医師国家試験で新卒・既卒合わせて合格率100%を達成した順天堂大医学部(写真:MARODG/PIXTA)

順天堂大学医学部(東京都文京区)が2023年の医師国家試験(国試)で、新卒・既卒合わせて合格率100%を達成し、関係者を驚かした。

同大医学部の特長の1つが、寮での共同生活。開設以来の伝統だ。寮生活では医学部生が箱根駅伝選手など他学部生から刺激を受けている。同大医学部が “医系私学の勝ち組”といわれるその源泉を探った。

20年間にわたって合格率2位

国内には医科大と医学部が82ある。文部科学省は医学部新設を1979年の琉球大学以来、認めていなかったが、地方の医師不足解消と東日本大震災からの復興施策のため、2016年には東北医科薬科大学が、2017年には国際医療福祉大学医学部が新設された。

少子化や新興医学部の出現で優秀な学生の争奪戦はいっそう激しくなっている。それらに先手を打つ形で順天堂大医学部は2008年度に学費の大幅値下げに踏み切ったところ、志願者数が急増、入試の難易度が上がった。

国試については、20年間にわたって合格率が全国平均を上回り、第2位の記録を誇っている同大医学部。そして2023年、ついに合格率100%を達成した。これは年に2回実施されていた国試が年1回となった1985年以来、初めてのことだ。

2023年の国試の受験者数は1万293人。合格者数は9432人で、合格率は91.6%だった。

特筆すべきは、同大医学部は既卒合格率も100%だったという点だろう。既卒とは新卒時に不合格となったり、何らかの事情により新卒で国試を受けなかったりした人を含んでいる。多くが国試に向けて専門予備校に通っていたりするが、それでも合格率は低い。例年、新卒合格率は全国平均で9割程度だが、既卒合格率は一気に低下して、5割から6割程度に落ち込む。

大学にとって国試の合格率は、医師育成大学のプレゼンスに影響し、志願者数を大きく左右する。同大医学部は高い国試合格率も追い風となり、志願者数は高水準かつ増加傾向で、偏差値は私立大の中で上位に分類されている。


医科大・医学部を持つ大学には、通常、国試を総括する“国試担当委員会“がある。同大医学部でその役割を担っているのが、「卒業支援委員会」だ。委員長を務めているのが同大医学部・医学教育研究室の冨木裕一教授(専門は消化器外科)。

合格率100%達成に対する内外の反応はものすごいという。「生徒の頑張りのおかげで、順天堂大関係者をハッピーで、誇らしい気持ちにしてくれた」と破顔一笑する。


国試が終わり不要になった参考書の前で(写真:冨木氏提供)

同大医学部は、合格できる雰囲気づくりに尽力する。学内に勉強部屋を12室用意し、それぞれの部屋に指導教諭を配置。模擬試験などの成績が芳しくない学生ほど勉強部屋での受験勉強を推奨するなど、学生を全面的に支援する。

1番でも9000番でも「同じ」

コロナ禍で感染対策を徹底するために勉強部屋が一時、使用できないこともあった。冨木教授は「国試対策の最後の詰めが甘くなり、苦戦を強いられた。

今回も、マスク着用により学生の顔と名前が一致せずコミュニケーションが難しいこともあったが、学生はよく頑張ってくれた」と繰り返し学生たちを称える。

学生が「冨木先生!!」と慕ってきても、その学生の名前が思い浮かばず、すぐに返答できなかったことを今でも悔しがる。冨木教授は学生に対して、「国試は資格試験なので、1番で受かろうと9000番で受かろうと医師免許には変わりはない。皆で高め合っていこう」と鼓舞し続けてきた。

冨木教授は長野県出身で1987年卒。学生は入学後に原則1年間の寮生活を始める。冨木教授は寮の部屋長を任されたため、ほかの学生よりも長い2年の寮生活を経験。自身を「寮信者」と呼び、多様な人との出会いにより、今のキャリアの一端が形成されていることを否定しない。

その寮は現在、千葉県印西市の同大さくらキャンパスの敷地内にある。今の学校法人順天堂のルーツである財団法人順天堂医科大は、1947年に順天堂医科大学予科として開設された。

その際は、千葉県の津田沼町習志野(現在の習志野市)の旧陸軍の木造兵舎跡を大蔵省(当時)から借用して、校舎と寮に改造した。その寮の名前は「啓心寮」という。

1988年、校舎と寮は同県印西市のさくらキャンパスに移転した。コロナ禍は医学部生の入寮を中止したが、以前は同大スポーツ健康科学部生と共同生活をしていた。スポーツ健康科学部はかつて体育学部という名称で、2020年東京オリンピック・パラリンピックでも活躍したスポーツエリートや、箱根駅伝で過去11度の総合優勝をしている陸上競技部の学生がいる。

さくらキャンパスは京成電鉄の京成酒々井駅から20分ほど歩いた先の、丘の上にある。筆者が訪れた6月、キャンパスに続く道路沿いには、田植えを終えた田園が広がっていた。

出迎えてくれたのは、同大で物理を教える田中和廣教授と、数学の川村浩之准教授だ。田中教授は2010年から2年間、啓心寮の寮生を監督する寮監を務めた。川村准教授は現在の寮監だ。


川村准教授(左)と田中教授(写真:筆者撮影)

啓心寮は男女で建物が分かれているが、朝昼晩の食事は一緒。ほぼ一斉に食べるまさに、“同じ釜の飯を食う”仲間だ。

キャンパスの朝は早い。

寮の開錠は午前6時だが、スポーツ健康科学部の一部学生はそれより早く寮を出て、トレーニングを始める。田中教授は「箱根駅伝などで活躍する陸上競技部の学生などは、結果を出すことを求められている。タイムがすべてだったりする。その現実の厳しさを間近に見て、医学部生が刺激を受けている」と話す。

啓心寮では学生が自治をしていて、基本的に学生の寮長をトップとした寮生たちが方針を決める。寮生だけで決められない場合に寮監の出番となる。血気盛んな若者が集まる場だけに、ケンカや冷蔵庫にあった他人の飲み物を飲んだといったトラブルもあるが、学生が仲裁に入るなどして解決している。

自分を厳しく律する仲間たち

田中教授は「入寮当時はあどけなさの残る若者だったのに、退寮する頃には、きりっと引き締まった顔つきに変わっている」と話す。川村准教授は、入寮当初、尊大な態度を見せていた1人の医学部生が、退寮するときに漏らした言葉が印象に残っているという。

「川村先生。僕はこの1年間、自分を厳しく律してトレーニングしている同年代の人たちと身近に接することができたのが本当によかったです」

寮生活で日々、真剣勝負をしている他学部生から刺激を受けた医学部生が、その後の医師に向けた勉強や臨床実習、国試に臨む気持ちに少なからず影響を与えているかもしれない。

啓心寮では、コロナ禍で中止していた医学部生の入寮を来年から再開する予定だ。

そんな体育学部生と寮での共同生活を経験した1人が、東京都医師会の尾崎治夫会長だ。

平日午前の東久留米市内のクリニックでの診察を終えると、午後にはJR御茶ノ水駅近くにある東京都医師会に向かい、会長業務に就く。東京都医師会の建物と順天堂大医学部キャンパスは、目と鼻の先にある。

尾崎氏は1977年卒。寮は習志野にあった。8人部屋で医学部生は尾崎氏を含め2人。年上のリーダー格の部屋長も同室だった。寮生活について尾崎氏は、「医学部生にとって貴重な体験になっている」と指摘する。


寮での昔話に花を咲かせる尾崎会長(写真:筆者撮影)

寮生活で連帯感が生まれた

「寮生活を通じて、“国試を皆で一緒に乗り越えよう”という連帯感が生まれているのではないか。寮では人数の多い体育学部生が主導して、やたらと規律が厳しいので僕なんかは反発していたが(笑)。若者だけで生活できる空間は貴重で、なかなか体験できないなので、寮生活が嫌だと言う声はほとんど聞かなかった」

東京で生まれ育った尾崎氏にとって寮生活は少し窮屈だったようだが、地方から東京に出てきた、いろいろな仲間と出会えたことは貴重な体験だったと当時を懐かしむ。

順天堂大医学部には“名医たらずとも良医(りょうい)たれ”という格言が語り継がれている。患者の気持ちになって病気を治すことができる臨床医を育てようという考えが底流にある。

医学部附属病院をあえて“順天堂医院”としているのも、大きな規模の病院になっても病人を治すという基本を忘れないため。“病院”という言葉には病人を収容するところという意味があり、“医院”には治療するところという意味がある。

尾崎氏はこの格言を引き合いに出しながら、「良医」とは患者の尊厳を大事にしながら診療することだと強調する。例えば、実業界の第一線で活躍し、過去に名声を馳せた人が高齢となり、病気で診察を受けることになった際、「おじいちゃん。お元気ですか」などと話し掛かけると、相手はバカにされたと感じるだろうというのだ。

そうならないよう、尾崎氏は可能な限り患者の仕事や生活などのバックグラウンドを理解したうえで、診察室で患者に相対するようにしている。改めて同大医学部を見て、寮生活を経験することの大切さを感じているという。

「最近は受験の偏差値も上がって、優秀な学生がどんどん増えているが、患者さんをしっかり診られるいい医師をつくろうという意識が、私たちから見ると薄れている。高校から成績が良くて勝ち上がってきた学生のままだと、人のことを思う気持ちもあまり持たず、連帯感もなくばらばらのままだと思う。そういう意味では、寮の存在はとても評価できる」

さらに、こう話す。「寮で他学部生と共同生活することによって、今まで頭が良いというだけで生きてきた人間が、そんなことは関係なく、いろいろな喜びを経験できる。それが順天堂大医学部のいいところなのかもしれない」

(君塚 靖 : えむでぶ倶楽部ニュース編集部 記者)