車いすテニスの新時代を紡ぐ17歳 小田凱人が全仏を制しグランドスラム初優勝「自分がさらに大きいスポーツにしていきたい」
「流れがきている。絶対に行ける」
自分を信じる気持ちは、最後まで揺るがなかった。
142キロのセカンドサーブを打ち込み、相手のリターンがアウトになると、両手を広げて喜びを爆発させた。ネット越しに相手と握手を交わし、ベンチに戻る途中、押し殺していた感情とともに涙があふれた――。
全仏オープンで最年少記録を塗り替えた小田凱人
テニスの全仏オープンは6月10日、車いすの部の男子シングルス決勝がセンターコートのコート・フィリップ・シャトリエで行なわれ、第2シードの小田凱人(ときと/東海理化)が第1シードのアルフィー・ヒューエット(イギリス)を6−1、6−4のストレートで撃破し、グランドスラム初優勝を果たした。日本勢で全仏オープンを制したのは、昨年のチャンピオンで今年1月に現役を引退した国枝慎吾氏に続く2人目だ。
また、17歳33日での優勝は、ヒューエットの記録(20歳1カ月23日)を抜いて史上最年少記録となる。さらに、今回の優勝によって、大会後の世界ランキングもヒューエットを抜いて小田が1位に浮上する。
ここまでのふたりの戦績は、7戦して小田の1勝6敗。昨年10月の世界マスターズの決勝で初めて小田がヒューエットから白星を挙げているが、それ以降は今年の全豪オープンを含めて3連敗中だ。ヒューエットはミスの少なさや力強いショットはもちろん、オフ・ザ・ボールの能力に長けている。今大会は1回戦こそ、東京パラリンピック銀メダリストのトム・エフべリンク(オランダ)と接戦になったものの、2回戦でリオパラリンピック金メダリストのゴードン・リード(イギリス)、準決勝で昨年のクレーでの勝率が85%とトップ5のなかで抜きん出ているグスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)をストレートで下して勝ちあがってきた。
一方の小田は、準々決勝で世界ランキング5位のルベン・スパーガレン(オランダ)とフルセットマッチにもつれた反省点を活かし、準決勝はクレーを得意とする難敵のマーティン・デ ラ プエンテ(スペイン)にタイブレークに持ち込まれるも2セットで勝ちきるなど、修正力の高さを発揮。さまざまな記録と期待がかかるなか、「失うものはないし、実現できることがめちゃくちゃ楽しみ。アルフィーが決勝にくることも予想していたし、準備はできている」と、決勝を前に落ち着いていた。
クレーコートでヒューエットと対戦するのは今回が初めてだったが、小田は試合開始直後から戦局を冷静に分析していた。
「想定していたよりも、相手からサービスエースを取られていない」
そこで小田はリターンからアグレッシブに行くことを選択。第1セットの第4ゲームでは、クロスのリターンエースなど2本連続でポイントを決め、ブレークに成功。そして、第6ゲームも3本のリターンエースを決めて、完全に試合の流れを引き寄せた。
第2セットは互いにブレークする展開に。第4ゲームは5度のジュースから追いつき、最後は145キロのサーブでヒューエットのレシーブミスを誘った。そのあとは小田のダブルフォルトなどでポイントを失い4セットオールとされるが、最後は"苦手"から強化を経て"武器"になりつつあるバックハンドショットやサーブでヒューエットの体勢を崩し、勝ちきった。
圧巻だったのは、最後までゲームの主導権を握り続けたことだ。「1セット目を取っても、次が大事だからと言い聞かせていた。決勝でそれを実現できたのはかなり自信になった」と小田は振り返る。1年前の4月にプロ選手として活動していくことを宣言してから苦楽をともにしてきた熊田浩也コーチからは「本当によくやった」と声をかけられたといい、「専任になったのは去年からだけど、その前からずっと(練習拠点の岐阜インターナショナルテニスクラブで)教えてもらっていた。二人三脚で成長してきたから、本当にうれしいです」と笑顔を見せた。
【病気と闘う子どもたちのヒーローになる】サッカーに夢中になっていた9歳のときに左股関節に骨肉腫が見つかり、人口関節を入れる手術を受けた。2012年ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した国枝氏のプレーを見て、車いすテニスを始めると、めきめきと頭角を現した。この頃から、13歳8カ月25日で世界ジュニアマスターズの単複で優勝、14歳11カ月18日で世界ジュニアランキング1位など、「最年少記録」を多々塗り替えてきた。シニアに転向後も、16歳23日でグランドスラム(昨年の全仏)出場、16歳5カ月29日で世界マスターズの単優勝など、より高いレベルに居続ける。
そして、今大会で最年少世界ランキング1位を達成した小田にはもうひとつ、「病気と闘う子どもたちのヒーローになる」という目標がある。優勝記者会見で小田は、こう語っている。
「病気をすることをマイナスに感じる人ももちろんいるし、僕も何度もそう思った。ただ、車いすテニスをしていればそれを感じない。僕は(競技に出会えて)ラッキーだったと思う。だからこそ、同じ骨肉腫にかかった少年少女たちには、『病気はそんなに悪いことじゃないよ』と、プレーや発言をとおして伝えていきたい。何かひとつできるようになれば、それは武器に変わるから。今回の僕のグランドスラムでの優勝を見た人に、何か届けばうれしい」
優勝後のオンコートインタビューでも「自分がさらに車いすテニスを大きいスポーツにしていきたい」と話していた小田。国枝氏をはじめ、先人たちが切り拓いてきた車いすテニスの歴史のバトンを、17歳の若きエースがしっかりと受け止め、引き継いでいく。