次官ポストでは隆盛を極めた財務省だが、「最強官庁」と呼ばれた面影は薄い(写真:barman / PIXTA)

霞が関での財務省の存在感が高まっている。数年前からひそかに進めてきた、次官・次官級のポストを狙った人事戦略が実を結び、有力ポストを次々におさえているのだ。

財務省は6月27日、幹部の定期人事異動を発表した。茶谷栄治事務次官(大蔵省1986年入省)、新川浩嗣主計局長(同1987年)の2トップが留任した中、注目を集めたのが首相秘書官人事だった。宇波弘貴首相秘書官(同1989年)が官邸から財務省に復帰し、官房長に就く。宇波氏の後任として、財務省の一松旬主計官(同1995年)が官邸に送り込まれる。

来夏は新川氏の次官昇格が予想されるが、懸案は定年制度だ。人事院規則は、局長の定年は60歳、次官は62歳と定めている。新川氏は2023年度に局長としての定年を迎える。ただ、人事院規則では、当該ポストが高度の専門的な知識や熟達した技能、豊富な経験を必要としており、後任を簡単には探せない場合に定年延長を認めている。

新川氏が仮に来夏次官に昇格する含みで2024年度も主計局長を続ける場合、この規定を使うことになりそうだ。しかし、各省はこれまで、局長に定年を厳しく適用してきた。抽象的なこの規定を当てはめれば、局長は何歳になってもできてしまう。新川氏に適用する場合、定年延長の具体的理由が問われることになる。

旧自治押しのけポスト獲得

省内の人事とは別に、省内外で話題となったのは、財務官僚が多くの次官・次官級ポストを占めたことだ。

復興庁の事務次官には、財務省出身の角田隆氏(同1988年)が同庁ナンバー2の統括官から昇格した。国土交通省出身の石田優氏(建設省1986年入省)の後任となる。

2015年以降、復興次官は、国交省の旧建設省系官僚と、総務省の旧自治省系官僚が1年交代で就いていた。角田氏の次官就任は、たすき掛け人事の慣例から旧自治が脱落したことを意味する。

背景には複数の要因がある。1つは財務省側の事情だ。財務省は入省年次ごとに財務次官を出すのが原則だ。ただ、財務次官は2024年に1987年入省の新川氏が就いた後は、1989年入省組から出すことが有力視されている。つまり、1988年入省組から財務次官が出る可能性は低い。

1988年入省組でトップを走ってきたのは、今夏の人事で国税庁長官を退く阪田渉氏だった。また、阪田氏の後任となる住沢整主税局長も同期ではエース格だった。しかし、国税庁長官は原則として、引退前の「上がりポスト」とされる。

一方、国税庁長官は「次官級」ポストだ。中央官庁には、次官という名前は付かないが、次官と同等の位置づけである次官級ポストがある。財務省では自前の次官級ポストとして、国税庁長官や財務官を持つ。そのほか、人事院事務総長や公正取引委員会事務総長といった次官級ポストがあり、財務省は各省間での交渉や争奪戦で獲得している。

1988年組は次官級の国税庁長官を2人輩出したが、本物の「次官」を出せないことになる。そこで、2年前から財務省上層部が人事権者である官邸に復興次官のポストをもらえるよう働きかけていたようだ。

順番通りならば今夏復興次官のポストを取るはずだった旧自治系幹部とは水面下でバトルを繰り広げたが、軍配は財務省に上がった。昨夏以来、官邸上層部と旧自治省にすきま風が吹いており、角田復興次官誕生の背景にもなっている。

今後は内閣、環境次官も

財務省から分離・独立はしたが、金融庁長官も財務省出身の栗田照久氏(大蔵省1987年入省)が就く。金融庁には金融国際審議官という次官級ポストもあり、有泉秀氏(同1988年)が就く。また公正取引委員会の事務総長も次官級で、藤本哲也経済取引局長(同1987年)が内部昇格する。

これまでに書いただけで、財務省出身者が財務次官、復興次官、国税庁長官、財務官、金融庁長官、金融国際審議官、公取委事務総長と7つの次官・次官級ポストを握ることになる。

実はこれに先立つ2022年12月、財務省はすでに次官級ポストを1つ獲得していた。柴崎澄哉氏(同1986年)が就任した、人事院の事務総長だ。同ポストは、給与体系上、財務次官と同格。この時から「財務省は来夏の人事で各省の次官や次官級を総なめにするのでは」との観測が立っていた。
 
今夏は次官交代が見送りとなったが、今後、内閣府では井上裕之内閣審議官(同1986年)、 環境省では鑓水洋総合環境政策統括官(同1987年)が事務次官に昇格する可能性がある。いずれも、次官含みで内閣府や環境省に2〜6年前から持ち駒を送った財務省上層部の作戦が光る。

霞が関の次官・次官級の数ではチャンピオンとなった財務省。この隆盛ぶりを彷彿とさせるのが、2017年夏の人事異動で旧自治省出身者が次官や有力ポストを多数獲得したことだ。

旧自治省・旧郵政省・旧総務庁で原則として順繰りのはずの総務省次官ポストが、佐藤文俊氏(自治省1979年入省)から安田充氏(同1981年)へと、旧自治省官僚でリレーしたうえ、内閣府次官に河内隆氏(同1982年)、復興次官に関博之氏(同1981年)が就いたのだ。安田氏と河内氏は菅義偉官房長官(当時)の信頼が厚かったこと、関氏は内閣府出向時代に沖縄問題に尽力したことが時の官邸幹部に評価されての功労人事だった。

さらに、同年は官邸での有力ポストである総務官室審議官ポストを旧建設省(国交省)との競り合いの末に奪取したことも、旧自治省の勢いを印象付けた。

次官大量獲得は「嫉妬のもと」

ただし、当時から旧自治省には「目立ちすぎるといずれ嫉妬を買って、ポストを失う」という懸念もあった。同時期、財務省の中でも「旧自治省が次官ポストを取りすぎている」という問題意識が芽生え、今日の次官ポスト大量獲得に至る一連の人事活動につながったようだ。

旧自治省の懸念が現実になったのが岸田政権発足後だった。安倍政権・菅政権では、かつて総務相を務めた菅氏の影響力があり、有力ポストを多数取れた。しかし、岸田政権になると官邸の旧自治省への評価は下がり、2022年の人事異動では希望した有力ポストを取れなかった。

今回、次官ポストでは隆盛を極めた財務省だが、「最強官庁」と呼ばれた面影は薄い。岸田政権が2022年末、防衛財源で復興特別所得税の一部を財源に転用する案を打ち出し、世論から不評を買った。

さらに、今年6月には、「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)で少子化対策の財源論を「社会全体でどう支えるかさらに検討する」というあいまいな言葉で先送りした。世論の反発を受けたのは政権だが、失態をさらしてしまった責任は財務省にもある。

数字の帳尻合わせや、目先の人気取りにとらわれず、壮大な国家論を持って政権の財政政策をサポートするのが財務省の役割のはずだったが、この2つの事例では力不足ぶりをさらけ出した。今後も財務省が本来業務での存在感を示さなければ、一連の次官人事も「つまらない猟官争い」と冷笑を浴びてしまうだろう。

(種市 房子 : ライター)