6本のフラッグはすべて、向かって右側にはためいていた。

 甲子園球場のバックスクリーン上部には5本のポールが並び、日本国旗や大会旗など計6本の旗が掲げられている。その旗の向きは、ライト方向に強い風が吹いていることを示していた。

 左打者にとっては、絶好の追い風である。だが、左打席に入る佐々木麟太郎(花巻東)にとって、この風も「ホームランを打ちたい」というスラッガーの野心を呼び起こす材料にはならなかった。


宇部鴻城戦は3安打1打点の活躍でチームを勝利に導いた花巻東・佐々木麟太郎

【すべて逆方向へ3安打】

「自分の役目はとにかくランナーを還すことだったので。状況によってはランナーを進めることも考えながら、とにかく強く振ってランナーを還すことを考えていました。後続の北條(慎治)、千葉柚樹の状態がよかったこともあって、落ち着いて振れました」

 8月8日、甲子園初戦(宇部鴻城戦)を迎えた佐々木は、3打数3安打1打点1敬遠と全打席で出塁して勝利に貢献している。ヒットはすべてシングルだったが、2打席目のセンター前ヒットは先制タイムリーとなる価値のある一打だった。

 そして、注目すべきは打球方向がすべて左側だったことだ。強風の吹き荒れたライト方向に引っ張るのではなく、ボールを引きつけて逆方向へと弾き返した。試合後の会見では当然、打球方向に関する質問が飛んだ。

「基本的にはセンターから打つことを考えています。そのなかで生まれたものだと思いますし、自分としては、結果はとくに意識していません」

 佐々木が中学時代に在籍したのは、大谷翔平の父・徹が監督を務める金ヶ崎シニアだ。佐々木はことあるごとに大谷監督から「左中間に二塁打を打ちなさい」と指導を受けている。これが佐々木の打撃の原点と言っていいかもしれない。

 甘い誘惑が目の前にあっても、佐々木がなびくことはない。報道陣との受け答えでは、口癖のように「チームのために」というフレーズが口をつく。

 140本を数える高校通算本塁打の話題になっても、佐々木は判で押したように「チームが勝つことしか考えていません」と答える。

 よく言えば「優等生」、ひねくれた見方をすれば「面白みに欠ける」と言えるかもしれない。だが、このフォア・ザ・チームの姿勢にこそ、佐々木の本質が透けて見えるのだ。

【高校1年から飛び抜けた存在】

 佐々木という存在は、高校1年時から飛び出た杭のようなものだった。父・佐々木洋監督との親子鷹というドラマ性、身長184センチ、体重113キロという今までの日本人選手では考えられなかったスケールのサイズ、爆発的なインパクトで全方位に軽々と放り込むパワー。

 すべてを好意的に見てくれる人ばかりではなく、否定的に見る人も多かった。「太りすぎ」「ケガが多い」「一塁しか守れない」「公式戦での本塁打が少ない」といった批判が常につきまとった。

 初めて甲子園の土を踏んだ昨春のセンバツ・市和歌山戦では、速球派右腕の米田天翼(つばさ/現・東海大)の前に4打数0安打2三振に抑え込まれた。インコースを厳しく攻められ、打撃らしい打撃をさせてもらえなかった。

 ただし、こうした逆風は偉大な先輩である菊池雄星や大谷翔平も経験した通過儀礼でもある。すべてにおいて完璧な高校生などありえない。ましてや佐々木は高校時代の大谷と同じく骨端線が残っている。つまり、骨が成長中の「子どもの体」なのだ。佐々木監督はこんな見通しを語っている。

「骨端線が完全に閉じないと、あの出力に体がついていけないのかなと。大谷もそうでしたけど、20歳くらいになって骨の成長が止まらないと、出力の大きさと体のバランスが合わないのかなと感じます」

 佐々木にとって夏の甲子園は、今年が初めてになる。夏の聖地を踏みしめて、どんな感慨が込み上げたのか。そう聞くと佐々木はこう答えた。

「夏にこだわりを持ってやっていたんですけど、春も1回踏ませてもらっていたので、その意味では自分や熊谷(陸)、北條、千葉柚樹は落ち着きながら経験したものを生かせたと思います」

 昨春の忌まわしい記憶を塗り替えたい。まずは甲子園で1本打ちたい。そんな思いはなかったのか。重ねて聞くと、佐々木はこちらを真っすぐ見つめて即答した。

「勝つことしか考えていなかったので。仲間を信じながら、自分自身の役割をまっとうすることだけを考えて、力を抜いてプレーできたと思います。結果的に勝つことに貢献できてよかったです」

 佐々木の打席から、余計な気負いが感じられなかった理由が理解できたような気がした。「オレが打たなければ負ける」ではなく、仲間に任せるところは任せ、自分は自分にできる役割に徹する。それが結果的に勝利に近づき、自身にとっても最適なパフォーマンスにつながる。佐々木はそう信じているのだろう。

【チームの勝利のために戦う】

 それは守備に関するコメントでも感じとれた。5回表、花巻東の2年生右腕・小松龍一は打者13人をパーフェクトに抑えていたが、一塁右のゴロを佐々木が弾いて初ヒットを許してしまった。

 この場面について聞くと、佐々木は「食らいついたんですけど、ちょっと足が引っかかって」と苦笑しつつ、こう続けた。

「自分としては迷惑をかけた部分はあるんですけど、みんなに助けられながらやらせてもらっているので。仲間に感謝することばかりですね」

 並の精神力の持ち主なら押し潰されても不思議ではない。そんな修羅の世界に佐々木は立っている。野球ファンからの応援や批判の声、野心的な声を引き出そうと誘導してくるメディアの取材。それらを一身に浴びる佐々木にとって、「チームの勝利のために戦う」ことは自分を守る防波堤なのだ。

 今夏の甲子園を順調に滑り出したかに見える佐々木だが、不安要素もある。今夏の岩手大会でも背中の違和感を訴えて先発を外れた試合があったように、絶えず体調面で不安を抱えながらプレーしている。

 現時点での体調を尋ねると、佐々木の答えは今までになく回りくどくなった。

「自分自身、体にかかる負担はみんなより大きいと思っているので。その意味でいえば練習量を含めて体のことを考えながらやれているので、状態としては悪くはないのかなと考えています」

 大事な大会中であり、選手自ら「万全ではありません」とは言いにくい状況にある。宇部鴻城戦ではスタンドからどよめきが起きるほどの猛烈なフルスイングをしており、試合でプレーするのに支障がない状態ではあるのだろう。

 次戦はクラーク記念国際と2回戦を戦う。甲子園初ヒットを放った佐々木への次なる関心は、「甲子園初アーチ」に移るはずだ。

 だが、いくら観衆がホームランを求めようと、メディアが煽ろうと、スタンドの旗が激しくはためこうと、佐々木はブレない。粛々とチームのために役割をまっとうする。それが佐々木麟太郎の、野球人としてのプライドなのだ。