム級1位を撃破。不屈の闘志で世界を狙える位置まではい上がってきた。24日、WBOスーパーフライ級1位の強豪、KJ・カタハラ(フィリピン)と拳を交える36歳がボクシングへの熱い思いを聞いた――。
5月10日、信じられないニュースがフィリピンから飛び込んできた。あの健文トーレスがWBOバンタム級1位のレイマート・ガバリョに初回KO勝ちしたのだ。ガバリョはWBCバンタム級暫定王者に就いたことがあり、唯一の敗北はフィリピンのレジェンド、ノニト・ドネアに喫したもの。一方の健文は前年6月に6年のブランクを経て復帰して以降、海外で3戦して1勝2敗。番狂わせも番狂わせ、日本のボクシング関係者が驚くのは当然だった。
当時の状況を本人が振り返る。
「オファーをもらって最初は断ったんです。体も感覚も戻っていなかったし、恐怖心もあった。まだ早いとも思った。でも断ったことを後悔すると思って、次の日くらいにあらためて『やります』と伝えたら、もう代わりの相手が決まったと。ちょっと安心したんですけど、10日もしないうちに『やっぱりやってくれ』と連絡が来た。これはもうやらなアカン。残り4週間くらい、とにかく走れ、サンドバッグ殴れ、みたいな感じでがむしゃらに練習しました」
このとき健文は過去の犯罪歴を理由に日本ボクシングコミッション(JBC)からボクサーライセンスの交付を停止され、所属ジムもなければトレーナーもマネジャーもいない“根無し草”のような立場だった。それでも一人、練習相手を求めていろいろなジムの門を叩き、一世一代の大勝負に向けて準備を進めた。
絶好のチャンス到来には違いない。とはいえ、36歳となり、ブランクも長いノーランカーの勝利を信じる者は皆無に近かった。
「ほとんどは『噛ませ犬やろ』みたいな雰囲気でした。ネットを見ても勝敗予想は100-0とかになってましたし。その中で和毅選手だけが『絶対勝てるわ』と肯定的なことを言ってくれたんです。あれはうれしかった。背中を押してもらいました」
現在、ジムメイトとなった元世界2階級制覇王者、亀田和毅は同じ24日のリングでIBFフェザー級挑戦者決定戦に挑む。そんなトップボクサーからかけられた言葉に健文は奮い立った。
そして乗り込んだフィリピン。トレーニングは決して十分とは言えず、不安もあったが、健文は一点突破で世界1位を攻略しようと策を練った。「ガバリョはワンツーの打ち終わりにガードが開く。そこに左フックを合わせる」。腹はくくった。試合前には勇気をくれた和毅からのラインをもう一度見てリングに上がった。
ガバリョにとっては調整試合だ。スタートからほどなくして強烈なワンツー、左フックで健文に襲いかかる。しかし健文はひるまない。ラウンド中盤、プラン通りの左フックを打ち込むとガバリョがキャンバスに落下した。ガバリョは立ち上がったもののダメージは甚大だ。さらにダウンを追加して残りは1分。健文が渾身のラッシュで畳みかけ、アップセットが完遂した。正式タイムは2分33秒。“噛ませ犬”が奇跡をたぐり寄せた瞬間だった。
試合後、快挙とは裏腹に、健文の冷静な姿が印象的だった。
「はい、冷静でした。うれしというより自分を信じて良かったなという気持ち。よっしゃ、次からやなと」
健文トーレス。ボクシングファンには「懐かしい名前」と感じる人もいるだろう。メキシコの元WBCライトフライ級王者、ヘルマン・トーレスを父に持ち、母の故郷である日本で育った。16歳だった2003年にメキシコでプロデビューし、以降は日本でキャリアを重ねた。父譲りの柔らかい動き、スピード、テクニックを擁して“天才”と称され、いずれは世界チャンピオンになると期待された。
しかし06年に初の日本タイトルマッチで敗退。練習不足が原因とされた。その後は坂道を転げ落ちるように人生は暗転、09年5月には強盗で逮捕、起訴されて6年以上服役することになる。この間、同じ関西を拠点にしていた井岡一翔や、亀田大毅が世界チャンピオンになったニュースを塀の中で聞いた。
「オレは何してんねん」
悲嘆に暮れ、もう一度ボクシングをしようと志し、出所後は3試合をこなしたものの、19年に再び犯罪に手を染めて逮捕される。健文は「社会になじめなかったし、自分の作った環境も悪かった」と回顧する。またしても6年を超える刑務所生活はボクシング人生の終わりも意味するかに思えた。
ところが、健文は2度目の服役を終えたのち、再びボクシングジムの門を叩くのである。
「有名になりたいとか、ベルトがキラキラして見えるとか、そういうのはもうないんですよ。ただ、ふと思うんです。小さいころからボクシングがけっこう強いと思っていて、周りからもそう言ってもらっていて、じゃあ自分はちゃんとやっとったらどこまでいけたんやろうって。オレは何者なんや。挫折もしたし、もう若さもないし、あのころの動きもできないけど、自分はどこまで強いんや、というのを感じたい。自分はちゃんとがんばりきったんだと自分を肯定したい。悪いこといっぱいして、犯罪して、ずっと自分の中に負をためこんで、ボクシングに背中を向けて、人を裏切ってきた。そんな自分をこのままでは背負いきれないんですよ。ボクシングをやり切って、少しでもこの先の人生のプラスにしたいんです」
ガバリョに殊勲の勝利を挙げてから2カ月後、朗報が健文のもとに届く。7月、JBCからボクサーライセンスの交付が認められ、TMKジムへの所属が決まったのだ。これで日本のリングに上がることができる。何よりトレーナーもマネジャーもいなかった状態とは雲泥の差だ。こうして和毅らと一緒に「最高のトレーニングができている」という環境を手に入れた。
環境といえばガバリョ戦の前から始めた介護の仕事も健文の心に安定をもたらしているという。
「その前は兄の建設業を手伝っていたんですけど、よりボクシングに集中しようと思って資格を取って介護の仕事を始めました。これがものすごく合っていたんです。他人にありがとうなんて言われたことのない人生でしたけど、介護では、じいちゃん、ばあちゃんに感謝されるんです。最高やなと思って、のめりこんで。今、じいちゃん、ばあちゃんに大人気ですよ(笑)。ボクシングを辞めたらお年寄りや体の弱い子どもをサポートする仕事をしようと思ってるんです」
現在は一人暮らし。朝起きてランニングをし、介護の仕事に出かけ、終わったらジムに行ってトレーニングをする。彼女はいるが、一緒には暮らさない。残り少ない選手人生だからこそ、ボクシングに100%集中し、日々のルーティンを崩したくないからだ。
ただし、小学校1年生になった娘だけは例外だ。娘とは別々に暮らしているが、彼女の要望はできる限りかなえたいと考えている。2度目の逮捕は、あろうことか娘が生まれたわずか2週間後だった。
そんな追い込まれた状況で娘の名前を必死に考えた。自分は夢を壊してしまった。だから娘には「夢に向かって強く生きてほしい」という思いを込め、夢という文字を入れて夢妃(ゆめひ)と名付けた。
健文は言う。
「自分が夢を壊したから娘の名前に“夢”をつけるって、それだけじゃただの自己満足じゃないですか。だから自分がしっかり夢をかなえて、しっかりやりきって、いつか娘に名前の由来を説明したいと思ってるんです」
父親の試合映像をいつも不安そうに見ているという娘からは「早くボクシングを辞めてほしい」と言われている。父の答えは「負けたら辞めるよ」だ。次の相手は無敗の強豪だが、もちろん負けるつもりなど毛頭ない。現在の世界ランキングはWBOバンタム級11位。24日の試合に勝てば世界ランキングも上がるだろう。何度もあきらめかけた世界タイトルマッチは手の届きそうなところまできている。