6度の保留で“銭ゲバ”と酷評 無言の2時間は「地獄ですよ」…前代未聞の契約更改
G.G.佐藤氏はルーキーながら契約更改交渉で保留「今でもいないと聞いている」
西武やロッテなどで活躍し、「キモティー!」の決めゼリフで人気を得たG.G.佐藤氏(本名・佐藤隆彦氏)はプレーだけではなく、契約交渉でも注目を集めた。Full-Countのインタビューで、当時の“銭闘”事情を赤裸々に語った。
1年目の2004年は45試合で打率.298、3本塁打8打点だったが、登録名と明るい性格で人気者に。チームの露出にも貢献した自負があった。年俸700万円(金額は全て推定)のシーズンを終えて臨んだ初の契約交渉で、提示された額をいきなり保留した。
「詳しい金額は覚えていないけど、3回保留したと思います。球団の方から『それでいいのか?』と聞かれましたけど、全然いいです、と。足元を見られたくないというか。言いたいことは言おうかなと思っていました」
今でこそ契約交渉前に球団側と選手の下交渉が行われ、提示額の内訳や評価などを確認する球団が多いが、「当時は下交渉もなかったから、保留選手も数人はいた。ただ、新人で保留したのはプロ野球史上初めてだったと言われました。今でもいないと聞いていますよ」。公称900万円でサインしているが「確か数十万円上がったんじゃないかな」と振り返った。
越年で年俸調停寸前までいくも…NPB関係者の説得で事態は収束へ
大騒動となったのは初のレギュラーを獲得し、136試合で打率.280、25本塁打69打点を残した4年目、2007年のオフだった。6度も保留し越年。球団初の代理人を立てての交渉にも発展し、年俸調停寸前までいった。この年の年俸850万円からの提示額は「3500万円くらい。希望額の3700万円まで、大きな開きはなかったんです」と明かす。
「断固として上げないと言われたんです。話が一向に進まない。お互いに無言で2時間くらい。地獄の時間ですよ。どうせいつかは折れるでしょ、と思っていたようだけど、こっちは絶対に折れなかったですね」
両者一歩も譲らない“戦い”となったが、佐藤氏によれば球団側が年俸調停の申請手続きを進めようとした際に、日本野球機構(NPB)の担当者が「希望額を出してあげましょうよ。来年から(打線の主軸の)カブレラ、和田選手が抜けるんでしょ? GGさんに期待するしかないんだから」と説得したことで終結。佐藤氏は3700万円でサインした。
「今では早くサインしておけよ、と思います。当時は“銭ゲバ佐藤”なんて言われていましたからね。でも、プロの世界は商品価値がなくなったらクビになるんだから、結果を残した年はしっかり自分の主張はしたほうがいいと思います。結果を残せなかったらガッツリと下がるわけだし」
プロとして確固たる矜持を貫いた佐藤氏。前代未聞の“銭闘”を終えて迎えた2008年シーズン、佐藤氏はついにプロ野球人生の運命を変えた北京五輪に挑むことになる。(湯浅大 / Dai Yuasa)