子どもは保育施設でたくさんの出会いと体験をし、さまざまなことを身につけていきます(写真:yamasan / PIXTA)

暴力や激しい叱責など、保育施設において子どもの心身を脅かす「不適切」な行為が発生しています。いま保育の現場はどうなっているのでしょうか。長年、保育問題に取り組んできた「保育園を考える親の会」アドバイザー・普光院亜紀さんの新著『不適切保育はなぜ起こるのか──子どもが育つ場はいま』から一部を抜粋し、その背景を探ります。

3回シリーズでお届けします。
2回目:"不適切保育"から「子を守る」親にできること5つ
3回目:海外の人が驚く「長時間保育大国」日本の実態

「しつけ」「指導」という不適切保育

不適切保育が問題になった事例で、園長等が「しつけです」「指導の一環です」と答えることは少なくない。

そのような園では、集団生活をスムーズに運ぶためにはある程度厳しい「しつけ」「指導」が必要だと考えている。しかし、その「しつけ」「指導」が望ましい範囲を逸脱すれば、それは不適切な保育になる。

では、「望ましい範囲」の「しつけ」「指導」とはどのようなものか。「望ましくない範囲」との境目はどこにあるのか。

そもそも乳幼児期の「しつけ」「指導」とは、どういうことを目的としたどういう行為なのか、明確にしておく必要があるだろう。

家庭で子どもを虐待してしまった親が「しつけのつもりだった」と話すことがあるが、そんなときの「しつけ」は「大人(自分)に従わせること」と同義になってしまっている場合が多いように思う。

辞書の「しつけ」の項には「子どもに決まりや慣習、礼儀作法を教え込むこと」などと書かれているが、もう少し現代の子ども観や教育観に引き付けて、子どもの視点から定義するなら、「子どもが生活習慣や社会性を身につけられるように導くこと」などとするのが妥当ではないか。

小さいころから、よき生活習慣や振る舞い方を身につけられれば、大人になってからも無意識のうちに健康的な生活ができたり、社会性のある振る舞いができたりして、「生きやすさ」につながるはずだ。

そんな意味の「しつけ」であれば、多くの人が必要と考えるだろう。それは、子どもに大人への服従を強いることとは違う。そもそも罰を与えて大人が決めたルールを無理強いしても、子ども自身が納得できていなければ、それは本当に身についたことにはならないのではないだろうか。

保育施設は「育ち合い」の場所

私は常々、「子どもが生活習慣や社会性を身につける」ことに関して、保育施設は強みをもっていると考えてきた。

核家族の生活では、子どもの近くに1人か2人の大人しかおらず、子どもはその大人を頼りに、ときにはその大人との対立を繰り返しながら生活している。

しかし、複数の大人や仲間とともに過ごす園生活には、小さな社会が存在する。子どもは、日々、保育者や友だちとともに楽しみながら生活し、ときには少し先を行く仲間の姿に刺激を受けたり、自分もできるようになりたいと願ったりしながら、体験を通して、ゆるやかに、さまざまなことを身につけていく。

こういった子どもの姿は、保育者の間で「育ち合い」と呼ばれてきた。

食事での好き嫌いに関しても、園で美味しそうに食べる仲間の姿、栽培活動やクッキング保育、みんなで読んだ絵本などがきっかけで嫌いなものが食べられるようになったなどということが、保護者の間でもわが子のエピソードとして数多く語られてきた。

念のため補足しておくが、たとえ嫌いなものが食べられないまま卒園したとしても、不適切保育ほどの悪影響を人生に与えることはないと私は考えている。

園には子どもの集団があり、その「育ち合い」を上手に活かそうと意図をもってかかわる保育者がいる。その環境が、子どもが生活習慣や社会性を身につけることを助けている。

これは現代の核家族ではつくり出しにくい環境であり、園で「しつけ」をしてもらったという保護者の感想は、そんな子どもたちの園生活体験からきている。

一方で、小さな子どもたちが集団で生活することのデメリットも存在する。

厚生労働省の定める「保育所保育指針」の中に「一人一人」という言葉が37回も出てくるのは、集団の中で1人ひとりの子どもの気持ちや状態が見落とされがちになることを戒めていると考えられる。


人生で最も成長発達が著しい時期の、発達過程や個性が多様な子どもたちの集団生活を、おおむね一定のスケジュールにそって進むようにすることは、簡単ではない。

不適切保育が食事や午睡の局面で起こりやすいのは、そこでピンチに陥ってしまう保育者が多いためではないかと考えられる。

私の視察経験からは、日頃から保育者が子どもに厳しく接し常に指示・命令で動かしているような園では、子どもは従順であることが多い。一見、そのほうが集団生活をスムーズに運べるように見える。

しかし、そんな園では、子どもは抑圧されて元気がなく、自分で考えたり選択したりするチャンスを与えられていないように見えることが多かった。

そのような保育は「保育所保育指針」が示す保育ではない。「保育所保育指針」は、保育者は子ども1人ひとりの発達や個性を尊重して援助し、やがて大人の細かい指示・命令がなくても子どもが自分たちで考え主体的に見通しをもって生活できるように、体験を通して学んでいくことを求めている。

仲間と楽しく生活する中で生活習慣などを身につけていくことが想定されており、仮に集団での活動になじめない場面があったとしても、保育者が1人ひとりの気持ちに寄り添って援助する、そんな保育を「保育所保育指針」は求めている。

子ども主体の教育や保育観をもっと広げて

「保育所保育指針」の観点から考えても、有無も言わせず子どもを大人に服従させることは、「しつけ」でもないし「指導」でもない。

このことは、学校教育の世界でも議論されているが、日本では子どもを集団で統括し従わせる教育が長く行われてきた歴史があり、いまだに子ども主体の教育・保育観に納得がいっていない大人は多い。

このような精神風土にかかわる問題は、家庭での児童虐待、学校での体罰の問題ともつながっている。

(普光院 亜紀 : 「保育園を考える親の会」アドバイザー)