「親との関係を振り返ることは実は前向きなこと」父親の不在、毒親、AC…コロナ禍後の“家族の行方”を見つめる〈信田さよ子〉

カウンセラーの視点で現代人の心の問題を発信してきた信田さよ子さん。とくに母と娘、家族をテーマにした著書は多くの読者に支持されている。去年9月に刊行された『家族と厄災』も現代の家族がテーマ。タイトルにある「厄災」とは新型コロナウイルスのパンデミックのことであり、家族とコロナの関係をリアルタイムで考察した一冊だ。信田さんに話を聞いた。

コロナ禍はカウンセリングに何をもたらしたのか

「ウェブに連載したものをまとめたんですが、連載そのものがコロナの始まりからだったので、どこにも行けない、外にも出られない中で、私自身の身の回りのことを書くところから出発しました。というのも、カウンセリングという仕事自体を続けていけるかどうかも不安だったんです。原宿カウンセリングセンターを移転したのが2020年1月。引っ越してすぐにコロナの流行が始まったので、変化に対応するのに必死でした」

2020年3月の東京の様子 写真/Shutterstock.

信田さん自身が置かれた環境も変化し、同時にカウンセリングも対面からオンラインへと移行した。

「私、仕事上では適応能力が高い人なんですよ。どんな環境でも困らない。人間関係でもね。そこは本当に私の唯一の誇れるところなんです(笑)。オンラインでカウンセリングを実施することにもすぐに慣れましたね。さきほどもオンラインで一件カウンセリングを実施したところです。いまも4種類のグループ・カウンセリングは全部オンラインで実施しています。」

公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さん

カウンセリングを受ける側はオンラインで困ることはなかったのだろうか。

「2020年、グループ・カウンセリングをオンラインで始めたばかりの頃は、メンバーの女性たちは車の中から参加していました。多くの男性たちは妻が外部の自分の知らない人と関わるのをいやがって、家の中でやることを許さないからです。ひどい話なんですけどね。

また子どもに聞かせたくない、聞かれたくないという女性も多かったので、そのひとたちはカラオケボックスを使って参加しましたね。そういう妻の姿を見て夫がようやく『じゃあ、うちでやったら』と言うようになりました。別にそれをありがたがる必要はないですけど、彼女たちがオンラインをきっかけに、家庭の中に自分の時間と空間を持てるようになったという効果はありましたね。

それに何より遠方の人が参加できる。北海道から沖縄まで。ヨーロッパから参加した人もいましたね。私のACの本を読んでグループに参加したいって人の中には、ドイツとかフランスに住んでるひともいますから」

ACとグループ・カウンセリングの現在地

ACとはアダルト・チルドレンのこと。もともとはアルコール依存症の親のもとで育って大人になった人を指していたが、その後、自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人のことを指すように広がっていった。

信田さんは1996年に『「アダルト・チルドレン」完全理解』を出版し、この言葉を一般に広めた一人である。なお、同書は2021年に『アダルト・チルドレン――自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す』として新版が刊行されたロングセラーになっている。

『アダルト・チルドレン――自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す』(学芸みらい社、2021年)

ACという言葉は、子どもは親からの被害者であるということを初めて明らかにした。親子関係、夫婦関係といった家族の問題は信田さんのライフワークとも言える。

「一般的な臨床心理学って家族よりも個人なんです。もちろん少しは扱いますが、びっくりするくらい家族を扱わないんですよ。でもこんなに家族で苦しんでいるひとが多いのに、臨床心理学が家族の問題に取り組まなければ一般の人には受け入れられないだろうと思いました。

それは私の仕事の出発点がアルコール依存症だったからです。依存症の問題は、本人というより周囲の家族を苦しめるんですね。本人はとにかく飲んでいればその時は安泰なんですから。だから『まず家族を』というのが依存症の臨床では当たり前でした。そんな私から見て、臨床心理学が個人の心(内面)を扱うだけでは、不十分ではないかと思ったのです。

こうやって公認心理師であり臨床心理士である私が家族を積極的に扱うのは、私の野望だったのかもしれませんね。」

アルコールのイメージ 写真/Shutterstock.

個人の病理の背景に家族がある。このことはいまでは広く共有されているが、ほんの四半世紀前まではそうではなかった。今でもそのような姿勢に対しては、「家族のせいにする」という反論も大きいのも事実だ。依存症ばかりではない、現代では多種多様な問題が起きている。しかし、家族という切り口でそれらをとらえていく視点は、今でもそれほど一般的ではない。

「お子さんに問題が起きたお母さんたちのグループカウンセリングでは、名門中学に合格した息子が引きこもってもう15年、20年っていう母親も参加しています。彼女自身が自分の人生って何だったんだろうって思うんですよ。世間的には子育てにて失敗したというスティグマを抱え夫からは『過保護な母』が息子をだめにしたって責められる。子供からはなぜ僕を産んだって責められる。ほんとうに四面楚歌ですよね。こんな中を彼女たちは生きているんです。

あまり語られませんが、問題の起きた子どもの家族に共通するのは、両親の夫婦関係が終わってるってことですね。これは本当にひどい。彼女たちは期待を裏切られてきましたので、夫はATMだと思ってます。あとはせいぜい運転手でしかない」

家族における「父親」の無責任さ、不在のワケ

子供の教育は母親の責任、という考え方は昭和の価値観かと思っていたが、令和にも生き残っているらしい。父親は自分にも子育ての責任があると感じないのだろうか。

「父親たちのグループ・カウンセリングを15年間実施していました。引きこもりや摂食障害、薬物依存症など、さまざまな問題を抱えた子どもの父親たちです。

子供たちが、父親や母親のの期待に添えずにいることでどれだけ自分を責めているかという話をした際に、彼らはすぐさまノートを取り出して『親の期待に添えない自分を責めている』ってメモするんですよ。どこか学校の授業を聞いてノートをとるような雰囲気で、それによって自分がどうかという回路は遮断されてるんですね。他人事なんです。

家族における父親の問題について語る信田さん

だから聞いてみました、『五十何年生きてきて、ご自分を責めたことありますか』って。すると『え?』って顔をして、『自分を責めるんですか?そんなことないです、ないです』って首を振るんですよ。それはショックでした。その父親だけかもしれないと思って隣の父親にも尋ねると、『僕もです』と。

その後わかったことは、グループに参加している8人ぐらいの父親全員が自分を責めた経験がないということでした。さすがに驚きました。高学歴で社会的にはそれなりの地位の父親たちばかりですよ、たぶん彼らはリベラルな思想で政治を批判してきたんでしょうが、その刃が自分に向かうことがなかった。日本の民主主主義って何だったんだろう。

一番まともなのは、自分を責めて責めて引きこもってる子供ではないか、母親だって子育てに関して毎日自分を責めてますし。そうなると。一番変なのは父親だったんじゃないか、そう思いました」

私も父親なので信田さんのことの指摘は他人事ではない。そういえば、『家族と厄災』を含め、信田さんの著書では母と娘の問題が取り上げられているが、夫や父親はどこにいるのかなというほど存在感が薄い。

「母娘の間での問題がこんなに浮上するのは、裏側に父の無責任、父の不在があるということなんですよ、と講演などの場で話すんです。すると、聞きに来ている中高年の男性たちが、それを神妙な顔でメモするんですよ。その何とも言えない感じ。う~ん、何なんでしょうか、あれは」

メモを取る男性のイメージ 写真/Shutterstock.

『家族と厄災』の中では、在宅勤務になった夫に対して妻が抱くもやもやについてのエピソードが紹介されている。政治家の謝罪と重なるような「責任逃れの話法」が使われ、不満を述べる妻を「それはあなたの主観でしょ」攻撃し、「定義権の収奪」さえ行われているというのである。これもまた思い当たる方は多いのではないか。

「私、娘から性虐待の加害者だと訴えられた父親に何人も会ってきましたけど、そうなったときにはさすがに自分事として考えるだろうと思って、ちょっと緊張しますよね。でもそこですら彼らは切り抜けるんです。『かわいそうに、そんな嘘までつくような病気なんですね』と。娘の虚言だと主張するんです。あるいは逆に『自分が悪かったんです』と繰り返して、そんなことをした自分は病気じゃないだろうかと言う。精神科医を受診しますと言って私の前から姿を消すんです。病気のせいにすることで責任逃れができますから」

父と母のことを振り返ることはやったほうがいい

自分に向き合おうとしない男たちは絶対的な「悪」である。しかし、それを「悪」とだけ呼んだのでは不十分であり、むしろ問題を隠してしまうかもしれない。たとえば「毒親」という言葉。家族の中の問題をあぶり出す言葉ではあるが、信田さんはこの言葉を自分からは使わないと言う。

「私、あんな嫌な言葉はないと思っています。毒親は相手を定義する言葉。なおかつ、毒とののしることで何かをなした気分になり満足してしまう。それが危険だと思っています。だから、原宿カウンセリングセンターのスタッフはもちろん、来談されるクライエント(相談者)も誰一人毒親という言葉を使いません」

毒親が相手を定義するのに対して、AC(アダルト・チルドレン)は自分が受けた被害を認知する言葉。ゆえに『家族と厄災』の中で、ACは親からかけられた言葉の呪い(「あんたは結婚したら絶対に不幸になるから」など)を解く言葉なのだと書いている。そして、毒は親なのではなく、「親を許せない」という言葉を禁じるこの国の常識(マジョリティ)なのだと(「第5章 親を許せという大合唱」)。

『家族と厄災』(2023年、生きのびるブックス)

「親との関係もそうですが、性虐待でも同じようなことがあるんですよ。被害を訴えると、『あなたの考えすぎよ』とか『たいしたことじゃない』と言われるわけです。それが社会の常識なんです。だから、1回訴えて信じてもらえないと、もう2度と言わなくなる。そうやって抱え込んでいく。それは男女問わずあります。旧ジャニーズ事務所の性加害の問題を見てもそう思いますね」

信田さんはこれまで『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』など、主に女性に訴えかける著書が多かった。しかしコロナ禍の最中に大きな話題になった『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』は、性別を問わず反響が大きく、いまも版を重ねている。コロナ禍によって、家族と社会の問題があらためてクローズアップされているのだと思う。そこで、私自身の興味もあり、こだわるようだが、男性読者に伝えたいことを信田さんに聞いた。

「親との関係をちゃんと見直してほしいですね。とてもいい親だったということでもいいし、どんな親のもとで頑張って生きてきたかでもいい。もちろん、大嫌いな親だったでもいいですけど。親との関係を振り返るのは実は前向きなことなんです」

信田さんは、『家族と厄災』で歴史学者の加藤陽子さんの言葉を引き、古代ギリシアでは過去と現在は前方にあって見ることができるが、未来は後方にあるから見えないと考えられていたと書いている。

「過去を振り返ることを、ネガティブだとか、後ろ向きだと言うのは間違っています。後ろにしか未来はないって思ったほうが実はポジティブなんですよ。自分と向き合う経験の乏しい男性にこそ、自己啓発的な、新自由主義的な言説に惑わされずに、親との関係を見直して、自分がどうやって育ってきたのか、これからの人生で何が本当に大事なのかを見直してほしい。男も女も等しく親の子供だから、自分の父と母のことを振り返ることはジェンダーに関係なくやったほうがいいと思いますね。男性にはそれを一番言いたいです」

これからどう生きるかのヒントは、これまでどう生きてきたかにしかない。コロナ禍が落ち着き、社会生活が進み出したからこそ、信田さんの言葉をかみしめたい。

取材・文/タカザワケンジ

撮影/内藤サトル

※本文は雑誌『kotoba』2024年冬号に掲載された「kotobaの森 著者インタビュー」を、加筆修正したものです。

『家族と厄災』

信田 さよ子

2023/9/20

2090円

単行本 ‏ : ‎ 192ページ

ISBN:

978-4910790114

非常事態の水面下で起きていたこととは。

新たな危機がやってきたとき、起こりうることとはーー。

パンデミックは、見えなかった、見ないようにしていた家族の問題を明るみにした。

家族で最も弱い立場に置かれた女性たちは、どのように生きのびようとしたのか。

家族問題に長年たずさわる臨床心理士が、その手さぐりと再生の軌跡を見つめた。社会の変化を視野に入れ、危機の時代の家族のありようを鮮烈に描写したエッセイ。