国内の結核患者「外国出生者の割合増」が示す意味
結核とグローバリゼーションの関係について、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長を務めた尾身茂医師(結核予防会理事長)に話を聞きました(写真:Ryuji/PIXTA)
2022年、世界で最も死亡者数の多かった感染症――といえば新型コロナだが、それ以前は結核であったことはご存じだろうか?
アジアやアフリカの低〜中所得国を中心に、今なお猛威を振るう結核。患者の咳やくしゃみによる飛沫から水分が蒸発した飛沫核を吸い込むことで、ヒトからヒトへ伝播する(空気感染する)感染症だ。
新型コロナが2類相当から5類に移行したのに対し、結核はSARSやジフテリアと同じ2類に属する。国としては、結核をいかにリスクの高い感染症だと捉えていることがうかがえる。
2021年に「低蔓延国」になった日本
欧米の先進国が早くからWHO(世界保健機関)の定義する低蔓延国(罹患率人口10万人に対して10人以下)になったのに対し、日本では2021年に初めて低蔓延国入りを果たしたばかり。
長年の対策が実った結果だが、手放しで喜べる状況とは決していえない。
「グローバリゼーションの時代には、人やモノの往来によって海外で広がっている感染症が、いつ日本に来てもおかしくない」と話すのは、22年から公益財団法人結核予防会理事長を務める尾身茂医師だ。
その上で、「世界が結核をある程度制圧しないことには、日本でも常に感染拡大のリスクがあると思ってほしい。日本では“結核は既になくなった病気”という認識を改める必要がある」と指摘する。
実際、結核の感染対策が功を奏したニューヨークでも、その対策を緩めた後、再び感染者が増加した。
外国出生者の患者の割合が増加
日本は低蔓延国になったとはいえ、2022年に登録された新規の結核患者は1万人を超える。とりわけ、近年注目されるのが、外国出生者の患者の割合が増えている点だ。
インバウンドがもたらす恩恵を考えるまでもなく、グローバリゼーションの波は否応にも押し寄せる。大切なのはいかに人の流れを止めるかではなく、ともに乗り越えるかの視点だろう。
「結核の統計(公益財団法人結核予防会)」のデータより。ウェブはこちら
「結核は、どこでも誰でもかかる可能性がある病気」だからこそ、結核予防会含め、日本が取り組んでいることがある。
その1つが、外国出生者が母国を出国する前に行うスクリーニング検査だ。検査で結核にかかっていないかを調べ、仮に見つかったなら、治療をしてから来日してもらう。
ただ結核は、後述するが感染から発症までの潜伏期間が長い。国を出るときは発病してなくても、日本に来て発病することは十分に考えられる。
その際には、「すぐに帰国してくださいだなんて言わないで、日本でしっかりと必要な治療を提供する。治療や予防に実績のある日本だからこそ、世界の中で果たせる役割がある」と尾身医師。
結核の怖さは尾身医師の言葉を借りるなら、「人に警戒心を与えない」だろう。そこが、感染すればもれなく発症して死に至るエボラ出血熱のような感染症と異なる。
結核に感染した人が実際に発症するのは、全体の30%程度だ。そのうち10%は感染してから半年〜2年以内に発症するグループで、若者もしくは一度も感染していない人が主。20%は数年〜数十年経って免疫力が落ちてきたところで菌の力が勝って発病するグループで、高齢者に多い。
結核のもう1つの怖さは、症状がわかりづらいことにある。
結核の症状は軽い咳や痰で、2週間以上続く。高齢者は免疫の反応が弱いためこうした症状は出ず、何となくだるい感じが長く続くこともある。
結核菌の電子顕微鏡写真(提供:公益財団法人結核予防会結核研究所)
薬が効きにくい、やっかいな菌
結核の怖さの3つめは、薬が効きにくいという点だ。結核菌は酸に強い抗酸菌に属するため、細菌の壁が厚い。おまけに結核はしたたかで、1つの薬では耐性(薬に対する抵抗力)を獲得してしまう。
確実に結核を治すためには、複数の薬でいっきに叩く多剤併用療法が必要になる。具体的に言うと、最初の2カ月は4種類の抗菌薬を服薬し、その後の4カ月間は2種類の抗菌薬を服薬する。
症状は早くになくなるが、菌を完全にやっつけてしまうためには、6カ月間きっちり服薬する必要があり、途中でやめると耐性菌(薬が効かない菌)が出てしまう。
この「6カ月」という治療期間の長さも制圧の壁となっている。
WHOは結核の標準的な治療法として、薬を患者には手渡さず、「毎日職員の目の前で飲んでもらう」DOTS(ドッツ:directly observed treatment short-course、直接服薬確認療法)と呼ばれる治療法を提示している。日本でも、入院から外来治療まで医師や保健師が連携し、定期的に服用を確認する日本版DOTSが推奨されている。
結核の診断には、痰を取って行う喀痰(かくたん)抗酸菌検査が重要で、近年はIGRA(インターフェロンγ遊離試験)という結核スクリーニング検査も行われている。
このほか、がん検診などで肺のレントゲン(X線)検査を撮ると、結核を発病しているかどうかがわかることもある。
検査は保健所か、保健所や結核予防会などが指定した病院で受けられる。身近に結核を発症した人が出た場合、濃厚接触者(家族、学校、職場などの関係者)は、自動的に保健所の検査を受ける流れになっているため、過度な不安は不要だろう。
感染症は、ヒトの免疫システムと菌(あるいはウイルス)との戦いだ。結核の場合、感染したからといって必ず発症するわけではない。発症しなければ、人にうつすこともない。
結核を予防するには、医療者が病院で使うような高性能のマスクが必要になる。また、コロナ禍が過ぎ、マスクをする習慣が減ってきた今、マスクで結核を予防するのは現実的ではない。
したがって、菌が体内に侵入しても感染しない対策(感染予防)だけでなく、感染しても発症しないための対策(発症予防)も大切になる。
いずれの対策でも、免疫力を高める生活習慣を整えることが大切だ。食事や睡眠をしっかり取って、適度な運動を行う。これらは生活習慣病の予防にもなる健康的な生活の基本だが、発症の予防にもつながる。
世界的に見れば社会的な大問題
石川啄木や正岡子規といった、将来が期待される若者たちがあっという間に発病し、死に至る原因となった結核。現代の日本では、栄養状態がよく免疫力が高いことから、前述した10%のグループの若者が死に至ることは少なく、命を落とすのは高齢者だ。
しかし、発展途上国では依然として若者が命を落とす。
「結核は世界的に見れば社会的な大問題。貧困とも関連し、特に発展途上国では生産人口である若い世代が発症し、社会経済発展の阻害要因にもなっている」と尾身医師。
WHOは、2035年までに結核を制圧する目標を掲げるが、実現には2つの対策が求められる。1つは、発症の目印となる血液のマーカーの解明、もう1つは、成人用の感染予防ワクチンの開発だ。
結核のワクチンにはBCGがある。これは子どもの結核の重症化を予防するものの、結核菌を克服するワクチンはまだできていない。ウイルスである新型コロナではmRNAワクチンがスピーディーに作られたが、細菌である結核には応用できない。世界レベルで臨床試験が始まってはいるが、実用化にはまだ時間を要すると考えられる。
「日本では、がんや糖尿病といった生活習慣病に関心が偏りがちですが、同じように結核も含めた呼吸器感染症に関心を持つことが大切」と尾身医師は強調する。
新型コロナのパンデミックがこれだけ社会にインパクトがあったのは、呼吸器感染症だからだ。だが、日常が戻り、人々の関心はだんだん薄まっている。
森林破壊や地球温暖化、自然災害などの影響で、ウイルスや細菌を媒介する自然との距離が近くなり、感染症のリスクは高まっているにもかかわらず、感染症を専門にする医師や研究者が極めて少ないのが実情だ。
実際、日本では結核を知らない、治療を経験したことのない医師も増えている。「医学部や看護学部の教育の段階から、この病気を見直すと同時に、一般市民への啓発が欠かせない」と尾身医師は言う。
人が動いたぶんだけ、呼吸器感染症のリスクは高まる。結核をはじめ、呼吸器感染症という社会課題と向き合うには、国際社会の連携と協力が欠かせない。かつて多くの命を奪った国民病を克服した日本が果たせる役割は、決して小さくない。
(今村 美都 : 医療福祉ライター)