土石流は逢初川を伝って流れた。道路から上流側には、いまでも大量の土嚢(どのう)が積まれたままになっている(静岡県熱海市、6月29日筆者撮影)

7月3日、静岡県熱海市の土石流災害発生から2年を迎えた。最大約45メートルまで積み上げられた盛土は豪雨で土石流と化し、家屋を次々となぎ倒し、28人の犠牲者を生んだ。

この災害を機に、「盛土規制法」がこの5月に施行されるなど、災害の防止に向けて一歩進んだが、いまだ法の規制が及ばない空白が存在している。

さらに、熱海市での盛土業者の傍若無人な振る舞いをなぜ止められなかったのかとの疑問は、いまだに解消されていない。当時の行政記録からは、解決のための決断を先送りし、責任を放棄してきた行政組織の姿が浮かび上がってくる。

6月29日、静岡県の熱海港七半岸壁に接岸した運搬船に、岸壁のフレコンバック(土嚢袋)が積み込まれている。約500立方メートル分を積むと、運搬船は千葉県市川市の土壌再利用センターに向かった。


6月28日、フレコンバッグに詰めこまれた汚染された残土はクレーンで運搬船に積み込まれた(写真:静岡県)

フレコンバッグの中身は、昨年秋、土石流の起点となった伊豆山の源頭部で見つかった2万8000立方メートルの取り残しの残土だ。環境基準の数倍の鉛と基準を超えるフッ素が検出された、いわゆる「汚染土」である。

筆者は、熱海の災害現場と残土の処理現場を何度か訪れている。フレコンバッグに詰める残土の色は黒褐色だった。伊豆山に埋められた残土を撮影した熱海市の公開写真を見ると、これも黒褐色である。

伊豆山に埋めた黒い土の「秘密」

静岡県の担当者は「建設発生土の地盤を固める時、固さが足りないので、現地で固化材を混ぜるよう指導したからだ」と答えた。しかし、熱海市の当時の職員がこう記録している。「(持ち込まれた)黒っぽい残土は、搬出元で安定のため、若干セメントを混ぜているかもしれない」(市公開文書)。

業者が熱海市に提出した「改良証明書」には、「熱海、伊豆山購入残土 この残土は、改良を施し一般残土とみなします」とあり、検査会社の名前は黒塗りされている(公開文書)。

「一般残土」という名称はないから、その実態は「改良土」らしい。重金属の溶出量を測った計量証明書は添付されていないから、とても正当な証明書とは思えない。それでも市はこれを受理した。

災害後の県の調査で残土に廃コンクリートや廃プラスチック、木くずなどの産廃が相当混じり、土壌環境基準を大幅に上回る鉛と基準超えのフッ素も検出された。

元国土交通省の技官だった難波喬司副知事(当時)は「フッ素が高いのは固化材のせい」と説明したが、固化材のセメントには環境基準を超えるほどのフッ素は存在しない。もともと産廃混じりの汚染土だったということになる。

環境政策論が専門の畑明郎・元大阪市立大学教授は「埋め立て業者は『改良土』と呼んでいますが、その多くは産業廃棄物の建設汚泥が原料です。伊豆山の残土も建設汚泥の可能性が高い。県は廃棄物処理法によって産業廃棄物と認定すべきでした」と話す。

もし、産業廃棄物と認定したら、即座に措置命令(撤去命令)を出すことができる。産廃の不法投棄には、最高で3億円の罰金を科すことができる。

その強力な法律を使わず、なぜ、市は規制力の乏しい県の土採取規制条例に頼ったのだろうか。

産廃の建設汚泥の疑いも

県が「搬入されたのは建設発生土」と言い張るのは、産業廃棄物(建設汚泥)と疑われるのを嫌っているからだ。建設工事から出る建設発生土は廃棄物でなく、廃棄物処理法の対象外だ。

国交省によると、建設発生土は年間約2億9000万立方メートルの発生量のうち約1億6000万立方メートルが工事現場に戻し、埋め戻し材に使うなど有効利用されているが、約6000万立方メートルの内陸埋立地の実態は不明としている。


三重県紀北町名倉の残土捨場。太陽光パネルを設置する準備が進むが、谷を埋めたあと会社は倒産した。急斜面で災害の発生が懸念される。こんなところが全国各地にある(筆者撮影)

危険な残土の山を築いたり、農地に無断で盛土したりする事例が相次ぎ、多くの自治体が、残土の搬入と埋め立てを規制する条例を制定した。しかし、条例は、地方自治法上、2年以下の懲役と100万円以下の罰金しか下せず、抑止効果に欠ける。

静岡県の土採取条例は20万円以下の罰金だった(2022年に県が制定した盛土規制条例は2年以下の懲役、100万円以下の罰金とした)。これでは悪がはびこる。熱海市もその1つだった。

熱海市の盛土が造成されたのは2009年にさかのぼる。この業者は、熱海市内の建築物を解体し、3000立方メートルの建設廃棄物を伊豆山の山林に持ち込み、さらに盛土現場に運んだ。

県は、口頭と文書で指導を続けたが、効き目はなく、業者は廃棄物を埋めてしまった。この業者の投棄に、県が措置命令を発令することはなかった。その理由について、埋め立て現場の近くに産廃が持ち込まれているのを見つけた県職員は復命書にこう記している。

「運転手は『解体ごみの仮置き場と聞いている』。埋め立てたら警察に通報することもあるが、警察は摘発しても除去までしないので、まずは根気よく指導していく方がいいのではないか」。熱海市が土採取条例で口頭注意と文書での指導にとどめたのと同じことを、県もやっていたのだ。

仮に産廃混じりの残土を産廃と県が認定すると、措置命令をかけて業者が従わなくても、排出元の工事現場の業者に回収を命令することが可能だ。公開された県の文書からは、こうした検討を行った形跡はまったくない。

森林法と砂防法の適用も県は嫌った

森林法の適用でも、責任を放棄しようという行政の実態が浮かび上がる。開発業者は、1ヘクタール以下の開発計画だと市に伐採届けを出し、1ヘクタールを超えると県に林地開発許可申請を行う必要がある。

2007年3月、この業者が土採取条例に基づき市に9446平方メートルの届出を行った翌月のこと。「1ヘクタールを超える開発が無許可で進められている」との通報が市にあり、市から連絡を受けた県の職員が現地を見た。通報通りで、県は、森林復旧を文書で指導、植栽させることで決着した。


見るからに危険そうな熱海市の盛土現場。持ち込まれた改良土は黒褐色だ(熱海市の公開文書、2009年11月撮影)

ところが、2009年11月、再び同じことが起きた。市は、同じ場所で1ヘクタールを超える改変が行われている疑いがあるとし、11月4日、県の東部農林事務所と協議した。

県職員は「もし1ヘクタールを超えているようであれば、復旧を指導していくことになるが、現地は一度指導を受けた場所であり、再犯の場合もまた同じようなやり方(植栽のこと)で許していいのか考える必要がある」と記した。

業者に強い方針で臨むかどうか、考えていることがわかる。

ところが、2日後の協議の記録では、「1ヘクタールを超える開発との確認がされていないので森林法の適用はできない。従って条例を根拠に指導をしていきたいとして検討中である」と姿勢が急変した。

そして、業者が1.2ヘクタールの測量図面を出してくると、「図上求積であり、信憑性も欠け、正式の文書でないため、最初は、伐採届けの指導と土採取条例の指導で市が動く」(11月13日、農林事務所)と、県は関与しないことになった。

土石流災害の後、市側が「県の不作為」と指摘したのが、砂防法による砂防指定区域の指定だった(国が指定、県が管理)。盛土現場の下流に砂防ダムがあり、1999年に砂防指定地になっていた。

本来は、その上流部分も指定し、開発を規制するのが普通だが、県は放置した。県の難波副知事は、会見で「上流部指定の必要性が認められないと判断したのは行政裁量として認められる」。県は、ほかの法令も含めて判断の誤りはなかったという立場をとりつづけている。


副知事自ら職員をヒアリングした報告書

熱海市は、2022年11月に事故を検証した報告書をまとめた。

被害が出た日、市は避難の呼びかけにとどまり、より強い避難指示を発令しなかった。だが、市は「裁量権を逸脱した権限の不行使に当たるとまではいえない」とする。残土埋め立てについては、市の行政指導の経過が記されているだけである。

同様に、2022年5月に公表された県の第三者委員会の報告書は、土採取条例による対応を主眼にし、空欄のある申請書類を受理し、措置命令も出さなかった市の対応を批判した。そして市と県の連携不足を指摘していた。

一方、県所管の森林法、廃棄物処理法、砂防法についてはほとんど検証せずに終わっていた。報告書には「行政姿勢の失敗」といった厳しい言葉が踊るが、結果的に県の責任を見逃すような内容になっていた。これに齊藤栄市長が不満を表明したのは当然かもしれない。

その後、独立した第三者委員会と言いながら、公募で選ばれた事務局を担う2人が県庁OBだったことや、委員らは県職員のヒアリングをせず、難波副知事が職員をヒアリングした結果などをもとに、事務局が報告書案を作成していたことがわかった。副知事を前にして、県の失敗と判断の誤りを証言できる職員がいるだろうか。

これについて、県議会に設置された特別委員会に招致された委員の出石稔関東学院大学法学部長は次のように語った。「報告書の原案は、事務局が書いているんです。われわれが主導を取れなかったのが、あの報告書の結果だと思っています」。

特別委員会は、報告書の問題点を指摘し、県に再検証を求めると、川勝平太知事は今年6月、再検証を行うことを表明した。しかし、これまでと同じやり方なら再検証しても、出てくる結果は同じに違いない。

この5月に施行された「宅地造成及び特定盛土等規制法」(盛土規制法)は、宅地に限定していた旧法を林地や農地に広げ、県知事が指定した区域への残土の持ち込みを許可制に改めた。

熱海の土石流災害をきっかけに成立した法律で一歩前進と言える。だが、建設発生土の排出から利用・処理・処分までの流れは把握できず、自然・生活環境の保全に目を向けたものではなかった。


土石流は人家をなぎ倒し、海に向かった。2年たったいまも爪痕は残る(6月29日筆者撮影)

背景には、省庁の縄張り争いが見え隠れする。内閣府の「盛土による災害の防止に関する検討会」では、委員の櫻井敬子学習院大学教授が、国交省が作成した報告書案について、「国交省色が非常に強い。ほかの省庁がもう少しコミットしやすいようにした方がいい」と述べた。

省庁の縄張り争いが法制化阻む

しかし、意見は生かされず、住宅地を所管する国交省と、林地・農地を所管する農水省と共管の法律になった。環境省は出る幕がなかったのか。

実は、残土問題が社会を賑わせていた2000年代初頭、環境省が法制化を検討したことがあった。357市町村が残土関連の条例を制定し、統一的な法整備を求めており、環境省の審議会で議論を始めた。しかし、建設省(現国交省)の猛抵抗にあい法制化は見送られることになった。

規制対象とすると、処理コストが跳ね上がり、利用が進まなくなるとの国交省の主張は、現在も変わらない。


今回の盛土規制法に、環境保全の側面から関与すべき環境省は音なしの構えだった。環境省OBが語る。「残土問題は、悪徳業者も含めいろんな関係者が絡まってダークな世界。ややこしい世界に首を突っ込みたくないという判断だろう」。

汚染土の無害化処理にかかわる業者は次のように内情を明かす。

「まじめに汚染土や汚泥のリサイクルに取り組む業者が販路の開拓に苦しむ一方、熱海市の盛土の事例のように悪徳業者が暴利をむさぼる構造が存在する。省庁の縦割りを排し、土の世界全体に網をかける法律が必要ではないか」。

災害から2年経っても、「土の世界」の法規制の空白は少し埋まっただけである。

(杉本 裕明 : ジャーナリスト)