橋爪功ら8名の出演者が、“自死”の是非をモチーフにしたシーラッハの戯曲『GOTT 神』をリーディングシアター形式で上演
パルテノン多摩企画製作・主催、2024年10月11日(金)~14日(月祝)パルテノン多摩 大ホールにて、フェルディナント・フォン・シーラッハ作の戯曲、『GOTT 神』のリーディングシアター形式での上演が決定した。
刑事事件を専門とする弁護士でもあるシーラッハが、2009年に自らの事務所で扱った事件をベースに創作した短篇集『犯罪』は瞬く間に450万部を越えるベストセラーとなり、世界30か国以上で翻訳された。14年には、一般乗客を乗せた旅客機をテロリストが乗っ取り、7万人を収容したサッカースタジアムに突っ込もうとしたことから、164人の乗員の旅客機を撃墜した空軍少佐が有罪か無罪かを審議する裁判を描いた初の戯曲『テロ』を上梓。同作は観客から有罪か無罪の投票を募って、その結果によって判決が下るという斬新な戯曲で、日本でも達者な出演陣によって各地で大好評を得た。
そしてこの度、シーラッハの最新戯曲『GOTT 神』(日本では翻訳書が昨年刊行)をリーディングシアター形式で上演する。演出は、ミュージカルからストレートプレイまで様々な作品を意欲的に創作している石丸さち子。作品世界と人物を深く演出すると定評のある石丸が、シーラッハの戯曲を初めて演出する。
出演は、13年に処女作『犯罪』と『罪悪』を続けてソロ朗読劇で演じ、『テロ』は16年に朗読で、18年にはストレートプレイとして神野三鈴、松下洸平、今井朋彦ほかと共演し、空軍少佐の弁護士・ビーグラー役を演じた橋爪功が、自死を望む老人の弁護人として、『テロ』と同じビーグラー役を演じる。
裁判劇であった『テロ』と異なり、本作では倫理委員会主催の討論会に各界の参考人たちが集まり、自死や、医師によるその幇助を巡っての是非を討論をする形式となっている。確信をもって意見する者もあれば、意見はあるものの確信とまでは言えない者、三者三様にさまざまな角度から“自死”について語る中で、何が見えてくるのか。あるいは見えてこないのか。
『GOTT 神』でモチーフとなるのは“自死”の是非。倫理的に、また宗教的にも長きにわたってタブーとされてきたテーマだが、人生100年時代と呼ばれるようになり、少子高齢化が進む中、我々はそのことに正しく向き合うべきではないかとの声が聞かれるようになってきたことも事実。命とは誰のものかという深遠なテーマを問いかける。
このテーマを論ずるにあたり進行役の倫理委員会委員長役には、多彩な作品への出演や音楽活動のほか、石丸が昨年演出した『オイディプス王』で、ゆるぎない演技力とカリスマ性を以って主演を務めた三浦涼介。若き倫理委員会委員で、様々な角度から識者に質問を投げかけるケラー役に、先日来実の親子共演でも話題になっている『Le Fils 息子』再演で、初舞台であった初演から高めてきた実力を如何なく発揮する岡本圭人。神学の立場から死を語る司教ティール役に、秀作舞台出演が多く、今夏の文学座『オセロー』イアーゴー役も注目され、昨年の『オイディプス王』に続く石丸演出作に出演となる実力派、浅野雅博。法律家の立場から死を顧みる参考人のリッテン役に、ミュージカル『SMOKE』での好演が記憶に新しく、5月に公開が予定されている映画『邪魚隊/ジャッコタイ』に出演する石井一彰。眼科医ブラント役には、倉持裕主宰の“ペンギンプルペイルパイルズ”に所属し、舞台、ドラマ、映画に活躍する玉置孝匡。医師たるもの死を幇助することは許されないと主張するドイツ連邦医師会の執行役シュぺアリング役に、橋爪功という大きな背中を追いかける演劇集団円の後輩、瑞木健太郎。そして、心身共に健康体でありながら妻が亡くなってしまった現在の世界を受け入れられずに自死の幇助を医師に求める老人リヒャルト・ゲルトナー役は、今や演劇界の重鎮のひとりでもある山路和弘が演じる。
なお、本作でも『テロ』と同様、一幕と二幕の間の休憩時間には、演じられたその討論を見聞きした観客による投票が行われる。
“生きなければならないとの法的義務はない“、”医師には命を守る原則がある“、”国民には自ら死を望む権利がある“、などのさまざまな角度からの命、また死というものへの意見が飛び交う中で、最終的に判断するのは観客という設えの注目作となっている。
【STORY】
78歳の元建築家ゲルトナーは心身共に健康であるが、愛妻を亡くし今後は生きる意味はないと考え、医師に 薬剤を用いた自死の幇助を求めている。
ドイツの倫理委員会主催の討論会が、ベルリンのブランデンブルク科学アカデミーで開かれ、法学、医学、神学の各分野の参考人、ゲルトナーの主治医や弁護士が意見を述べ合い、活発な議論が展開される。
死を望むゲルトナーの意志を尊重し、致死薬を与えるべきか否か……
個が尊重される西洋社会でこそ生まれる「死ぬ権利」をシーラッハは非科学的な世界と科学的な世界で対比させる。ティール司教は「生きるか死ぬかを決められるのは神だけだ」と主張するが、ビーグラー弁護士は「どう生きて死ぬかの決定を委ねられているのは人間自身」と断言する。
医師による自死幇助の是非について観客が投票する緊迫感と親近感が交差する注目作。
演出:石丸さち子 メッセージ
舞台は、独倫理委員会主催の会議の場。公開の討論会が行われます。
議題は、ゲルトナー氏の訴えに端を発します。妻を喪い、死を選びたい彼に、医師は致死量の薬品を処方できるか否か、処方すべきか否か。
討論しあうのは、医師、法学者、医師会役員、カトリック教会の司教、そして、ゲルトナーの弁護士、ビーグラー。
日本では「安楽死」と呼んで一様に語られることが多いのですが、この討論では、自殺幇助、嘱託殺人、延命措置の中止による消極的臨死介助、死に至る薬を処方する積極的臨死介助、と、高齢者の命の価値、と、様々な観点から語られていきます。
……いかめしい漢字ばかり並んでしまいますが、どれもとても身近だと思えます。
スイスの臨死介助組織に、自らを託す方々のニュースを御覧になって皆様、どう感じられたでしょう?
自らの人生の幕引きを決定する自由意志、命の選択権は、誰にあるのでしょう?
ここから、討論は、タイトルになる「神」の意志についてに移行していきます。
死について語ることは、どう生きるかについて語ること。
そして、他者の人生にどう向き合うかを語ること。
劇場では、この公開討論を聞いた上で、実際にお客さまに意見の投票をしていただきます。
橋爪功さんを中心に、今を生きる様々な年代の素晴らしい俳優陣と、この作品を読み解いていけることを、僥倖と感じています。