ホンダが途方もない直6を製品化したCBX1000の異様な人気!【このバイクに注目】(このバイクに注目)
アメリカの排気ガス規制マスキー法をクリアするため、2輪の開発ピッチを減速せざるを得なかったのが、1977年から一気に挽回する戦略戦術の急先鋒はCB750Kだった。
ところがヨーロッパではスポーティでないとの拒否反応。急遽ロングタンクで前傾ポジションのCB750F、続いてCB900Fを投入しての快進撃がはじまった。
そんな折りにCB750/900Fでも疑心暗鬼だったホンダは、世界中を圧倒するスーパーパフォーマンスのフラッグシップ・スーパースポーツを開発して万全を期することとなった。
着手したのは何と直6!(インライン6とかストレート6とも呼ばれる)。
1960年代に世界GPを席巻したホンダの、圧倒的優位さを象徴していたのが250ccのRC166が搭載していたDOHC6気筒。これぞホンダの強さを最も象徴したエンジンということで白羽の矢が立ったのだ。
当時も1960年代の世界GP人気は凄まじく、なかでも超精密な高回転高出力型エンジンのホンダ・サウンドに人々は痺れていた。
4ストロークの消音器のないメガホンマフラーから吐き出されるエキゾーストノートは、パドックでのウォーミングアップで「オンオンオンオン……」と忙しくスロットルを煽ると短いピッチの高周波サウンド。いわゆるバ行とかヴァ行の爆音ではない。
そして18,000~20,000rpmの超高回転から絞り出されるピークパワー……ホンダの6気筒にバイクファンは特別な思いを抱いていたのだ。
とはいえ、開発するのはフラッグシップの大排気量。1,000ccともなるとさすがに巨大なエンジンとなる。
幅広な燃料タンクの両側から、それぞれ外側の1気筒が上から見えてしまう途方もない大きさだ。
それでもクランクシャフトは両端が駆動系も電気系もない切り落とし状態。このためCB750/900Fより短く、シリンダーで上にいくほどワイドにはなっていたが、バンク角を左右で41.5°を確保できていた。
そしてシリンダー背面の左側にジェネレーター、同軸の点火系を右側へ振り分け、DOHCのカムチェーンは排気側カムシャフトをクランクから直接駆動、吸気側は排気側から駆動する7の字形で構成されていた。
気筒あたり4バルブで合計24バルブなど、どれも6気筒となると重量増に直結する。このため軽量化に最も苦労したという。
1次駆動はチェーンでジェネレーターを回す軸が、クラッチハウジングへギヤ連結される伝達経路。64.5mm×53.4mmのショートストロークで6気筒の合計は1,047cc。
105PS/9,000rpm、8.6kgm/8,000rpmで、ホイールベース1,495mmで乾燥重量246.7kg。
フレームは重量のあるエンジンのため、フロントにダウンチューブのあるダブルクレードルを予定していたが、せっかくの6シリンダーの前を遮るモノはなくしたいと、エンジンも強度メンバーとするダイアモンドフレームとなった。
ところがその巨大エンジン、ラィディングはさぞや大変な思いを強いられるだろうという先入観はまったく外れ、左右への大きな張り出しは低速域からヤジロベエ効果で安定感たっぷりで、リーンも軽快な足取りも弾むような運動性と、乗る人々をことごとく驚かせたのだ。
それよりインパクトはそのエンジン・フィーリング。
クルマなど詳しい方は直6エンジンがパーフェクトなバランスの良さで、まさしくシルキー・タッチの柔らかな震度のない回り方で、スロットルを捻るとシュワッという感触で吹け上がっていくのだ。
この他にはない、シックス(6)ならではの快感と快適さで、スーパースポーツというより高速ツアラーとして長距離ツーリングに向いているとされ、2年後のCタイプから大柄なウインドスクリーンと空力のプロテクション効果を優先したカウルを装着、オプションで純正のパニアケースも用意されるようになった。
ところが当時は1975年からスタートした、水平対向エンジンのGL1000から1100へと進化もあり、快適さを求めるならわざわざCBXに手を出さない……という当然の流れになっていったのだ。
しかし、レーサーレプリカ時代や、とてつもないパイパフォーマンスのフラッグシップ競争などを経ると、速さやコーナリングではなく、乗り味を楽しみたいという大人の趣味性に回帰するライダーが増えはじめた。
そうした6気筒の佇まいや独得なジェットフィールのサウンド、そして何よりシルキーな加速フィーリングに、絶版車をレストアするファンが急増。
いまやCBX専門のレストア・ショップも存在、コンプリート・マシンは希少なだけにとてつもなく高価だが、一度は手にしたいとウエイティング・リストに名を連ねるライダーで順番待ちの状態だ。