サッカーの審判にとって「関西のリーグが日本一厳しい」と思う理由を元プロの村上伸次が語る
2021年シーズンを最後に、サッカーのプロレフェリーを引退した村上伸次さんをインタビュー。引退後の審判は一体どのような毎日を送っているのか。現在の活動について話しを聞いた。
後編「村上伸次さんが審判目線で選んだJリーグすごい選手トップ10」>>
プロレフェリー最後の試合で選手たちに胴上げされた村上伸次さん。引退から2年が経った
――2021年シーズン限りでプロフェッショナルレフェリーを引退されて、もう少しで2年が経とうとしていますが、現在はどのような活動をされているんですか?
2021年にトップリーグのレフェリーを引退してからは、休む間もなくJFA(日本サッカー協会)審判委員会の仕事に携わっています。北海道から九州まで9地域に携わる審判マネジャーとして仕事をさせていただいています。
審判委員会では"RDO(レフェリー・デベロップメント・オフィサー)"と言っているんですが、その地域の体制作りなどの困っていることに対して助言をしたり、研修会に参加して話をしたり、将来1級審判員になる可能性があるレフェリーがいた時にJFAへつなぐ役割だったり、基本的にはそういうことをやっています。
――村上さんは9地域の中でどこを担当されているんですか?
私はいま岐阜県に住んでいまして、関西エリアを担当しています。地域によって求められる役割は若干異なるのですが、私は関西の強化部、育成部、そして女子部と密にしていて、主に審判員の育成や発掘などを行なっています。月に1回若手レフェリー及び女子審判員を集めて勉強会をして、テクニカルな部分を指導しています。私のようにテクニカルなところを専門にやっているのは初めてだと聞いていますね。
――審判員の発掘も行なっているんですね。
そういった活動は初めての試みだそうです。事務方の仕事も少しはやるんですが、基本的には現場に行って1級審判員を目指す2級レフェリー、一番大切な地域を支えていただいているレフェリーのレベルアップに重点を置いています。ユース審判員(高校生レフェリー)もいますし、最近では早ければ中学生からレフェリーを始めている子もいるんです。
基本的には先ほど言った関西エリアをぐるぐる回っている感じですが、例えばJ-GREEN堺では関西のトップリーグやU−12の大会など、さまざまなコンペティションが行なわれていろんなカテゴリーのレフェリーがそこに集まってくるんですね。だからそこで1日見ていることもあります。J-GREEN堺で見かけたら声を掛けてください。
【レフェリーは1人でトレーニングしなければならない】――発掘という目線で見るようになってなにか発見はありました?
今の若い子たちは知識がものすごくあるんですね。それこそ私よりもあると思います。プレミアリーグやラ・リーガなど、世界のトップリーグの映像を本当によく見ていますね。ただ、その豊富な知識に対して、まだ技術が噛み合っていないんです。そこにいかに気づいて、自分のレフェリングにしていくか。それが関西エリアを回って一番感じたところですかね。
――まだまだ技術のレベルが追いついていないわけですね。
ただ、技術を伸ばすと言ってもサッカーのプレーヤーとはちょっと状況が違うんですよね。プレーヤーであれば監督やコーチが見てくれたり、課題があってそれに対して自主練をしたりってありますよね。でも基本的にレフェリーは試合以外ではひとり。だからトレーニングもひとりで、日々の練習を見てくれるコーチはいないわけです。
そうしたなかで、全部の試合ではないんですが、レフェリーを見てくれるアセッサー・インストラクターがいます。90分間のレフェリングを見て「こういうところがよかったね、でもここは直したほうがいいよ」とか「こういうトレーニングをすれば、動き方がこう変わるよ」といったアドバイスをするんです。
アドバイスを受けたレフェリーはそれを持ち帰って、またフィジカルや動き方のトレーニングをひとりでする。そういう指導体制にはなっています。
――発掘や指導という視点では、レフェリーのどんなところを見ているんですか?
みなさんがレフェリングを見る時は、やっぱり判定が合っているかどうかだと思うんですね。でもそこはあくまでも結果で、私はその前のところが大事だと思っています。予測の初動動作、どうポジション(判定のアングル)を取っているか。そこを追求しないといけないんです。
その点は若手のレフェリーによく指導しているんですけど、1年ちょっとやってきてようやく変わってきましたね。
【メンタルの強さは選手以上に必要】――いまは10代で審判員を目指す人は多いんですか?
増えていると思います。高校生で2級審判員を取得する方もいます。レフェリングを勉強する意欲は相当なもので、とてもうれしく思います。将来国際審判員になるために先輩レフェリーを追い越す勢いで試合を担当しています。
――やはりJFAしては国際審判員を担えるくらいの人材を発掘したいわけですよね。
国際審判員になるには、基本的に35歳までに、という年齢の制限があるんです。今は25、26歳でAFCのレフェリーアカデミーに入って国際審判員を目指すので、世界には30歳以下の国際審判員は結構います。だから若い人材を発掘して、日本もそこに乗っかっていかなければと思っています。私も本当は国際審判員になる予定だったんですけど、年齢の面でだめでした。
――現在の立場で現場をよく見るようになって、どんなところに課題を感じていますか?
若いレフェリーが試合をさばく時は、どうしてもそのレフェリーよりも年上の監督だったり、コーチだったりがいるわけじゃないですか。そういう状況でいろいろな声がかかりますよね。若いレフェリーだと、そういう声に負けてしまう場面が見られるんですね。
メンタルというひと言では片づけられないんですけど、やはりそちらのトレーニングもしていかなければと思います。技術だけじゃなくてメンタルも必要というのは、選手と同じか、もしかしたら選手以上に強さは必要かもしれないですね。そこは課題だと感じます。
――確かにレフェリーは大勢を相手に1人でさばくわけですから、メンタル面はかなり求められますよね。
関西はとくに面白いと思いますよ。日本一厳しいリーグかもしれないです(笑)。プレーヤーが後半に動けなくなってくると、言葉(関西弁)の数が増えてきたりしますから(笑)。「なんでやねん!」「ファウルちゃうやろ〜!」「ええジャッジしてくれてありがとう!」など。
――でもそうした環境で試合をさばいていく経験は、試合を落ち着かせるためのいいトレーニングになりそうですね。
そうなんです。だからそういう試合を若いレフェリーには積極的にやってもらいたいんですよね。私も若い頃は結構言われました。でもそこでシュンとなるのではなくて、ブレない自分をどう作り出すかが大事だと思います。
【今は3級レフェリー】――レフェリーの育成や発掘をされながら、ご自身も下のカテゴリーで吹かれていたりするんですか?
関西では吹きませんね。でも一応、プロレフェリーを引退したあとは3級レフェリーの資格を取得しました。
――1級のままではないんですね。
各4、3、2級及び1級はフィットネステストがあります。それに受からなければいけないんですよ。よく言われるのが、フィジカルは40歳で1回落ちるんですよ。45歳でもう1回落ちて、50歳前後でみんなリタイアしていきますね。
私が引退したのは52歳だったので、もう大変です(笑)。やっぱりスプリントが基準の記録で走れなくなります。インターバルは心拍系なのでまったく問題ないんですけど、スプリントは筋力ですよね。40mを6秒で走って、それを6本連続でやらないといけないんです。
――それは大変ですね。
それだけじゃないですよ。そのあとに400mトラックで75mを15秒+25mを18秒、それを4本で1周です。それを10周(合計40本)やるんです。私も引退するまでそれをクリアしていました。
若い頃はトレーニングしなくても大丈夫でしたけど、ある程度年齢がいくとフィットネステストのためのトレーニングが必要なんですよね。毎年12月〜翌年1月にテストがあるので、その時期が近づくとみんなソワソワしてきます(笑)。
――関西では吹かないということですけど、岐阜では吹かれているんですか?
公式戦はほとんど吹きません。先日、中学生の公式戦を一度吹いたくらいです。でもそれ以外ではFC岐阜の練習試合で吹きました。練習試合では級がなくても大丈夫なんですけど、一応ワッペンをつけて吹きました(笑)。
やっぱり自分でレフェリーをしていると、現役の感覚を残したままでいられるんですよね。プロの練習試合をさばくことで、「このポジションからペナルティエリアの中を見た時にちょっと見にくいな」とか、そういうレフェリー勘みたいなものが戻ってくるんです。
そこを大事にすることで、若手のレフェリーへもフィードバックできると思うんです。だから今でも練習試合で吹かせてもらっていますね。
――それでは最後に、Jリーグで今後こうなっていってほしい点などはありますか?
レフェリーの立場としては、きちんと判定をするというところは続けていってほしいですね。
そのなかでレフェリーがミスをすることはあると思います。それは選手たちも「あ、レフェリーちょっとミスしたな」というのはわかっていると思うんです。その時に試合が終わってから、少しだけでもそのことについて話せる間柄になってくれるといいなと思うんですよね。
「間違っているからおかしいだろう!」ではなくて、ラグビーのノーサイドじゃないですけど、両者が落ち着いて話をしてほしいと思います。勝ち負けが絡むことなので、試合のあとが難しかったら次の試合の前でもいいですしね。
ただ、そこまでの関係になるのには時間がかかるものです。私も40歳あたりでようやく「この前はごめん、間違っていた」と言えるようになりました。そうやって選手とレフェリーが協力して、いい試合を作っていけるリーグになっていけたらいいなと思います。
村上伸次
むらかみ・のぶつぐ/1969年5月11日生まれ。東京都目黒区出身。帝京高校−立正大学と進み、JFLの西濃運輸でプレーしたのち、28歳からレフェリーの道へ。2004年からJリーグの主審として活動。2008年からスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー/PR)となった。2021年10月のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦で、Jリーグ通算500試合出場を達成。この年を最後に㏚を引退し、現在は後進の指導にあたっている。