約85%が国産のエサを食べる高秀牧場の乳牛(記者撮影)

牛乳や乳製品は、今後「サーチャージ」のような仕組みで価格が変動するようになるかもしれないーー。

農林水産省が2023年4月から開催している「畜産・酪農の適正な価格形成に向けた環境整備推進会議」。ここで議論されているのが、畜産物のサーチャージともいえる仕組みだ。

同会議では、畜産物の生産コストが上昇した場合にその上昇を適正に取引価格へ反映させる仕組みづくりが検討されてきた。そこで参考にされたのが、空運や陸運などで導入される「燃料サーチャージ制度」。燃料費分を別立てで徴収することなどにより、燃料価格の変動を自動的に料金に反映させる制度だ。農水省は、畜産物の中でもまず、交渉によって価格が決定される生乳を対象に、飼料費の変動を価格に反映する「飼料サーチャージ的な仕組み」の導入を提案していた。

飼料価格の高騰に喘ぐ日本の酪農家

牛乳やチーズ・バターなどの乳製品の価格は、原料である生乳の価格(乳価)をベースに決まる。乳価は、各地域の生産者団体と乳業メーカーが年1回交渉して決めるのが慣例となってきた。こうして決まる乳価に、今後は乳牛の食べる飼料の価格変動を反映できないか。「飼料サーチャージ的な仕組み」とは、いわばそのような仕組みを指す。

後述するように、日本の酪農で使われる飼料の過半は、海外からの輸入に頼っている。飼料として使用量の多いとうもろこしなどの価格の騰落が、今後家計を直撃することになるかもしれないのだ。

ここまで議論されている背景には、飼料価格の高騰に苦しむ酪農家の実態がある。

一般社団法人中央酪農会議が今年3月、日本の酪農家157人を対象に行った調査によれば、酪農家の約85%が赤字経営で、そのうち4割以上は1カ月の赤字が「100万円以上」に及んでいる。酪農経営への打撃要因として調査対象者の97.5%が挙げたのが「飼料価格の上昇」、つまり乳牛に給与するエサ代の高騰だ。

近年、中国における飼料需要増やウクライナ危機により、とうもろこしの価格が高騰。そこに円安も重なった。飼料費は酪農の経営コストの約4〜5割を占めることから、それが酪農家の経営を直撃している。

もちろん、乳価の交渉で飼料価格の高騰は考慮されている。乳業メーカー大手3社は今年8月から牛乳の価格を約3〜13%値上げする。牛乳価格は昨年11月にも値上げされたが、いずれも飲用向け乳価の上昇を反映したものだ。

ただ昨今の飼料価格の高騰は急ピッチで、乳価への反映が追いつかない。乳価の交渉が原則年1度なことも、飼料価格と乳価の変動にタイムラグを生む要因になっている。そこで議論の俎上に乗ったのが、「飼料サーチャージ的な仕組み」なわけだ。


この仕組みを巡ってはさまざまな意見が出ている。農水省の会議で委員を務めるJA全農の齊藤良樹理事は、「コストの上昇を適切に反映させる何らかの仕組みは必要だ。一方で酪農業界に起きている事態を消費者をはじめとしたみなさまに理解してもらう取り組みや、急激な需給変動に対しては国による措置なども同時に検討する必要がある」と話す。

一方、乳業メーカーなどで組織する日本乳業協会は、「メーカーは生乳価格が上がれば商品への価格転嫁を検討せざるを得ない。乳価へのコスト反映による負担がメーカーだけにのしかからない仕組みづくりを求めたい。需給への影響を考えると、これが本当に生産者のための仕組みなのか、それを検討することが先ではないか」とコメントした。

輸入飼料に依存し続けてきた日本の酪農

乳牛のエサには、牧草などが主原料の「粗飼料」と、とうもろこしなどの穀物が主原料の「濃厚飼料」の2種類がある。主原料から想像されるように、粗飼料は7割以上が国産なのに対し、濃厚飼料の大半は輸入で賄っている。そして、粗飼料の給与割合は、北海道で52.4%と過半を占めるが、都府県では38%にとどまる。

国産飼料の利用が進んでこなかったのは、基本的には国産飼料より輸入飼料のほうが安かったからだ。これまでは輸入価格が数年に一度高騰しても、その時期を過ぎれば輸入飼料のほうが安価だった。実際、2008年や2012年に起きた輸入価格の高騰時も、国産飼料へのシフトは起きなかった。

また一般的に、濃厚飼料は粗飼料に比べて栄養価が高い。酪農経営に詳しい北海道大学の小林国之准教授は、「日本では、酪農の本格的な拡大期以降、能力の高い牛に輸入飼料を給与してたくさん乳を搾る方法で酪農が行われてきた。このスタイルを転換し、ある程度乳量は減っても国産飼料を使う基盤を作っていかなければ、飼料自給率はなかなか上がらない」と指摘する。

酪農家の中には、国産のエサにこだわる農家もいる。

東京から車で約2時間、千葉県いすみ市にある「高秀牧場」。乳牛を約150頭飼育するこの牧場では、給与されるエサの約85%が国産だ。同牧場の郄橋憲二代表は、2008年に起きた輸入飼料の高騰を受けて国産飼料の重要性を痛感、自らの畑で飼料を作りはじめた。


稲作農家と協業して収穫している飼料用米(右)。それを潰したもの(左)を自給飼料などと混ぜて使う(記者撮影)

稲作農家と協業した飼料用米の収穫、酒かすや醤油かすなどの食品残さを飼料化するエコフィードの取り組みなども通じ、約2〜3年かけて現在の飼料配分に至った。乳牛の生育は、輸入飼料を多く使っていた時と比べ遜色ない。何より国産飼料への置き換えで、飼料費が安定した。近年の飼料高で、輸入飼料を多く用いた場合の1頭あたり1日の飼料代は2000円以上。一方、高秀牧場ではこれを約1300円に抑えられているという。

ただ、農協などに電話1本すればすぐ届く輸入飼料に比べ、「自給飼料を作るのは1000倍大変」(郄橋代表)。土地を確保して耕し、種まきをして管理しなければならない。作業機械が必要だが、当初は経営が厳しく、中古の収穫機を50万円で買うところから始めた。普段の仕事と同時に作業を進めるため、飼料の収穫期には1日16時間働いて過労で入院したこともある。「高齢の方や人材の少ない酪農家さんに勧めるのは難しい」(同)。

都府県における酪農家で「70歳以上」の経営主が占める割合は、2017年の14.1%から2020年には21.1%まで上昇した(中央酪農会議調べ)。酪農家にとって、国産飼料の利用拡大はそれほど簡単なことではないのだ。

「サーチャージ的な仕組み」の結論は見送り

6月30日に農水省が公表した中間とりまとめでは、「飼料サーチャージ的な仕組み」の導入は見送られた。農水省は、単純に飼料コストのみを価格に反映する仕組みでは関係者間の合意が得られない可能性が高いとし、今後は輸送費、燃料・光熱費なども含めた価格形成を検討のうえ、専門家によるワーキングチームを立ち上げて議論を続けるのが適当であるとした。

今後の議論によっては、一定のルールのもと、酪農界に「サーチャージ的な仕組み」が導入されうる。ただ、何の補填もなくサーチャージ分が商品の値段に転嫁される事態になれば、消費者の買い控えが生じて、結果的に生産者の収入が減少するおそれもある。価格反映を行う基準をどこに設定するかが、今後の議論の焦点になるだろう。

農水省は国産飼料の拡大にも取り組んでおり、2030年度には粗飼料を100%国産化することを目標としている。ウクライナ危機を背景に食料安全保障の必要性が声高に叫ばれる中、来年の通常国会では「食料・農業・農村基本法」の改正案の提出も予定されている。

そんな中で飼料価格の変動を自動的に価格に反映するような仕組みは、飼料国産化に対する酪農家のインセンティブを削ぐことになりかねない。そして何よりも、飼料費の高騰に対して自助努力する酪農家が報われる施策が求められる。

北海道大学の小林准教授は「サーチャージ的な仕組み」について、「緊急避難的な措置としては評価されうるが、現状の根本解決には、飼料の輸入依存から脱却する方向性の政策が必要ではないか」と語る。単純な仕組み1つで、酪農家の危機は終わらないようだ。

(田口 遥 : 東洋経済 記者)