パチスロで作った大借金を3年かけてようやく完済した男性。その後、結婚の際は、妻に「パチスロをやめる。もう絶対にギャンブルで借金はしない」と宣言。ところが、「バレなければいいだけ」と育児の合間にギャンブル三昧。借金総額は300万円に。にっちもさっちもいかなくなった31歳の男性は親に返済の肩代わりを依頼し、妻の指示で病院を受診した――。(後編/全2回)
写真=iStock.com/Manakin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Manakin
【前編のあらすじ】桜木潤さん(仮名・30代・既婚)の両親はギャンブルが大好きで、桜木さんが中学に上がる頃には、平日の夜は家族でパチンコへ、土日は競馬や競輪場へ行くのが当たり前。高卒後、上場企業に就職した桜木さんは、同期の友人に誘われてパチスロにハマり、だんだん借金や仕事を休んでまで打ちに行くように。自主退社に追い込まれると、極貧アルバイト生活をしながらも、パチスロはやめられない。家賃や光熱費を滞納し、電気やガスを止められ、自暴自棄になった桜木さんは、アルバイトまで無断欠勤。両親に「実家に戻って来い」と言われた。なぜ、桜木さんは転落してしまったのか――。

前編はこちら

■借金完済

パチスロの沼にハマり、180万円の大借金を作ってしまった桜木潤さん(仮名・30代・既婚)。親のすすめで実家に戻ると、就職活動を開始。約半年後、正社員として、運送会社でトラック運転手をすることになった。給料は高くなかったが、実家暮らしで家賃や光熱費がなかったから余裕ができ、きちんと借金を返済し始めた。

実家に帰ってからも、完全にはギャンブルをやめられなかったものの、もうクレジットカードは止められ、新たな借り入れはできない。実家の近くには、お金を貸してくれるような友達はいない。結果、借金してまでパチスロに行くことはなく、3年で借金を完済することができた。

「根本的な問題は解決していませんが、借金完済で僕の人生が動き始めました。結婚することになったのです」

桜木さんは、以前パチンコ店で働いていたときに出会った女性と、お互い実家に戻ったあとも連絡を取り続けていた。27歳の時に、桜木さんが女性の実家の近くに遊びに行ったことをきっかけに再会し、それから間もなく交際が始まり、約1年後に結婚することになったのだ。

妻の実家がある東北地方に新居を構えることになった桜木さんは、転職をし、再び製造業の会社員になった。

パチンコ店時代に出会っている妻は、桜木さんがギャンブルにハマり、借金をしていたことも知っている。結婚する時に桜木さんは、「パチスロをやめる。もう絶対にギャンブルで借金はしない」と約束。その約半年後、妻の妊娠が判明した。

■「バレなければいいだけ」

結婚後も桜木さんは、妻に嘘をつきながらギャンブルを続けていた。それでも借金はせず、小遣いの範囲内で楽しんでいた……その頃までは。

結婚から1年3カ月後、第1子が生まれた。桜木さんは、お風呂に入れたり、ミルクを与えたりなど、時間が許す限り育児に関わった。だが、よきパパの顔とは別に裏の顔を持つ桜木さん。妻に嘘を突き通して続けていたギャンブルは再び、借金してまでやるようになっていた。

「僕は、20代前半の頃にいわゆるブラックリスト状態になっていて、しばらくクレジットカードを作れなかったのですが、29歳になってすぐの頃に、あるクレジットカードの審査にだけは通ったのが再借金の始まりでした。約束を破るときは、『バレなければいいだけ』と安易な気持ちでした」

妻の育児をサポートする時間も夫婦として重要だ。

「平日は残業と嘘をついて仕事終わりにパチンコに行っていました。土日は、インターネット投票で競馬をやっていたので、スマホがあればどこでも馬券を買えました」

写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

土日は子どもをベビーカーに乗せ、近場にある大きな公園やショッピングセンター行くことが多かったが、その傍らで競馬をしていたわけだ。やがて桜木さんの借金はどんどん膨らんでいった。

「督促状や電話が来る前に、自分から金融会社に連絡して、妻にバレないように必死に対策していました。借金に関する郵送物はすべて届かないように設定し、財布は絶対に見られないよう、妻の目のつくところには出しっぱなしにしませんでした。疑いの目を向けられたときは、ひたすら嘘を重ねてやり過ごしました」

気付けば桜木さんは31歳。借金は300万円に上り、妻は第2子を妊娠していた。

■人生最悪の日

妻は出産後、妻の母親が経営しているメガネ店で働いていた。

2019年6月。第2子が産まれる2日前のことだった。その日は土曜日で、日中はいつも通り家族で近場に出かけていた。しかし桜木さんは、この日に妻に打ち明けることを決めていたため、家族でいても、心ここにあらず状態だった。

「どうしたの? なんかテンション低いよ?」と妻に言わるが、「いや何でもないよ! 普通だよ!」とカラ元気で誤魔化した。

やがて夜になり、子どもを寝かしつけた後に、桜木さんは切り出した。

「こんなタイミングで本当に申し訳ないんだけど、借金があるんだ。300万円……」

「はっ? 嘘でしょ?」妻はびっくりして声を上げる。桜木さんが、「いや、本当」と言うと、「え? 意味わかんない、本当に?」と妻。そこで桜木さんは、「本当にごめん。競馬でやってしまった」と頭を下げる。

しばらく妻は信じられない様子で何度も聞き直したが、どうやら本当だということが分かった途端、泣き出してしまった。

さめざめと泣く妻の姿を目の当たりにした桜木さんは、このとき初めて、「本当に申し訳ないことをした」と後悔し、自分も涙を流しながら謝り続けた。

「僕は、『早く打ち明けてスッキリしたい』『もう隠しごとをするのは疲れた』『早く借金地獄から解放されたい』などと、自分のことしか考えていませんでした……」

謝りながら桜木さんは、これまで約束を破ってギャンブルをしていることや、借金をしていることを隠すために、妻にいろいろな嘘をついてきたことを全て打ち明けた。

「少し前に、家計用の通帳から勝手にお金を引き出したことがありました。その時は、『友達が競馬で負けてお金が無くなったから、貸してあげた』と妻に言いました。でも、本当は自分が競馬をするためでした」

妻は泣き続けていた。桜木さんは打ち明け終えると、日付が変わってしまっていたことに気付き、「話の続きは明日にしよう」と提案した。

そして翌朝。おそらく妻は、眠れなかったのだろう。それでなくても、臨月を迎えた大きなお腹では、寝返りも思うように打てない。眠れない中、今後どうすべきかを考えていたに違いない。

桜木さんを目の前にした妻は、「あなたの借金については、家計から一銭も出す気はない」と言い、続けて、「あなたの両親に言って借金を肩代わりしてもらって。じゃないと離婚する」と宣言。

写真=iStock.com/Milatas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milatas

自分の両親には借金のことを知らせたくなかった桜木さんは面くらい、絶句する。そして、そのまま無言で家を飛び出してしまった。

■まるでオレオレ詐欺

家を飛び出した桜木さんは、コンビニの駐車場に車を停め、1時間くらい1人でいろいろと考えた。

「この先のことを考えていました。妻や子どもたちと別れて自分1人で生きていくこと。もしも自分と別れたら、妻と子どもたちがどうやって生きていくことになるのか……。しかし、どちらも想像することすらできませんでした」

何度も想像しようとしたが、できなかった。桜木さんは、なぜできないのかを考えた先に、“ある思い”があることに気付く。

「妻と子どもたちとこの先も一緒にいたい」

はっとした桜木さんは、今まさに失いそうになっている妻と子どもたちと、「これからも一緒にいたい。ともに生きていきたい」「1人になりたくない」「失いたくない」という一心で、急いで家に戻り、父親の携帯電話に電話をかけた。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

電話に出た父親は、母親と車で外出していた。父親は運転中だったため、桜木さんは母親の携帯電話にかけ直した。すると両親は、桜木さんがなぜ電話をしてきたのか、心配そうな様子で次の言葉を待っていた。それもそのはず、桜木さんは話しながら泣き出し、震える声で電話をしていたのだ。

そんな中、桜木さんは、嗚咽しながらギャンブルで300万円の借金を作ってしまった経緯を話し終える。黙って聞いていた母親は、「はぁ? 何やってんのあんたは!」と呆れて声を上げた。続けて、「あなた本当にうちの息子? オレオレ詐欺じゃないの?」「本当にギャンブルに使ったの?」と質問攻めに。そして運転しながら、「何か他のことに使ったんじゃないか?」と言う父親。

「借金を両親に立て替えてもらわなければ、妻に離婚すると言われている」と伝え、「絶対に返すから、借金の肩代わりをお願いしたいんだけど……」と桜木さんが言うと、沈黙の後に、「少し考えて折り返し連絡します」と母親は言い、電話を切った。

「僕は、『何だかんだ言っても親だし、すぐにお金を出してくれるだろう』と高をくくっていました。本当に親不孝者です」

数時間後、父親から電話がかかってきて、「借金を立て替えるから、やり直せ」と言われ、桜木さんは胸をなでおろした。続いて母親から、「借金の詳細をメールしなさい」と言われる。

桜木さんはすぐにメールを送り、返信を待った。

しばらくすると、「反省文と、今後、絶対に借金しないことを誓約書に書いて誓ってください。それを見て借金の清算をするかを決めます」という返信が届く。

桜木さんはすぐに反省文を書き、「今後はまっとうに生きていきます」という旨を記した誓約書も一緒に同封し、両親へ郵送。

その翌日、妻は陣痛が始まり、桜木さんが運転する車で病院へ向かう。そのまま桜木さんは妻に付き添い、約6時間後に第2子が誕生。

「1人目と同様、感動して涙が出ました。そして、自分がこれまでやってきたことを後悔し、妻や子どもたちを泣かせることはもう二度としないと心に誓いました」

写真=iStock.com/maruco
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

第2子の誕生を喜んでいると、母親から「お金を振り込むので口座を教えてください」と連絡があった。桜木さんはようやく一息つくことができた。

しかし、ここからがつらい日々の始まりだった。

■針のむしろ

両親から借りたお金で借金の清算を終えた桜木さんは、もう二度とギャンブルしないことを決意した。

しかし、妻はもう、桜木さんを簡単に信用してくれるはずがない。結婚してからずっと嘘に嘘を重ね、突き通してきたのだから当たり前だ。

「妻は、『あなたを疑うのはつらいけど、死ぬまで恨み続けると思う』と言っていました。それでも、僕は妻に感謝しなければいけません。こんな僕とこれからも一緒にいる決断をしてくれたのですから。妻の決断の理由は、『子どものため』と言っていましたが、僕はそれでもうれしく思いました」

第2子出産後、産院を退院した妻は、第2子と共に自宅に帰ってきた。そして妻が桜木さんにギャンブルと借金をさせないために立てた対策を、実行に移した。

それが以下だ。

・現金を持たせない
・クレジットカード、キャッシュカードを徹底管理
・定期的に個人信用情報の確認
・家と会社の往復
・発言を信用しない

桜木さんは、徹底してこの対策に従った。そして妻もまた、桜木さんのために協力した。

現金は、逐一必要な時に渡した。使ったお金とレシートは、おつりと共にすぐに妻に返した。クレジットカードとキャッシュカードは、どうしても必要な時以外、桜木さんには渡さない。基本的に外出禁止。ただし会社の飲み会はOK。そして1年に1度、個人信用情報を確認した。

「僕にとって一番つらかったのが、『発言を信用しない』でした。僕が何を言っても、『どーせ、嘘でしょ?』と信用してもらえないのです。そんな生活、誰でもつらいでしょう? それが最も身近な存在である妻ならなおさらです。1年くらいそんな感じの日が続きました」

ギャンブル依存症

借金を打ち明けた日から、妻とは毎日のようにけんかが続いた。

「その一番の理由は、私自身がギャンブル依存症の自覚がない状態だったからです。本当に妻には申し訳ないことをしました。私自身がギャンブル依存症の自覚がない状態の間は、『自分が正しい』『自分がかわいそう』とばかり思えて、妻が立てた対策を心から受け入れる気持ちにはならなかったのです」

例えば、借金を打ち明けたばかりの頃は、「ギャンブルで借金をしている人はたくさんいる、自分だけじゃない、借金をすることは悪いことじゃない、返せば問題なし」という考えだった。

しかし妻から、「あなたは病気だからカウンセリングを受けて」と勧められると、半信半疑ながらも、ギャンブル依存症の相談窓口に行き、カウンセリングを予約。後日カウンセラーにすべてを打ち明けると、カウンセラーは、桜木さんがギャンブルをしてしまう原因や理由を明確化し、ギャンブルをしないための対策を一緒に考えてくれた。

また、カウンセリングを受けた際に、ギャンブル依存症の自助グループ「ギャンブラーズアノニマス」を紹介してもらい、参加してみた。

「僕は、『ギャンブルと借金は当たり前のことで、誰もがやっている』と考えていました。しかし、カウンセラーには『ギャンブルで借金するのは異常です。病気です』とはっきり言われました。自助グループでは、ギャンブル依存症当事者たちが、僕とまったく同じことを考えていて、おかしいことに気付きました」

自分と似た人を客観的に見ることで、初めて気付くことがある。

「妻の友人たちの影響も受けましたね。僕のまわりには、両親を含め、高校生の頃からは特に、ギャンブルや借金をする人が当たり前にいました。会社に入ってからもそうです。だからギャンブルと借金は当たり前だと思っていました。逆に妻のまわりにはそういった人がまったくいないんです。もちろん借金もしないし、自分がやりたいことにお金を使い、有意義な生活を送っています。そういう人たちの話や実際の生活を見て、自分がいかに曲がった生活をしていたかを思い知りました」

写真=iStock.com/sivarock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sivarock

カウンセリングや自助グループに通い始めて5カ月ほど経った11月ごろ、桜木さんはようやく、「ギャンブルで借金をしている自分は異常」と認識。自分の考えが間違っていたことを理解し、以降、カウンセラーや妻と考えた対策を素直に遂行することができるようになった。

翌年2020年の8月には、ジュニパパという名前でブログ(※)を立ち上げ、自分の経験やギャンブル依存症について調べたことを記事として書くことで、ギャンブル依存症に対する理解がより深まっていく。

※https://jyunipapablog.com/profire/

さらに2021年3月には、お金やビジネス、借金に関する勉強を始める。お金を稼ぐことの難しさや、良い借金と悪い借金について学んでいくうちに、ギャンブルでお金を使うことをバカバカしく思うようになる。

そして2022年1月には、本業とは別に、ブログのアフィリエイトやWebライター、輸入販売業などである程度収入を得られるようになった。現在は、ギャンブルにまったく興味がなくなり、妻に借金を打ち明けた2019年6月以降、4年間一度もギャンブルも借金もしていない。

■桜木家のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。ギャンブルを楽しんでいるうちは良いが、「お金を稼いでやろう」「損した分を取り返してやろう」と考え始めた時、人は短絡的思考に陥っていると考える。

桜木さんは就職後、同期の友達とギャンブルにハマっていき、「短絡的思考」に陥り、次第に会社内でも「断絶・孤立」し、ついに退職に追いやられる。それでも桜木さんは、ギャンブルで借金を作ってしまったことは、両親には言えなかった。そこには確かに自分に対する羞恥心があった。

とはいえ、これは「家庭のタブー」というよりも、桜木さん自身のタブーだ。桜木さん自身が育った家庭には、タブーはなかったのだろうか。

「確かに、両親は結構な額をギャンブルにつぎ込んでいましたが、借金するほどではなく、私の家庭自体に大きな問題はなかったと思います。可能性としてあるとしたら、僕自身、お金に対する依存が強かったことでしょうか。家族でパチンコに行っても、私のお金が尽きたときはいつも両親から追加のパチンコ資金をもらっていました。そして、そのお金を全部スッてしまっても、両親に返すことはなく、両親から返せと言われたこともありませんでした。一方でわが家は、周りの友達に比べてお小遣いが少なく、友達と遊びに行った際に、自分だけ好きなものを食べたり買ったりできないことがよくありました。そのためか、働き始めてから『もっとお金が欲しい』という気持ちが強くあったんです。それがギャンブル依存につながったのではないかと……」

そう言ったあと、桜木さんは少し声のトーンを落とす。

「あとは、僕は承認欲求が誰よりも強い気がします。実は、3歳上の兄が昔から優秀な人で、大学院まで行き、父と同じインフラ系企業の幹部候補にまでなっているんです。父はそんな兄が大好きで、同じ会社にいることもあり、会うといつも仕事の話で盛り上がります。正直、私はその光景を見るのが嫌いでした。

私は高卒で化学系の会社に入り、それなりの年収を稼いでいましたが、どこか父に認められていない気がしていました。ギャンブルは、自分の承認欲求を満たす効果があります。自分で台や馬を選び、大当たりを引いたり勝負に勝ったりしたときは、最高に承認欲求が満たされます。いずれにせよ、自分のコンプレックスがギャンブル依存症を引き起こした原因だったのではないかと思います」

幼少期から家族でギャンブルを楽しんでいた桜木さんは、ギャンブルに対する抵抗がなかった。

「僕は、お金に関する教養があれば、ギャンブルも借金もする可能性は下がると考えています。実際に私は、お金の稼ぎ方と借金について学び始めたことでギャンブルをやめられました」

副業を始めたこともギャンブルをやめられる一助となった。会社で“働かせてもらう”のではなく、“自分でお金を稼ぐ実感を得ること”が重要なのかもしれない。

幼少期から、ギャンブルに触れる機会が多かったこと。ギャンブルで大金を使う割には、普段のお小遣いが少なかったこと。そして兄に対するコンプレックス。これらが絡み合って、桜木さんはギャンブル依存症になってしまった可能性が高い。

そんな夫の変化に気づいているのか、妻はあまり、「どーせ、嘘でしょ?」とは言わなくなった。

「最近もたまに言うこともありますが、だいぶ回数は減りました。本当によくできた妻だと感心しています。僕は本当に恵まれています。借金を肩代わりしてくれた両親。こんなバカな夫と一緒にいることを選んでくれた妻。そして子どもたち……。ギャンブルをすることで失いそうになった人たちを、これからは全力で大切にしていこうと決意しました」

4年前に両親から借りた300万円は、現在残り170万円になっている。ギャンブルをやめられた一因には、かけがえのない自分の家族を得られたことも関係しているだろう。少なくとも兄に対するコンプレックスと父親に対する承認欲求の渇望は、妻や子どもたちによって満たされているはずだ。

----------
旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
----------

(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)