ネパール人が経営するインドカレー屋「インネパ」。「インネパ」として日本で暮らす人々のリアルについてジャーナリストである室橋裕和さんに話を聞きました(写真:chitorin/PIXTA)

ネパール人が経営するインドカレー屋は、「インネパ」と呼ばれ、ここ20年でその数が激増している。なぜネパール人が経営しているのか、どうして増えたのか。そんな、インネパの疑問を解き明かしたのが『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』だ。ジャーナリストである室橋裕和さんが、3年の月日をかけて完成させた本である。

前編では、

・インネパ増加の背景には、インドカレー店で働くことの多かったネパール人が独立したことや、日本でのバックパッカーブーム、特にビザ改正に伴うブローカーの増加など、複合的な要因があったこと

・目立った産業がないネパールでは国外で働くことが夢のようになっていて、それが日本への出稼ぎを促していること

・インネパのメニューがバターチキンカレーや食べ放題ナンのように「コピペ」であることが多いのは、借金を抱えて日本に来たり、金銭的に苦しい下積み生活を送ったゆえに、「絶対に失敗したくない」というネパール人の切実な思いが反映されていること

などについて伺った。

後編では、インネパとして日本で暮らす人々のリアルについてお話を伺う。

なぜ、日本外国人を取材するのか

そもそも、室橋さんがインネパに興味を持ったのはなぜだったのか。

「僕は30代の10年間をタイで編集記者として暮らしたんです。タイには大きな日本人コミュニティがあって、僕が働いていたような日本語の情報誌もあるくらいで、生活にはほとんど不自由はなかった。

2004年から2014年あたりまでタイにいましたが、帰国したとき、渡航する前よりはるかに外国人の数が多くなっていて驚きました。そこで、日本に住む外国人の生活はどうなっているのかが気になったんです」


『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』を上梓した室橋裕和さん(編集部撮影)

こうして、日本に住む外国人について調べ始めた室橋さん。その中でインネパを意識したのは、ある取材のときだった。

「夜間中学の取材をしていたんです。いま夜間中学って外国人が日本語を学ぶ場にもなっているんですが、そこに通っていたことがあるというネパール人が『カレー屋の子供は皆、いろいろ抱えているんです』と言っていたんです。

彼は親が『インネパ』の経営者だったんですが、忙しすぎて全然子どもに構ってくれないなど、なかば自虐的にそうしたことを言うんですよ。その言葉が気になった」

こうして室橋さんはインネパの取材を始めることとなった。

「取材を始める前、僕はインネパについては、カレーが安くていいな、ぐらいに思っていました。でも、取材を続ける中で、そうしたインネパの中にも切ない部分があることがわかり、あの夜間中学に通っていた彼が言っていたことの意味もだんだんとわかってきました」

厳しい状況に置かれるインネパの子どもたち

実際、取材の中でわかったのは、インネパの子どもが置かれている厳しい状況だった。

「ネパール人の中には『家族は一緒にいるべきだ』と思っている人も多い。だから、親が一人で日本にやってきて、生活が安定するとすぐに家族を呼ぶわけです。

でも、子どもがもう中学生ぐらいになっていると、日本語を自然に覚えられる年齢ではないですから、学校の授業はほとんど理解できない。それで友達もできずに学校を辞めて、だんだんと悪いほうに転がっていく……なんてことはよくあります。親の教育水準も十分でない場合が多く、後先を考えず、すぐに呼び寄せてしまうんです」


インネパで働くネパール人たちは、このような所から、日本を含む世界じゅうに出稼ぎしている(写真:室橋さん提供)

インネパの子どもの増加に伴って、現場への負担も重くなる。

「いくつかの学校を見ましたが、先生方が疲弊しています。あまりにも外国人が増えすぎ、かつ多国籍になりすぎてどう対応していいかわからない」

筆者の友人にも、夜間高校で働く教員がいる。彼女のクラスは、生徒5名のうち、3名が移民の子で、中にはネパール人の子どもがいるという。その友人は国語教員なのだが、言葉もおぼつかない移民の子ども相手に『羅生門』や古文を教えなければならない悩みをよく聞かされていた。また、学習指導以前に、生活指導で割かれる時間も多く、現場の多忙さは度を越しているものだった。

こうした問題は、移民の側だけにあるわけではないと、室橋さんは強調する。

「この問題は行政が本当に対策をしっかりしないと、のちのち、大変な問題になると思うんです。彼らが大きくなって、日本語が中途半端な状態で社会に出てどうなるのか、ということを考えてしまいます」

日本に連れてこられたインネパの子どもが不幸になってしまう事例が多くあることから、近年では、子どもを本国に置いたまま日本で働くネパール人も増えているという。

「増えているのは、両親だけ日本に来てネパールに仕送りするパターンです。こうした状況では、子どもはネパールにいる祖父母が面倒を見ています。僕は、インネパの人々の出身地が多いバグルンに行ったことがありますが、そのとき、祖父母と子どもだけで住んでいる家が多かったのも印象的でした。祖父母はいても、親の愛情に飢えている子ばかりです」

両親二人が日本で稼げば、ネパールではそこそこのお金になる。こうして日本で稼いだお金を本国に仕送りするパターンも増えているのだ。そんな中、室橋さんが印象的だったことがあるという。

「本当は仕送りしないといけないのに、その分を飲み代に使ってしまったり、フィリピンパブにはまったり、という人間らしいエピソードも聞くこともありました。特にネパール人などがフィリピンパブにはまるのは、外国人労働者の多い北関東ではよくある光景みたいで、最初は日本人の同僚に連れていかれて、気付いたら自分もはまっていた……ということがよくあるらしい」

また、こうしてはまったパブで、女性に騙されたり、逃げられたり、そんな「やらかし」エピソードも、室橋さんはたくさん聞いてきた。

「頑張って日本で働いて、やっとの思いで国に帰ってきたら、置いてきた妻が他の男と結婚していて、家族のために建てた家が自分のものでなくなってしまった、なんてエピソードもありましたね」

新大久保という場所で「人間」として外国人に接する

室橋さんは現在、新大久保を拠点に活動をしている。新大久保は、さまざまな国籍の人が暮らし、店を出している。リアルな外国人の生活に室橋さんは触れてきた。だからこそ、生身のインネパの姿を聞き出せているのかもしれない。室橋さんは外国の人へのインタビューについてこう述べる。

「外国人は、かなりフレンドリーな人が多いです。日本人を取材するよりやりやすいというか、気楽ですね」

また、こうしてさまざまな人に話を聞く中で、別の移民の人を紹介してもらえる機会も増えた。

「やっぱり人の紹介の力は、日本社会よりも強いんですよ。特に外国で商売してる人たちはみんなそうです。昔から日本で同じように商売をしている友達同士とか、そういう人が言うならいいよ、みたいな。早い段階で日本にやってきたネパールの人の中には、色々なことがあったからでしょうが、昔のことを話したがらない人も多い。でも、そういう人も話をしてくれたのも、やはり人の紹介の力だったと思います」

さまざまな外国人の人の話を聞く中で、室橋さんはこう主張する。

「一方ではネパールの厳しい現状の中で、重症の家族のために身を粉にして働いている。でも、もう一方では、お酒を飲んでベロベロになっている。ネパールの人たちも、良いところと、悪いところのある、『人間』だと深く思いました」

移民を「人間」として見る目線こそが大事だ

室橋さんは、この、外国人の移民を一人の「人間」として見る目線が大事ではないかという。

「当然のことですが、彼らも働くときは働くし、さぼるときはさぼる、人間なんです。そういう、良い面と悪い面の両方がある。

日本での外国人に対する見方は二極化していると思います。すごく危険な犯罪者だから全員出て行くべきだ、という意見がある一方、とてもかわいそうで保護すべき弱者なんだ、という意見もある。この、どちらかだけになってしまっています。


でも、この2つはどちらとも、外国人を「人間」扱いしてないですよね。かたや「危険なモンスター」だし、かたや「捨てられたかわいそうなペット」のような存在として外国人を見ている状況です。外国人を「人間」として見たり、描いたりすることが必要だと思います」

たしかに『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』には、室橋さんがリアルなネパールの人々と交流する中で見えてきた、彼らの良い面と、悪い面が刻み込まれている。当然のことながら、インネパと一口にいっても、その内実は多様で、簡単に書き切れるわけではない。

清濁併せ呑んだ、室橋さんの視点が、インネパの実情を浮かび上がらせているのかもしれない。

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)