「コア・アフェクト」は、私たちの経験や行動に知らず知らずのうちに影響を与えています(写真:Pangaea/PIXTA)

かつて、感情は理性による論理的な思考を妨げるものであり、避けたり抑えたりすべきものとされていた。しかし、「感情神経科学」という注目を集める研究によって、感情や情動は人間の意思決定などに大きな役割を果たしていることが明らかになっている。感情や情動は直感的で正しい判断を下すために必要不可欠であり、それをコントロールすることは、社会的成功にとっても欠かせないものなのだ。今回、日本語版が6月に刊行されたレナード・ムロディナウ氏の著書『「感情」は最強の武器である』より、一部抜粋、編集の上、お届けする。

コア・アフェクトというセンサーシステム

コア・アフェクトとは自分の身体の調子を反映したもので、身体の各器官系に関するデータや、外界の出来事に関する情報、そして世界の状態に関する自分の考えに基づいて何となく感じる気分、それを指し示す一種の温度計といえる。


情動と同じくコア・アフェクトも精神状態の1つである。情動よりも原始的であり、進化のタイムライン上で情動よりもずっと前に出現した。

それでもコア・アフェクトは湧き上がる情動的経験に影響を与え、情動と身体状態を結びつける。

コア・アフェクトと情動の関係はまだ十分に解明されていないが、情動を生み出す最も重要な要素や材料の1つであると考えられている。

情動はアンダーソンとアドルフスが示した5つの主要な特性を持っていて、悲しみや喜び、怒りや恐れ、嫌悪や自尊心などいくつもの具体的な形を取るが、コア・アフェクトには2つの面しかない。

1つは誘意性で、これはポジティブとネガティブのどちらかであり、自分の気分の良しあしを表す。もう1つは覚醒性で、これは誘意性の強度、つまりどのくらい強くポジティブまたはネガティブであるかを指す。

ポジティブなコア・アフェクトの場合は、すべてが順調に思える。一方、ネガティブなコア・アフェクトは警報を発する。その覚醒性が高いと警報が激しく大きく鳴り響き、なかなか無視できなくなる。

物理的環境からの影響

コア・アフェクトはおもに体内の状態を反映するが、それとともに物理的環境からも影響を受ける。

芸術作品やエンターテインメント、映画の楽しいシーンや悲しいシーンに反応する。また、覚醒剤や鎮静剤、陶酔効果のある薬物など、薬や化学物質からも直接影響を受ける。

多くの人がそのような薬に手を出すのは、まさにコア・アフェクトを変える性質を持った薬だからだ。覚醒剤は覚醒性を高め、鎮静剤は覚醒性を下げる。アルコールやMDMAなどはポジティブな気分にさせる。

コア・アフェクトは体温と同じようにつねに存在しているが、それに意識的に気づくのは、誰かに調子を尋ねられたり、立ち止まって自分を省みたりするなどして、それに集中したときだけである。

コア・アフェクトは一瞬ごとに大きく変化することもあるし、長時間にわたってある程度一定に保たれることもある。

心理学では誘意性を意識的経験ととらえ、ある瞬間に感じる心地よさ・不快さとして表現する。

健康でその日の調子がよかったり、おいしいものを食べたりすると、楽しい気分になる。ひどい風邪をひいていたり腹が減っていたりしたら、惨めな気分になる。そのようなときに経験するのが誘意性だ。

覚醒性を意識的経験ととらえると、自分の感じるエネルギーの強さによってそれを特徴づけられる。

そのスペクトルの一方の端には、活発な状態が位置する。音楽を聴いて感動したり、デモに参加して気持ちが高ぶったりするといったことだ。

もう一方の端には、眠たい状態や気怠い状態が位置する。授業で先生の話を聴いていて退屈するといったことだ(私の授業でそうなるなんて想像もつかないが)。

情動が生じる際には、コア・アフェクトによって与えられた自分の身体からの入力が、自分の置かれた状況、その状況の背景、および予備知識と組み合わさることで、自分の経験する情動が生み出されると考えられている。

コア・アフェクトは一種のベースライン状態と考えることができ、それが特定の状況における情動や、その結果として下される直観的判断に影響を与える。

そのためこのコア・アフェクトは、身体と心をつなぐ重要なものであって、身体的状態と、思考や気分、そして決断とを結びつけている。

宝くじで1万ドル当たったら、きっと一日じゅう幸せな気分で、その気分が何日も続くだろう。

そのときコア・アフェクトは、ポジティブな誘意性と活発な覚醒性へと急激に変化するだろう。大金が転がり込むのは生きていくうえで一般的にいい話なのだから。

しかしコア・アフェクトは、経済的幸福よりも身体的健康のほうと強く結びついている。

そのため、せっかくこの良い知らせを受けても、昼食を食べ損ねて腹が減ったらネガティブになるだろうし、疲れてきたら覚醒性が下がるだろうし、ドアの枠に頭をぶつけたら瞬時に急低下して何分間か元に戻らないだろう。

生命はエントロピーに抗う

コア・アフェクトの働きと、心身相関におけるその重要性を理解するには、ノーベル賞受賞者で物理学者のエルヴィン・シュレディンガーが1940年代に著した著作に立ち返るのがいいだろう。

その中でシュレディンガーは生命を、エントロピー増大の法則に立ち向かう戦いと定義した。

エントロピー増大の法則によると、物理系は本来、時間とともにどんどん無秩序になっていく傾向を持っている。

たとえばコップの水にインクを1滴垂らすと、きれいなしずくの形はそう長くは持たず、やがてぼんやりした形になってコップ全体に広がってしまう。自然界に存在するきわめて秩序立った物体のほとんどは、最終的にそのような運命をたどる。

しかしエントロピー、すなわち無秩序さが増大するという傾向が厳密に当てはまるのは孤立系だけで、周囲と相互作用する物体には必ずしも当てはまらない。

生命はそのようなシステムである。食べ物を食べたり太陽光を吸収したりして周囲と相互作用しており、その行動によってエントロピー増大の法則に打ち勝つことができる。

塩の結晶を屋外に置いておいたら、いずれぼろぼろになるか、雨で溶けてしまうかするだろう。しかし生物は、自身の崩壊に抗う行動を取る。それが生命を規定する特徴である。

シュレディンガーいわく、生命は、エントロピーを増大させようとする自然の傾向に積極的に逆らう物体である。

生命を維持するための戦いはさまざまなレベルで繰り広げられている。生命の「原子」と呼べるのは我々の身体を作る細胞で、1個1個の細胞がエントロピーの増大を食い止めるためのプロセスを実行している。

しかしそれも永遠にうまくいくわけではない。極端な高温や低温、あるいは害のある化学物質にさらされると、崩れてばらばらになり、生命としての短い一生を終えることがある。聖書にあるように、灰から灰へ、塵から塵へと壊れていくのだ。

多細胞生物の場合、無秩序との戦いはもっと大きなスケールでも繰り広げられる。動物では脳や神経系が臓器や体内プロセスを制御して、その作用をあるパラメータの範囲内に維持することで、それらが円滑に働いて生命が維持されるようにしている。

「ホメオスタシス」という能力

脅威となりうる環境変化に直面しても生物や1個1個の細胞が内部の秩序を維持する能力のことを、「ホメオスタシス」という。

この言葉はギリシア語で「同じ」や「安定」を意味する単語に由来していて、医師のウォルター・キャノンが1932年に著した『からだの知恵』によって広まった。

この本には、人間の身体が体温を維持し、血中の水分・塩分・糖・たんぱく質・脂質・カルシウム・酸素などの濃度を許容範囲内に保つしくみが詳しく述べられている。

ホメオスタシスが乱されるのを防ぐには、たえずモニタして調節している必要がある。

ミクロレベルでは、細胞が内部の状態と外部の条件を感知し、長い歳月を経て進化した一定のプログラムに従って反応する。

多細胞生物が進化すると、1個1個の細胞がそのプロセスを維持するとともに、コア・アフェクトのようなもっと高いレベルのメカニズムが進化した。

高等動物の場合、ホメオスタシスを乱すものを監視する番人としての神経状態がコア・アフェクトであって、身体はその影響を受けて適切に反応する。

先ほど述べたとおり、コア・アフェクトは誘意性と覚醒性という2つの次元しか持っておらず、かつて情動として考えられていた繊細な状態とは異なる。

さらに、恐れなどの情動的経験は多数の脳領域にまたがったネットワークから生じるようだが、コア・アフェクトは2つの特定の領域における活動と相関している。

心地よいか不快か、ポジティブかネガティブか、いいか悪いか(あるいはその中間のどこか)を表す誘意性は、「すべて問題なさそうだ」とか「何かが変だ」といったメッセージに相当する。それを生み出すのは、前頭前皮質の中でも眼窩のすぐ上に位置する眼窩前頭皮質である。

この脳領域は意思決定・衝動制御・行動的反応の抑制と関連していて、このいずれの機能も、人間の行動にとって重要な役割を果たす。

コア・アフェクトの持つ覚醒性の次元は、感覚刺激に対する敏感さの状態、神経心理学的な警戒度に相当する。つまり、その敏感さの強度、すなわち強いか弱いか、活力があるか無気力であるかの尺度である。

覚醒性は扁桃核というアーモンド形の小さな構造体の活性と相関しており、この扁桃核はさまざまな情動の生成に役割を果たしていることが知られている。

コア・アフェクトの強力な影響

コア・アフェクトが眼窩前頭皮質や扁桃核の活性と相関しているのは偶然ではない。

これらの構造体は意思決定において重要な役割を果たしていて、感覚野および、情動や記憶に関わる複数の脳領域と大規模に連結していることが知られている。そして身体や周囲の状態に関する情報がたえず流れ込んでいる。

その情報を統合したコア・アフェクトは、身体のホメオスタシスや現在の外界環境の状態が生存にふさわしいかどうかを反映していて、我々のあらゆる経験やあらゆる行動に適切な形で知らず知らずのうちに影響を与えているのだ。

(翻訳:水谷淳)

(レナード・ムロディナウ : 作家、物理学者)