いい医者とダメな医者を見分けるにはどうしたらいいのか。医師の和田秀樹さんは「日本には専門医を名乗る医師が大勢いるが、優秀な医者だとは限らない。医者を見分けるためには『総合診療の経験があるのか』を必ず確認したほうがいい」という――。

※本稿は、和田秀樹『医者という病』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

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医療業界の諸悪の根源は「専門分化」である

現在、大学病院を中心とする医療業界にはさまざまな課題がありますが、中でも私がまず問題視したいのは、専門分化による診療です。

大学病院に行くと、「呼吸器内科」「循環器内科」「消化器内科」「心臓外科」「消化器外科」など臓器別の科が無数にあるのを目にします。現在の日本の医療業界では、こうした各臓器によって専門特化した診療がスタンダードになっています。

医学が進歩する中、臓器別に特化した研究や臨床を続けると、各臓器に関する知識が深まり、プロフェッショナルが育成され、医療レベルが上がりやすくなります。難病を患った時は、その臓器の専門医に見てもらったほうがより良い治療を受けられるし、誤診も少なくなるはずです。

専門分化型の診療の何が悪いのか……と思われるかもしれません。ところが、これらの診療スタイルが効果を発揮するのは、あくまで「一つの病気」を患った場合の話です。

専門の臓器ばかりを診察していると、その弊害もあります。専門外のことを知らないため、総合的に患者の体を診察できる医者がいなくなってしまう。現在の日本は、まさに「総合診療ができる人材」がいないという危機的状況に陥っています。

■専門外の病気に対応できない

それの何が問題なのかと、いまいちピンとこない方も多いかと思うので、一つ例を挙げてご説明していきます。たとえば、長年にわたって糖尿病を専門としてきた医者が、開業したとしましょう。

とはいえ、「私の専門は糖尿病です」と謳うだけでは、患者さんはあまり来てくれませんので、その病院は「糖尿病内科、内科、小児科」などと複数の看板を掲げることになります。

専門が糖尿病なのに、それ以外の科を掲げてもいいのだろうかとみなさんは疑問に思われるかもしれませんが、これは決して違法ではありません。日本では、医師免許を持っている人であれば、麻酔科以外の科を看板に掲げることが認められています。

事実、大学の医学部に入ったら、学生は一応全部の科目を履修しますし、仮に一つでも科目を落としたら留年します。

その学生が将来目指しているのが外科医や耳鼻科医であっても、内科や産婦人科、皮膚科など、すべての科目を履修しなければ医者にはなれません。国家試験もいくつもの科目を織り交ぜているので、医師国家試験に受かって医師免許を持っている人であれば、医学全般の知識を持っているとみなされます。だから、開業する際に自分の専門以外の科を標榜してもまったく問題はないのです。

ただ、大学時代に学ぶ各科の知識は、あくまで「基礎的な勉強はしている」という程度。それぞれの科について十分に訓練を積んでいるわけではありません。自分の専門外の病気を持つ患者さんが来た場合は、自信を持って対応できるとは言い難いのです。

■過剰に薬を処方し、患者の健康を害する

では、自分の専門外の病気を診察することになった場合、医者はどのような対応をするかというと、日常診療の基本ガイドが書いてある医学ハンドブック『今日の治療指針』(医学書院)などを参照し、書かれている通りの治療をします。

たとえば、自分の専門ではない胃潰瘍(いかいよう)の患者さんを診ることになったなら、「胃潰瘍」の項目を見て、そこに書かれている通りの治療をする。薬にしても、そこに書かれている薬を、ガイドラインに沿ってそのまま処方することになります。

このように個人差を考えず、規定のガイドラインに従っただけの診療を行うと、どうしても総合的な診察の視点が抜け落ちてしまいます。治療や薬の処方も過剰になるので、なんらかの副作用が発生し、患者さんの健康を損なうリスクが高くなります。

特に、薬の害については、本書の第3章にて詳しくご説明しますが、これは無視できないほど大きな害を生みかねません。

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■専門医が優秀な医者だとは限らない

そうはいっても、専門的な知識を持ったお医者さんに診てもらうことには意味があるのではと感じる方もいるでしょう。

日本では、それぞれの専門分野の学会が定める要件を満たし、専門研修を修了した医者には、「専門医」という肩書がつくことがあります。一見、その分野のスペシャリストとして頼りがいのある存在のように感じますが、専門医だからといって優秀だとは限りません。

日本には高齢者専門医の集まりである「日本老年医学会」という組織があります。しかし、この老年医学会の認定医や専門医が多い県は老人医療費が多くなり、平均寿命も短いとの傾向が出ています。逆に、老年医学会の研修施設が三つしかない長野県(地域医療で名高い佐久総合病院や諏訪中央病院は入っていません)では、平均寿命が男女共に高く、老人医療費が少ない傾向にあります。

高齢者医療の専門家であるはずの専門医たちが多いと、なぜ平均寿命が短くなるのか。これは、老人に対して逆効果になる治療しかしていないからです。

彼らの大きな問題は、実は老年医療の専門家ではなくて、呼吸器や循環器などの専門の人たちで占められている点です。自分の専門の科では教授になる選挙で勝てなかったので、気の毒に思った教授会が代わりのポストとして老年科の教授にしたという人が多いのです。

確かに彼らは呼吸器や循環器の専門家ではありますが、高齢者医療の専門家ではありません。高齢者にとってより良い治療というものがわからず、偏った専門知識で治療を行った結果、寿命も短くなるし、効果が出ないので医療費もかさむのでしょう。

■アメリカの医療制度と日本の決定的な違い

日本の専門医があまり信用ならない根拠はほかにもあります。それは、学会の委員をしている教授が専門医になるための試験問題を作っていることです。

教授たちは基本的には臨床に、そこまで詳しくない人たちばかりなので、問題を作っても、実際の臨床とはかけ離れた理論重視の内容になることが多いのです。その試験にパスできるのは、同じように細かな知識だけが豊富な医者ばかりで、臨床に強い医者とは言い難いのです。

ちなみにアメリカの場合は、大学教授は医者というよりも研究者として扱われるので、専門医の認定には原則的にタッチしません。専門医の認定試験は、実際にそれぞれの科で臨床経験が豊富で優秀な医者が作るので、現場に立つ医者として必須知識がなければパスできないのです。だからこそ、専門医といわれる人たちには高い期待が集まり、実際に彼らが治療に当たった際は、良い結果を出すことができます。

こうしたアメリカの医療制度に対する姿勢は、日本の専門医の団体が大きく見習うべきところではないでしょうか。

■超高齢社会で総合診療医がいない恐怖

本来ならば、専門分野ではない領域であっても、患者のニーズがある以上は新たに勉強するべきです。しかし、これまで専門ばかりを極めてきた医者たちは勉強をする気がないし、新しい知識をインプットしようともしない。

これまでの時代は、医者たちが専門外のことに不勉強でもなんとかなっていた部分はありました。かつての日本の人口構成比は、60歳未満の若い年代層が多数派でした。若いうちは、病気にかかっても、一つか二つ程度。だからこそ、病気にかかった際には、専門医による臓器別の診断を受け、その病気をピンポイントで治すほうが健康な体を維持できたのです。

しかし、時代は変わり、現在は人口の30%が65歳以上となる超高齢社会です。若い人々はあまり病気にならないため、病院に通う患者の50〜60%は高齢者です。高齢者の場合は若者と違い、一つの病気だけではなく、高血圧や高血糖などをはじめ、三、四種類の病気を同時に患っていることも珍しくありません。

写真=iStock.com/Nikada
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もし、専門知識にばかり特化した医者たちが、専門外の治療をガイドラインに沿って行った場合、一種類の病気に対して三、四種類の薬を出すのが当たり前になります。

そうすると、仮に四種の病気を患っている患者さんであれば、十五種類ほどの薬を処方する必要があります。薬が増えれば、さまざまな副作用が生まれ、逆にその人の生活の質を下げるきっかけにもなりかねません。

医療費がどんどん増え続ける本当の理由

たくさんの病気を持ち、なおかつ回復も遅いシニア世代に対しては、それぞれの病気をピンポイントで個別に治すよりも、その人が抱える複数の病気を総合的に治療し、できるだけ治療や投薬による被害を抑えることが、健康を保つための秘訣(ひけつ)になります。

にもかかわらず、「自分の専門以外のことは勉強しないし、知識もない。総合的に人の体を診察することができない」という医者ばかりが増えていくことは、本当に恐ろしいとしか言いようがありません。

専門分化の弊害は、「医療費」にも表れています。日本で使われる40兆円以上の医療費のうち、65歳以上の世代が使っている割合は6割弱を占めます。それだけの金額を投じているにもかかわらず、実はその医療システムが間違っているわけです。

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当然のことですが、臓器別に何人もの専門医に診てもらうことになると、診察料はもちろん、薬代もかかります。しかし、一人の高齢者を一人の総合診療医に診てもらうことができれば、医療費が大きく削減できるはず。

患者の人生のためにも、そして医療費削減のためにも、総合診療を一刻も早く進めていくことが、日本の医療業界の大きな使命だといえるでしょう。

■なぜ総合診療医が育たず、専門バカばかり増えるのか

日本では長らく専門分化型の医療が尊ばれてきましたが、近年総合診療をしない弊害がわかってきたのか、徐々に「専門医よりも総合診療医のほうを増やすことが大切である」との意識変化も生まれつつあります。

その結果、医学部を出た医師の卵が二年間の研修を行う際、従来一つの科だけの研修を行うのが普通だったのですが、複数の専門科を回ることが義務付けられるようになりました。

ただ、残念ながら、政府の思惑通りに事は運んでいません。

何種類もの専門科を回ることで多くの医師の他科についての知識こそ増えたものの、総合診療ができる医師は育っていないのが現状です。その理由は、学生たちに総合診療を教えられる人材が極めて少ないからです。

仮に、「呼吸器内科と循環器内科と消化器内科、神経内科を回りました」といって四つの専門科を回った医者が誕生したとしても、いざ治療の際には「では、呼吸器の病気にはこの薬を、循環器の病気にはこの薬を……」とそれぞれの症状に個別に薬を出すだけで、結局、十五種類近い薬を処方するだけに終わります。

患者さんからすれば一度に診察してもらえるので、いくつもの専門科を回らずとも良いというメリットはあるものの、それ以外は本質的に変わりません。

■患者の臓器は分かっても、体全体のことはわからない

これが総合診療医であったなら、「十五種類の薬を飲むとさすがに体に悪影響があるので、体に害が出ない範囲の薬の量にしますね」「この病気は命にかかわる病気ではないので、まずは優先順位の高いこの三種類の薬だけにしておきましょうね」などと、その患者さんの「臓器」ではなく、「体全体」のことを考えて治療します。

だからこその「総合診療」なのです。

本来ならば、専門の科を複数回るのではなく、総合診療を行う総合診療医の元でトレーニングを受けるべきなのですが、残念ながら、今の日本の大学医学部には、総合診療を教えられる医師がほとんどいないのが現状です。

たまに総合診療科を設置している大学病院もありますが、そのスタッフはとても少なく、新たな総合診療医を育てる教育体制が整っているとは言い難いでしょう。

■医者を選ぶポイントは総合診察ができるか

今後、シニア世代の方々が医者を選ぶ上で、「その医者が総合医療のわかる医者かどうか」という点は非常に重要になってくるはずです。かかりつけ医を探す際は、「この人は総合的に人を診察できる人なのか」を知るために、その人のキャリアをしっかりと見て、「総合診療の経験があるのか」を重要視してほしいと思います。

和田秀樹『医者という病』(扶桑社新書)

また、日本の医療を進歩させるには、文部科学省なり厚生労働省が大々的に介入するしかないと私は思います。高齢者を適切に診察する医者を増やさず、専門分化型の医療を続けているようでは、結果は思わしくないのに、今後の財政は破綻するに決まっています。

ここまでご紹介してきたように、なにせ専門分化型の治療は、コストが高い割には結果が伴わない。

総合診療のきちんとした研修を受けていない医者は、開業できなくする、公的な保険のお金は出さないなどのシステムを模索すべきではないでしょうか。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
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(精神科医 和田 秀樹)