遠藤航は「雲の上の人という感じも全くない」 世界レベルに成長も変わらない“素の姿”【インタビュー】
古林将太の記憶に残る中学3年生の遠藤航との出会い
日本代表MF遠藤航は、世界的ビッグクラブのイングランド1部リバプールに移籍した2023-24シーズン、アンカーのファーストオプションとして活躍した。
18歳の頃からプロの世界でレギュラーを務め、チームの中心を担ってきた男は、かつて共闘したチームメイトにはどのように映っていたのか。湘南ベルマーレ時代の同僚である古林将太さんと島村毅さん(ともに現湘南フロントスタッフ)を直撃した。(取材・文=隈元大吾)
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湘南ベルマーレのアカデミーで育った元Jリーガーの古林将太さんの脳裏には、中学3年生の遠藤航との出会いが鮮明に刻まれている。自分より1つ年下の少年は、「遠藤」と記されたゼッケンを学校指定のTシャツの胸に付け、湘南ユースの練習に参加した。
古林さんが少年の名前をすぐに覚えたのは、ゼッケンだけが理由ではない。そのプレーに衝撃を覚えたからだ。
「びっくりしましたね」と昨日のことのように振り返る。
「練習参加したその日に紅白戦をやって、僕は航と同じチームになったんですけど、ユースの世代ではなかなか来ないような鋭い縦パスがセンターバックの航から僕にバチンと来たんですよ。その時に、うわ、上手いなって。すごく印象に残ってます」
才気あふれる後輩は、湘南ユースに入るとさっそく頭角を現した。同学年の岡粼亮平(現ブラウブリッツ秋田)とともに1年からセンターバックでリーグ戦に出場し、古林将太さんや菊池大介さんらチームの中心を担う2年生と共闘した。
「亮平と航は信頼されていたし、当時から心強かった。センターバックとして僕らの世代のユースを支えていました」
遠藤が残したインパクトは、縦パスだけではない。「守備の能力も高かった」と古林さんが紐解く。
「航は足が速いタイプではないし、身体がすごく大きいわけでもない。でもクレバーで、読みの能力や動き出しに優れていた。当たり負けしない強さも備えていました」
若かりし頃、古林さんにはもう1つ印象に残っている出来事がある。遠藤が高校3年生だった2010年、2種登録でJリーグデビューを飾った川崎フロンターレ戦のことだ。ボランチで先発した17歳は、1-3と相手に圧倒された前半をもってピッチを退いた。
その様子を間近で見ていた古林さんは、「落ち込んでいましたね」と回想する。
「ボランチではダメなのかな、みたいな感じが伝わってきた。でもその試合で控えだった僕からすれば、高3であれだけプレーできていることが凄いと思ったし、そこまで悔しがる姿も印象的でした」
少ない時間でアジャストする力は抜群
翌年、遠藤は湘南でプロのキャリアをスタートさせた。一方、古林さんは草津(現ザスパ群馬)に期限付き移籍した。
それから1年を経て、2012年に湘南で再会した後輩は、「間違いなく自信を持っていた」と古林さんが記憶するほどに、ユース時代とは異なる風格を漂わせていた。前年J2リーグで34試合にフル出場した経験も大きかったろう。年代別日本代表にも選ばれ、筋トレなど代表で行なっているメニューに取り組む姿も目にするようになった。
当時ともにプレーした島村毅さんも、古林さんと同様に遠藤の自主的な取り組みを目撃している。さらに島村さんは、その取り組み方に自身との違いを感じるという。
「僕も筋トレはガシガシやっていたし、シュートもヘディングも居残って練習していました。でも今思うと、自分の得意なところばかり伸ばしていたかもしれないし、無駄な練習も多かったかもしれない。その点、航は自分に必要なものを必要なだけトレーニングしていたんじゃないかなと思いますね。僕らから見たら最短距離を行っているように思います。浦和(レッズ)だったり、シュツットガルトだったり、移籍して最初からチームの中心というわけではないと思うんですけど、そこで自分に必要なことを分析し、少ない時間でアジャストしていく能力が高い。つまり考える力が飛び抜けているんじゃないかなと思います」
プレーの面でも忘れ得ぬ記憶がある。遠藤と対峙した1対1の練習だ。
「僕も身体が強いし、一瞬のキレには自信があったので、絶対抜けると思ってやるんですけど、いつも勢いを止められて航の間合いで止められてしまう。だから正直試合の時は、自分が抜かれても航が止めてくれると思っていたし、実際奪ってくれました」
かように遠藤は常に自己分析を弛まず、ステップアップを重ね、そして今なお世界を舞台に進化を続けている。反面、「いつ会ってもかしこまることなく、雲の上の人という感じも全くない」と島村さんが楽しげに語ったように、あるいは古林さんが「凄い活躍をしてますけど、会えば普段の素の航でいてくれる。嬉しいですね」と目を細めたように、その内面は10代の頃と変わらない。
2人はクラブOBとして今後にも想いを馳せる。「帰って来てほしいですね」と島村さんが言えば、「もしまた一緒に仕事をする日が来たら、航の右親指ぐらいになれれば……」と古林さんも笑みを浮かべる。もちろん先のことは分からない。何より、今後を想像し得ないほどに、その歩みはまだまだ止まりそうにない。(隈元大吾 / Daigo Kumamoto)