あと4年で定年を迎える会社員の男性の年収は920万円。パートで働く妻分と合わせて、1000万円になる。預貯金は3000万円超で退職金は2000万円の見込み。旅行三昧の悠々自適の老後ライフを送るに十分のはずだが、そうはいかない。24歳の長男は小さい頃から発達障害などの影響で人との交流がうまくできず、入った会社も辞めざるをえなかった。もし、このまま働くことができなかったら、長男にいくら残せばいいのだろうか。父親がFPに試算してもらうと――。
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■長男が働けません、親の財産で生活していけますか?

東京在住の会社員・山下幸雄さん(仮名、56歳)は、筆者の講演会で話をきっかけにご相談に来られました。ローン返済中(年約200万円)の戸建て住宅で、妻(52歳、パート勤務)と、長男(24歳)、長女(22歳)と暮らしています。

筆者は、ひきこもりの家族会や行政機関などの依頼で、講演会でお話することがありますが、それを聞いてご相談に来られる方もいます。山下さんもその一人でした。

「長男が働けないのですが、私たち夫婦が遺した財産で生活していけるのか、シミュレーションをお願いいたします」

長男が仕事に就かず、部屋にひきこもりがちになっているそうです。

相談者の家族構成
ご相談者:山下 幸雄さん(仮名):56歳(会社員) 収入:920万円
母親:52歳(パート主婦) 収入:80万円
長男:24歳(無職)
長女:22歳(会社員)

◆資産
・預貯金:3100万円
・住んでいる自宅(ローン返済中)

◆支出
・生活費:年額300万円
・住宅ローンの返済:年額204万円

長男は、子供の頃から協調性に欠け、みなと同じ行動をとるのが苦手でした。学校でトラブルを起こすことも多く、心療内科を受診すると「発達障害」との診断を受けました。中学までは欠席することも多かったのですが、それでも不登校までは至らず、なんとか通学していました。

高校は自由な校風の学校に進学したおかげで、問題なく通学できました。高校卒業後は好きな分野の専門学校(アニメ関連)に進み、楽しそうに過ごすことができました。親としては、すっかり良くなったものと思っていました。

ところが就職すると、周りとうまくやれない面が再び出てきてしまいました。せっかく興味のある分野に就職できたにもかかわらず、職場でたびたびトラブルを起こしてしまいました。結局1年もしないうちに退職してしまい、その後は就職活動もせずに自宅で過ごすことが多くなりました。この頃は自室にこもることも多くなり、明け方に寝て昼過ぎに起きるという生活になっているようです。家族とは普通に話ができ、外出もできるのですが、いざ仕事となると尻込みしてしまうそうです。

父親は何度も

「無職の期間が長引くと、就職できなくなるぞ」

とはっぱをかけるそうですが、そのたびに本人は

「わかっているよ。なんとかしなきゃとは思っているんだ」

と答えるばかりだそうです。

■預貯金5000万円超でも長男85歳時点で残高−107万円

父親は諦め気味に言いました。

「もう普通に働くのは難しいのではないかと思います。今後、本人が働かなくても生活していけるのかを分析してください」

筆者の講演では、ひきこもりなどの子供が万が一、生涯働かなくても生活していけるように、いろいろな工夫についてお話しています。それを聞いてご相談に来られたようです。

「わかりました。山下様からいただいたデータを基に、ご長男が85歳になるまでのシミュレーションを作成してみましょう」

私はいただいたデータを基に、将来の家計状況をシミュレーションしていきました。最悪のケースを考え、ご長男はまったく仕事をしない、という設定です。

私は分析結果を見ながら答えます。

「そうですね。妹さんとの遺産分割(退職金などを含む山下さん将来の最大預貯金4685万円)の状況にもよりますが、不可能ではないようです」

山下さんの現在の預貯金は3100万円で退職金は2000万円。4年後の60歳からは再雇用で65歳まで勤務できそうです。推定死亡年齢は、山下さんが84歳、妻89歳。親子3人での生活費(妹は独立するという前提)は山下さんのリタイア後も現在と同じ年額300万円(月25万円)、親が他界した後の長男のひとり暮らしでは年額105万円。長男の遺産割合を5割として、長男が自宅に住むという条件下で85歳の時点で長男の預貯金は107万円の不足となる結果でした。

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数字を見た父親は言いました。

「そうですか。では、(長男が85歳時に赤字にならないよう)娘には遺産割合に関して少しがまんしてもらうように話をしないといけませんね」

妹に当たる長女は、この春学校を卒業し、無事に就職したそうです。長女とは同居ですが、すでに経済的には自立できています。それだけに、長男は余計に焦りを感じているのかもしれません。

さらに父親は続けます。

「では、遺言書を作成しておいた方がよいでしょうか」
「う〜ん。将来的には必要になるかもしれませんが、まだ早いのではないでしょうか。財産の内容も変わっていきますし」

■「働きたいけど難しい」という人に向いた仕事とは

筆者の講演では遺言書についても触れています。

「確かに、私の講演では、お子さんが働けない前提での生活設計についてお話していますが、まだそう決めつけるのは早いのではないでしょうか? ご長男はまだ24歳ですし」

自分が講演で話した内容を否定するわけではないのですが、ご本人が少しでも働けて収入が得られれば、将来の状況は大きく変わります。遺産分割で長女にがまんしてもらう必要もなくなります。

もっとも、生活リズムが乱れている今の状況では、就職して仕事を継続していくことは、そう簡単ではないでしょう。

「障害福祉サービスの中に、就労移行支援、就労継続支援というものがあります。利用をしてみてはいかがでしょうか」

障害福祉サービスは、障害者の人が利用できる福祉サービスです。ヘルパーさんが自宅に来てくれる居宅介護やグループホームに入居する共同生活援助など、いろいろなサービスがあり、障害の状態や希望に応じて、サービスを選んで利用できます。

費用は一部利用者負担がありますが、本人の所得によって上限が設けられており、それほどの負担ではありません。さまざまなサービスのメニューの中で、就労移行支援と就労継続支援は、「働きたいけど難しい」という人に向いています。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Edwin Tan

就労移行支援は、一般企業等への就労を希望する人に、一定期間、就労に必要な知識および能力の向上のために必要な訓練を行います。このサービスを利用して訓練を受けることで、生活リズムができ、就職に必要なマナーやコミュニケーション術を身に付けることができます。また、同じ状況の仲間と触れ合うことで、モチベーションのアップにもつながります。

就労継続支援は、一般企業での就労が困難な人に、働く場を提供するとともに、知識および能力の向上のために必要な訓練を行います。雇用契約を結ぶA型と結ばないB型があります。A型であれば、それなりの給与が出ますので、自立につながることが期待できます。B型はわずかな工賃ですが、それでも働いてお金を得ることで自信につながるでしょう。

■長男に少しでも収入を得られれば老後ライフは明るく

「このサービスを利用できるのは障害者だけですよね」

私の説明を聞いていた父親が口をはさみました。

「うちは、主治医の先生にも、障害年金を受給できるほどの障害ではないと言われていますし、対象ではないと思いますが」

「障害年金の受給に比べて障害の程度が軽くても、サービスの対象になりますので、可能性はありますよ」

「障害者というのはどうも……そこまでしなくても……」

どうやら、父親は自分の息子が“障害者”とされることに戸惑いがあるようでした。

「お気持ちは理解いたします。ただ、レッテルにこだわって利用しないのでしたら、もったいないですよ。それよりもご長男が今の状況から変わるきっかけになれば、その方が良いでしょう」

「まず私が前向きになることが大切ですね。長男が少しずつでも前進できるようにサポートしたいと思います」

後日、父親から状況の報告がありました。

「ご紹介された障害福祉サービスの利用について、本人に話してみました。まだ利用の申請まではしていませんが、障害者手帳の申請に行くと言っています」

「それもよいですね。障害者手帳を保有していると、一般企業への就職がしやすくなります」

一定規模以上の企業では、障害者の雇用が義務付けられています。

「まずは外に出て、人と触れ合うことができるようになれば、次の行動につながっていきます」

ご本人が前向きな気持ちにならなければ始まりませんが、すぐに仕事を、ということではなく、まずはできる範囲のことから始めてみるとよいでしょう。障害者手帳の申請や障害福祉サービスの利用が、その後の成長へのきっかけになることでしょう。

もし、定期的な収入を得られるようになれば、山下さん夫婦の老後ライフは余裕ができ、自分で稼いで貯めたお金の一部を自由に使えるようになる可能性がグンと高まります。

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村井 英一(むらい・えいいち)
ファイナンシャルプランナー
「働けない子どものお金を考える会」メンバー。大手証券会社で個人顧客の投資相談業務を長年行い、ファイナンシャルプランナーとして独立後は、資産運用に限らず、家計の見直し、住宅購入、老後資金など幅広い相談を受ける。特に、長期にわたる家計のシミュレーション分析を得意とし、ひきこもりや障害を持つお子さんとそのご家族の資金計画を行っている。
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(ファイナンシャルプランナー 村井 英一)