「アヒージョ」を2年ほど前まで知らなったという俳優の佐藤二郎さん。そんな彼が今思うこととはーー(写真:ginga_sora / PIXTA)

俳優・佐藤二朗さんの心から漏れ出す言葉は、200万人のTwitterフォロワーや、5年続く連載コラム読者たちの心を癒やし、震わせてきました。「疲れもモヤモヤもイライラも吹っ飛ぶ」「やさしい気持ちになれる」「とにかく笑ってスッキリする」など、多くの中毒者から反響の声が届くほどです。オリジナリティが過ぎる「マーツー(妻)の毒舌思考」、意味不明なようで滋味深い「酔っ払いネタ」、「精神年齢同級生」の愛しい息子とのやりとり、そして時には熱い仕事論まで--。

「佐藤二朗」をとことん味わえる、自身初のコラム集『心のおもらし』から、人は一概に「○○な人」と色分けはできないな、と思った話を、一部抜粋・改編してお届けします。

沢庵と父の威厳

「ものを知らない」。よく言われる。事実そうだと思うし、大人として恥ずべきことだと自覚している。「アヒージョ」という言葉は2年ほど前に知った。それまでの47年間、僕の人生にアヒージョはなかった。知ってからは3日に1回くらいアヒージョを食べている。食べ過ぎだ。でもめっさ旨いよねアヒージョ。

「カマドウマ」は数日前に知った。妻が「最近、わたし、腕が太くなっちゃって……カマドウマみたい」と言うので、「え何? 何ウマ?」と聞いたことにより知った。妻は呆れながら、昆虫の一種だと教えてくれた。


佐藤二朗さん

先日、晩酌中にふと、本当にふと思って、妻に聞いた。「沢庵ってさ、要するにさ、何なの?」。妻は「ちょっと」と小声で囁き、僕を別部屋に導いた。「父の威厳が失墜するから、息子の前で変な質問やめて」と怒られた。そりゃそうだ。沢庵は大根の漬け物だ。ちょっと考えれば分かる。いや考えなくても分かる。常識だ。

しかし、なんか俺、沢庵は沢庵だと思ってたんだよね。幼き頃より当たり前のように食卓にあった沢庵は他の何物でもなく要するに沢庵だと思ってたんだよね。いや勿論、沢庵は沢庵なんだが、沢庵が大根というところまで頭が回らなかったというか、要するに僕ちょっと馬鹿なんす。これマジで。

いや、開き直るのはよそう。無知は恥だ。恥ずべきことだとしっかり自覚し、しっかり恥じよう。そして無知を改めるよう努めます、ハイ。

僕の知り合いの舞台演出家に、とんでもなく、本当にとんでもなく、財布や携帯を置き忘れる人がいる。あらゆるところに置き忘れる。自宅はもちろん、稽古場、居酒屋、タクシーの車内、電車の座席、果てはバス停に置き忘れる。あまりに頻繁に置き忘れるので、何かのギャグかと思ったが、どうやらギャグではないらしい。本人は至って真剣に悩み、なんとか改善したいと思っている。で、その矢先にまたどこかに置き忘れる。「もう泣きたいよ」とは本人の弁。

ところがこの人、こと役者を演出すること、芝居を観る眼、は、ちょっと異常なくらい発達している。もう、ほとんど超人レベルだと僕は思っている。


また、別の旧知の演出家は、繊細な神経も持ち合わせてるのに、こと「人に批判されること」に関しては、まるで気にせず、気にせずどころか、悦びに変えている節があり、こう書くと少し変態みたいだが、多分変態なのだろう。

批判を自身の力の源にしているというか、むしろ燃料にしている感じ。先日、このことに関してその人と話したが、「おそらく、批判を気にする神経が切れている。あるいはその神経そのものが無い」という結論(?)に至った。

かといって、その人が「図太い」かというと、そうでもない。他の人が見ないところを見て、他の人が気にも留めないようなことを気にして、他の人が考えもしないことを考え込む。

人は一概に「○○な人」と色分けはできない

つくづく、人は一概に「○○な人」と色分けはできないな、と思う。「繊細な人」といっても、あるところには凄く繊細で、あるところでは全くズボラだったりする。「物知りな人」と一概にいっても、あるところには凄く知識が深く、あるところでは全く物を知らないということもある。

わたた。自分が無知であることの言い訳みたいな結論になっちゃった。繰り返すが勿論、無知は恥ずべきことだ。改善するよう努めます。これホントに。ただまあ、色んな人がいるし、色んな人がいていいし、色んな人がいる方がなんつーか、愉しいよね、てな感じでどうかひとつ。さ、今夜の晩酌は、アヒージョにするかね。

(初出:AERA dot.2018/09/16)

(佐藤 二朗 : 俳優)