師匠の杉本昌隆八段と弟子の藤井聡太七冠。写真は2020年、藤井二冠(当時)の王位就位式でのツーショット(写真:時事通信社)

今もっとも注目されている「師匠」といえば、棋士の杉本昌隆八段(54歳)。弟子は、先日、史上最年少名人獲得&七冠を達成した藤井聡太七冠(20歳)です。“史上最強棋士”と称される、日本一有名な弟子を持つ師匠の心中やいかに……。

その独特の師弟関係と知られざる棋士の日常を、杉本八段がユーモラスな文章でつづった『週刊文春』での人気連載をまとめたエッセイ集『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』より一部抜粋・編集のうえ、ご紹介します。

【前回記事:師匠・杉本昌隆が綴る「藤井聡太と過ごした時間」】

※文中の日付や季節、段位や称号は、執筆当時のものになります。

東京や大阪での公式戦や地方遠征……棋士は家にいることも多い反面、遠征で何日も家を空けることもある職業だ。

名古屋在住の私は、東京対局の前日、新幹線で移動する。外の景色など眺めながら翌日の作戦を再確認するのがルーティンだ。

(富士山か……東京まであと1時間、もうひと頑張りするか)

ちょっとした気分転換にもなる。なお、藤井聡太王将(今回は王将と表記)は車内では必ず車窓からの景色を眺めるため、座席の左右にもこだわるとのことだ。

鉄オタの藤井聡太と過ごした「鉄道旅」

車窓と棋士。脳内ですでに戦いは始まっている。

私の場合、仕事の際の遠征は、車窓より、携帯やノートパソコンの画面をよく眺めている。ネットで東西の棋士と研究会もできるのが便利。デッキに人がいなければ電話で感想戦も可能である。

「銀を打たれたら……あれ? 聞こえますか?」

名古屋―東京間はトンネルが多く、通話もよく切れる。棋士たるもの、車窓から電話のタイミングも読みたいところだが、それはさすがに難しい。

車内で詰将棋を解くのは研究の王道だが、2人以上で乗るとき、特に向かい合わせに座ると(今はコロナ対策でできないが)、反射的に対局したくなる。

その昔、持ち運び用のマグネット将棋盤は旅のお供だった。よく駒を落として大騒ぎした記憶がある。あれは椅子の裏とか、思わぬところにくっつくのですね。懐かしい思い出だ。

第71期の王将戦七番勝負が早く終わったこともあり、3月11日に第六局開催予定地の島根県大田市「国民宿舎さんべ荘」で「藤井聡太新王将を囲む会」が行われた。今回は、私も日本将棋連盟の理事として同行である。

三瓶山の麓にあるその旅館。ホテル関係者や地元の方々の歓迎を受ける。
囲む会は大人を対象に和やかな雰囲気。翌日には「子供将棋の集い」もあり、質問コーナーなど大いに盛り上がった。

仕事後のくつろぎ、さんべ荘の温泉は素晴らしかった。男女合わせて16種類の露天温泉は釜風呂、陶器風呂、檜風呂など見るだけでも楽しく、お子さんにも喜ばれそう。料理も地元産牛肉や名物の穴子、蕎麦など大満足で、家族旅行にもお勧めである。

さて、現地からの帰りは出雲市駅までバスで移動し、岡山行きの特急「やくも」を利用した。車両は381系。私は全く詳しくないのだが、名古屋―長野間を走る「しなの」にも昔は381系があったらしい。

「杉本先生は乗っているはずです」

鉄道ファンの藤井王将。熱っぽく説明してくれる目が少年のようだった。
やくもは振り子式列車だけあってカーブではそれなりに揺れる。だが、それを体感するのも一興である。

藤井王将に近づいて話しかける私。

「揺れるね、そういえばこの前の将棋だけど……」

私は揺れ、携帯電話の画面も揺れる。それを見て冷静に答える藤井王将。私もだが、きっと彼も乗り物酔いはしないに違いない。

車窓の棋士。その顔には個性が出るのだ。

(「第47回 棋士の鉄道旅」2022年3月31日号)

棋士の「おやつ」はどのように選ばれるのか

仕事の合間の糖分補給は、疲れた頭を休めるのに最適。私たち棋士の「おやつ」も、今では勝負飯と並んで対局の見どころの一つになっている。

10月28、29日に富士宮市で行われる第35期竜王戦七番勝負第三局。これに合わせた市民参加型企画「おやつ選びコンテスト」が実に秀逸である。

藤井聡太竜王と挑戦者・広瀬章人八段に出す“おやつ”候補が和菓子と洋菓子で38点。市民の投票で和菓子3点、洋菓子4点程度に絞り込むのだ。

応募は投票箱への投函以外にインターネット投票も可能。出品する38の店舗、投票する市民、そして選ぶ対局者と実に遠大な「おやつタイム」である。

8月末に投票期間は終了し、おやつ候補リストの最終決定は9月15日とのこと。主役の竜王戦と相まって盛り上がることだろう。

なお、この企画は静岡県外からの投票も可能。実は私、ネット投票をしましたよ。結果が楽しみである。

さて、私の一門の研究会では必ずおやつの時間を設けている。自分が甘党というのもあるが、世代間のギャップを埋めるコミュニケーションの意味合いもある。

そして、それは藤井竜王の修業時代にも当然あった。

当時はコンビニのどら焼きやバームクーヘンをよく出していた。選択肢を多くすると弟子の個性が分かって面白いのだ。この二択は前者が人気で、私はある弟子に聞き、予想外の理由に拍子抜けしたことがある。

「みんなは和菓子が好きなのだね」

「いえ、単にどら焼きの方が量が多そうなので」

10代の少年とはそういうものだった。おやつを通じて弟子を知ることもよくあるのだ。

初期の頃は入門順に選ばせていた。だがそれでは聡太少年が常に最後になってしまう。しかし、段位順では追い越された兄弟子のプライドが傷つく。結局、ジャンケンで決めることが多かったのだが、それはそれで皆楽しそうであった。

杉本一門のおやつも少しずつ贅沢になった

おやつの買い出しも毎回となるとちょっと煩わしい。正直、手近なもので済ませたい時もあった。

「次の研究会のおやつ、家にある煎餅の残りじゃダメかな?」

「それだけじゃ足りないんじゃない?」

こんな会話を自宅でかわし、結局断念するのだ。


大阪から室田伊緒女流二段が参加する際は、差し入れのお土産がおやつにプラスされる。私の準備も、いつもより気合が入るのだ。

「今日のおやつはデパートのケーキだからね」

弟子たちは不思議そうに顔を見合わせ、ひそひそと話し合っている。

「今日は豪華だな」

「なんでだろう?」

「室田さんが参加したからじゃないの?」

私にも室田女流二段にも丸聞こえだが、この素直さが少年らしい。

その後、中澤沙耶女流二段や女性の奨励会員も我が一門に加わり、弟子の数は当時の倍以上に増えた。おやつも少しずつ贅沢な内容になり、今に至っている。

こだわりの我が一門。将棋だけでない、藤井竜王のおやつの活躍(?)が全国に波及して、私も師匠冥利に尽きるのだ。

(「第68回 おやつタイム」2022年9月8日号)

(杉本 昌隆 : プロ棋士/八段)