1990年代「BMW」を日本に浸透させたE36を回顧する
1998年のE46型にバトンタッチするまで、日本でのBMWの主力となったE36型3シリーズ(写真:BMW)
思い出深いBMWのひとつに、1990年に発表された3代目「3シリーズ」がある。コードネームからE36とも呼ばれたこのクルマは、適度にコンパクト。乗ればスポーティで運転が楽しく、ボディバリエーションも豊富だった。
本国ドイツでは、BMWセダンの売れ線は「5シリーズ」で、それよりひと回りコンパクトな3シリーズが日本でもっとも売れているのは、彼らからすると「意外」だったという。3シリーズは、日本によく合うのだ。
その代表例ともいえるのが、E36である。どこに魅力があったのか。30年の時を経た今、思い出してみよう。
20〜30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。
ドイツ人が驚いた日本での3シリーズ人気
BMWが初代3シリーズ(E21)を発表したのは、1975年。先に登場していた5シリーズ(E12)の4ドアボディに対して、セダンながら2ドアというのが特徴だった。ドイツでは2ドアセダンが好まれていて、適度なパーソナル性が評価されていた。
初代3シリーズとなるE21型。当初ヘッドランプは丸目2灯であった(写真:BMW)
初代のイメージが、少なくとも日本の輸入車好きには強烈で、スポーティな雰囲気の3シリーズを「憧れのクルマ」として見ていた人は、私だけではないだろう。今でも、BMWのイベントなどできれいな状態の車両が出てくると、「ほしい」とため息が出そうになる。
実は、「日本はめずらしいマーケット」だとBMWは評している。ヨーロッパはもちろん、お隣の韓国を含めて、世界の多くの市場では、5シリーズのほうが3シリーズより売れているからだ。逆にいうと、そんな日本だからこそ、3シリーズへの“思い入れもひとしお”なのかもれしれない。
日本では、サイズ的にも価格的にも、セダンは「5でなくて3」とする人が多かった。ただ、それでも初代はとにかく高価だった。BMWジャパンが1981年に設立されるまで、高嶺の花だったのだ。
1970年代のおわりに4気筒の320iで、価格はおよそ400万円。同時期の日産「スカイライン」(C210型、通称ジャパン)が100万円台で買えた時代である。「外国製だから高く売る」なんて、日本は後進的だったのだ。
2代目E30型もよく売れ、一時は「六本木カローラ」と揶揄されることもあったほど(写真:BMW)
今40代の人に、3シリーズのイメージを植え付けたのは、1990年に登場した3代目のE36だろう。凝縮感があって、ちょっとコンパクトだった2代目(E30)に対して、3代目のボディは伸びやかな雰囲気があった。
ヘッドランプが角形となったことやドアサッシュをフルドアタイプにするなどして一気に新しくなったE36(写真:BMW)
このころ、BMW車も価格が“まっとう”になり、現実的な選択となっていたのも、人気拡大に寄与した。3シリーズは、日本のプレミアムモデルに対して「より乗って楽しく」「より質感があり」「よりブランド性が高い」と、少しずつポジションが上がっていった。
GT-Rやセルシオが生まれた中でも
欧州車に対して、日本メーカーが“反撃”を開始したのが、1980年代後半から1990年代前半にかけてのこの時代。ご存じのとおり、日本のメーカーは、ドイツの高性能車をライバルととらえて、さまざまなモデルを送り出した。
スピードでいうと「スカイラインGT-R(R32)」などは上を行ったし、静粛性と乗り心地では「セルシオ(F10)」が光っていた。それでもE36には、このクルマにしかないものがあった。
E36のインテリアは、まだカーナビなど当たり前でなかった時代ならではの形状(写真:BMW)
私が覚えているのは、ひとつがハンドリング。サスペンション形式が、従来のセミトレーリングアームからマルチリンクへと変わったのだ。
フロントは従来のマクファーソン・ストラットのままだったが、古いかというと決してそんなことはなく、ハンドルを切ったときに車体がじわっとロールしていく感じが、ドライブしている自分の感覚によく合い、たいへん気持ちよかった。
当時、私が聞いたのは、BMW車の乗り味は、サスペンションシステムの設計に加え、使う金属の組成によるところが大きいということ。
それで独特の“しなり方”をする。そして、それがハンドリングにおける“味”になる。可能にしているのは、BMW社の“マイスターの腕前“とのことだった。
後日、ミュンヘンのBMW本社で確認したところ「あれは私たちが立ち入れない領域のワザなんです」とエンジニアが教えてくれた。マイスターの技量と感覚が、気持ちの良い走りを作り出す。人間の感覚が、クルマの乗り味を決める重要な要素なのだ。
日本では4気筒の318iからハイパワーなM3まで数種類のラインナップで販売された(写真:BMW)
今は、日本のメーカーでも評価ドライバー制度とでもいうべきものを作り、大切にしている。その人たちが、加速感や減速感、ハンドルを切ったときの動き、乗り心地、音などを判断して、トヨタ車、レクサス車、日産車……と、ブランドごとの個性を作っていく。私がそういうことに初めて感心したのが、BMWだった。
マニュアルで乗る318iSやハッチバックのtiも
もうひとつ、E36で印象的だったのは、モデルバリエーションの作りかた。4ドアセダン、2ドアセダンの後継となる2ドアクーペ、カブリオレ、ステーションワゴン(ツーリングとBMWでは呼んでいる)、それにパワフルなMモデルと、バリエーションが豊富だったのだ。
中でも、BMWのこだわりだと聞いたのは、2ドアモデル。4ドアとスタイリングイメージは近くても、ボディパーツの多くは独自設計だった。
クーペのボディはロングノーズ・ショートデッキを強調した独自のスタイル(写真:BMW)
一見するとボディのシルエットにのみ目がいくが、よく見ればボンネットは長く、トランク部分の形状も違えば、ドアもリアクォーターパネルも違う。ドイツ人などは、そこを評価する。
E36で2ドアクーペというと、「318iS」を思い出す。1992年に追加されたモデルで、特徴はDOHCヘッドを載せた1.8リッター4気筒エンジンにある。しかも、日本でもマニュアル変速機を搭載して、販売された。
軽い操作感のシフトレバーを握って、しゅんっと上の回転域まで回るエンジンのフィーリングを味わうのが楽しかったし、カーブでは軽いノーズゆえ、気持ちよく曲がってくれた。
1994年には、コンパクトとも呼ばれた「ti」というシリーズも追加された。E36クーペのテールを短く切ってハッチバック化した、独特なボディデザインのモデルだった。
ハッチバックとしたtiモデルは、のちに1シリーズへと進化していく(写真:BMW)
リアサスペンションが先代と同じ(当時は時代遅れとされた)セミトレーリングアーム形式だったのも独特。ノーズはE36クーペと同じというのが、かなり違和感のあるデザインである。
日本では「318ti コンパクト」が販売され、300万円を切る価格からBMWのエントリーモデルとしての役目を果たしたものだ。ステーションワゴンのツーリングが、日本には正規輸入されなかったのは、少々残念だった。
今「ネオクラシック」として
なにはともあれ、このE36・3シリーズにおいて、BMWはさまざまな試みをしていたといえる。
軽快なイメージが前面に押し出されていて、そこが競合するメルセデス・ベンツの重厚さと違っていたし、アウディの生真面目な技術至上主義とも差異があり、華やかな印象があった。
3シリーズはその後、フルモデルチェンジのたびに、どんどんボディサイズが拡大していった。大きな理由は、衝突安全基準。車体の変形部分を大きくして、万が一の際の乗員保護を図るためだ。
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E36で全長4210mm×全幅1698mmだったボディサイズは、最新の3シリーズ(G20)では全長4715mm×全幅1825mmにもなっている。
安全性能だけでなく走行性能においても、当然はるか上をいくのだけれど、扱いやすさの点では、E36に分があるのも事実。
車体が大型化する昨今、そのあたりもある種のノスタルジーに寄与しているのかもしれない。ネオクラシックやヤングタイマーとして、再評価される日も近いだろうか。
【写真】クラシカルな雰囲気も出てきた1990年代のデザインを見る
(小川 フミオ : モータージャーナリスト)