ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(10) 前編

 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽す連載。第10回は、スタン・ハンセンの秘めた「義理人情」を垣間見た一戦を振り返る。


雄叫びを上げるスタン・ハンセン

【ハンセンがハンセンじゃなかった試合】

――今回の語り継ぎたい「名勝負」はどの試合ですか?

「これは、ほぼ誰も記憶に残っていないだろう試合になるんですけど、俺にとってはエポックメイキングな一戦で。それは、スタン・ハンセン、ボビー・ダンカン・ジュニア、ジョニー・スミス組vsゲーリー・オブライト、高山善廣、垣原賢人のタッグマッチです」

――1998年8月23日に後楽園ホールで行なわれた、全日本プロレスの6人タッグマッチですね。

「そうです。この1998年は、2月に『UWFインターナショナル』から『キングダム』へ名称を変更した団体が解散し、"Uインター勢"が戦うリングを求めてバラバラになりました。その中で高山選手、垣原選手は全日本に本格参戦するようになったんですが、団体の絶対的トップ外国人レスラーであるハンセンと初遭遇したのがこの試合なんです。ハンセンと"U"の初対決に、当時は試合前から『危険』『不穏試合になるかも』と、ファンの間で煽られていた試合でしたね」

――確か、試合後にハンセンがキレて、高山さんと場外乱闘していた記憶があります。

「そうでしょ? その乱闘は覚えてますよね。だから、試合内容自体はほぼ記憶にない一戦だと思うんですよ」

――なぜ、この試合を「語り継ぎたい」んでしょうか?

「この試合は、『ハンセンがハンセンじゃなかった試合』だからです」

――それはどういう意味ですか?

「先ほど話に出た場外乱闘でのハンセンのキレっぷり、暴れっぷりは、まさにハンセンの"ブレーキの壊れたダンプカー"という異名どおりだったんですが、注目したのはそこじゃないんです。俺には、ハンセンの『俺は、お前たちが知っているスタン・ハンセンじゃない』という心の叫びが聞こえたように思えたんです」

【ダンカン・ジュニアに見えた危機感】

――ハンセンが自分自身を否定した、ということですか?

「そんなに答えを急がないでください。少し前置きが長くなりますが、説明していきましょう。

 当時は、異様にジョニー・スミスの評価が上がってきた頃でした。スミスが全日本のマットに初参戦した時には、彼が外国人レスラーの常連になるなんて誰も思っていなかったはずです。

 ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスなどを輩出した『カナダ・カルガリー系』のレスラーのわりには、キッドのように鋼のような筋肉をまとっているわけではなく、体はポッチャリとしていた。ロングヘアも中途半端で、多くのファンは見た目のインパクトに欠けているという印象があったんじゃないかと思います」

――スミスは英国ワーリントン出身で1982年にデビュー。85年からカナダ・カルガリー地区のマットを主戦場にしたことがきっかけで、キッド、デイビーボーイ・スミスの指導を受け、89年2月から全日本に本格参戦した選手でした。

「ただ、外見はパッとしなかったんですが、試合になるとドロップキックを決めた後のヘッドスプリングとか、当時の他のレスラーがやっていなかった動きを取り入れたりして、来日するごとに人気が上がっていって常連になっていきました。しかも、どんな試合でも全力ファイトで、負けたとしても簡単にピンフォールを取られる男じゃなかった。だから、今回紹介する6人タッグでも会場での一番人気はスミスだったんです」

――確かに、リングアナウンサーがコールした時もスミスへの声援は大きかったです。そのスミス人気が、ハンセンの心の叫びにつながったんですか?

「そこじゃないんですよ。問題は、会場人気が沸騰していたスミスに対して『俺も負けてたまるか』と頑張ったボビー・ダンカン・ジュニアなんです。

 この試合でダンカン・ジュニアは、オブライトに投げられ、高山選手に膝を叩き込まれ、垣原選手に掌底を食らいながらも必死に抵抗していた。相手に食らいつき、彼なりに頑張ったんです。やられても、ロープを掴みながら『ウォー!』と叫んでアピールもしていましたね。スミス人気を受けて危機感を抱いたんでしょうし、その頑張り自体はいいことなんですけど、問題の核心はそこにあったんです」

【ハンセンの珍しい姿】

――問題の核心とは?

「頑張るダンカン・ジュニアを徹底的にフォローしていたのが、他ならぬハンセンだったんですよ。ダンカンが捕まったら必死にカットしたり、パートナーを支える献身的な姿が目立って、"ブレーキの壊れたダンプカー"のいつもの制御不能なファイトは影をひそめる形になりました。

 俺は、冴えない外国人レスラーがタッグパートナーだった時に、ハンセンがその選手を見捨てて帰ってしまうシーンを何度も見た記憶があります。ピンフォールされていないのに、カウント2が入った時にはすでにブルロープを持って、花道の奥で『ユース!』と叫んでテキサスロングホーンを突き上げて帰る、みたいなこともあったはず。

 だけどこの試合では、冴えないかもしれないけど頑張るダンカン・ジュニアを、見捨てることなく徹底的にフォローした。だからこそ俺には、『俺は、お前たちが知っているハンセンじゃない』という心の叫びが届いたんです」

――ハンセンが献身的な姿を見せるのは、かなり珍しかったんじゃないでしょうか。

「そうなんです。だから、俺は試合を見終わった時に『なんであんなに献身的だったんや?』といろいろ理由を探ったんですが......そうしたら、重大な事実に気がついたんですよ」

(中編:「ハンセンも人の子やったんや」と驚き「ブレーキの壊れたダンプカー」の義理人情>>)

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。