第100回箱根駅伝。4度目の箱根を終えた國學院大學・伊地知賢造キャプテン (4年)のレース後インタビューです。

――下級生が多いエントリーであったが、1年生に伝えたい想いは何か?
「自分が入学した頃は速い選手が入部することはなく、叩き上げで強くなった選手が走っていました。自分のように高校時代無名でも大舞台で戦えるということで、後輩たちにも希望を持ってほしいと思います」

――1区を走ってみてどうだったか?
「インフルエンザ発症ということもあったが、それが影響したわけではなく、ただただ自分の実力不足で後半に(先頭と)離れてしまった。流れを作らなければならない区間で、覚悟は決めていたが結果を出せず、チームのみんなには申し訳ない気持ちでいっぱいです」

――元々補欠登録であったが、そこは予定通りか?
「エントリー提出時点で1区出走予定でしたが、感染症等の状況でどの区間に配置されても対応できるタイプであるので補欠にまわりました」

――1区のレースプランは?
「先頭についていき我慢できるところまで我慢し、六郷橋からが勝負だと考えていました。ハイペースでもうまく対応して、ラストまで温存する形が理想ではありましたが、オーバーペースすぎてしまい、思うように後半伸ばすことができませんでした」

――2区の平林清澄選手(3年)とは事前に何か会話していたか?
「『2人で先頭に立とう』とは話していました。その中で自分がいかにいい位置で渡せるか次第でしたが、厳しい位置になってしまいました」

――同期に対しての想いは?
「下級生は1学年下の平林からスカウティングもうまくいき、下からの突き上げが激しい学年でした。辞めていく同期もいましたが、自分たちらしく泥臭くやってきた中でエントリーした瀬尾(秀介、4年)やエントリー外のメンバーを含め、最後まで気持ちを切らさずにやってくれました。このメンバーで4年間できたことはよかったです」

――出走した9人含めて3年生以下が来年度残るが、國學院大學としてどうなっていってほしいか?
「4年生の僕たちが抜けても戦えるチームだと思います。これからの後輩たちに、自分が届かなかった夢を叶えてもらえるように夢を託したいなと思います」

――伊地知選手ご自身の今後については?
「将来的にはマラソンをやろうと思っていて、代表になれるような選手になりたいです。明確な出場予定大会というのはなく、自分の中で強さを求めていく過程の中で代表といったところが見えてくると思うので、自分と向き合っていきたいと思います。個人としては、陸上競技をやり切るというのが1番の目標なので、自分がこれ以上伸びないというところまでやっていきたいです」