田中美佐子 水面下で進めていた「格下夫」切り…離婚前から別居、コロナ禍で収入格差も決定的に
《パパと私はお別れすることになりました。いきなりでびっくりされた方もおられると思いますが、ここまでに至るまで、私たちにはとても長い年月がかかりました》
6月7日、女優の田中美佐子(63)が、お笑いコンビTake2の深沢邦之(56)との離婚をインスタグラムで発表した。
2人の結婚はさかのぼること28年前。所属事務所の紹介で深沢が田中の付き人となったのがきっかけだった。すでに年収1億円と言われていた田中とは“収入格差100倍婚”と呼ばれた。
田中は映像プロデューサーの残間里江子さんとの対談で、深沢に次のような気持ちを伝えていたと明かした。
《私はお金をたくさん稼いでくれる人と暮らすより、死ぬときに、この人と結婚して幸せだったと思える人と一緒になりたい》(『清流』21年2月号)
田中の猛アプローチがありながら、結婚を躊躇していた深沢。最終的には、父親から「お前が主夫となって守ってあげなさい」と言われ、決心したという。
転機は’02年。田中は43歳で長女を出産した。それ以来、夫婦の生活は“娘ファースト”に様変わりしたという。
「新婚当時から暮らしていた海辺近くの“1億円豪邸”を売却し、娘さんが学校に通いやすい場所に引っ越しました。送り迎えはもっぱら深沢さんの仕事。深沢さんは仕事をセーブして、家事や子育てをしていたようです。
一方の美佐子さんも、仕事のないときはいつも娘さんといっしょに過ごし、学校からの帰宅が遅いとGPSで捜索していたとか」(芸能関係者)
“仮面夫婦”ではないかとも言われていた2人。それでも20年放送の『ちょっと山頂へ〜絶景!ニッポン低山紀行〜』(BSテレ東)では14年ぶりの共演を果たしている。それにしても、なぜいま田中は離婚に踏み切ったのか。夫婦問題研究家の岡野あつこさんはこう推察する。
■2年以上前から計画されていた「格下夫」切り
「離婚発表のコメントで、深沢さんのことを“パパ”と表現していることから、家族としての関係性だけになっていたように思われます。
いまは“卒婚”という言葉が流行っていて、離婚せずお互いに別々の道を歩むというご夫婦は数多くいらっしゃいます。あえて離婚という区切りをつけることで、人生をもう一度やり直したい、という意気込みも感じます。また、財産をきっちり分けたいという考えもあるのかもしれません」
今年は娘が成人式を迎え、子育てでもひと区切りを迎えていた田中。1月10日のインスタグラムにはアフロヘアに扮装した自身の写真とともに、「成人の日に娘の大好きなブルーノマーズが駆けつけてくれたらどんなに喜んでくれるだろうか!」と投稿。かなり“愛情とクセの強い”お祝いだが、そこに深沢の姿はなかった。
「今回の離婚は2年以上前から計画されていました」と語るのは、田中を知る芸能プロ関係者だ。
「田中さんは、長年所属していた事務所から19年に独立し、一時期は個人事務所で活動していました。マネージャーをたてず、本人が直接送る丁寧な営業メールは、業界で話題になっていました。
その個人事務所は夫婦が役員となっていたのですが、’21年3月に深沢さんが辞任。同時に娘さんが役員に就任し、夫婦2人から母子2人へと体制を切り替えているのです」
関係者はさらに続ける。
「じつは、同じころから夫婦は別居しています。深沢さんが自宅から出ていく形で、近しい人には隠していなかったようです」
突然の発表に思われた離婚は、着々と進められた“夫切り”だったのだ。
■離婚後の深沢に待つ暗い見通し
こうして妻子の元を離れることになった深沢だが、生活の見通しは明るくないようだ。
「深沢さんと東貴博さんのTake2といえば、お笑いコンビのなかでも3本の指にはいるくらいの“不仲”で有名。2人での仕事はほとんどありませんし、深沢さんは唯一のレギュラー番組『噂の!東京マガジン』(BS-TBS)が21年からBSに格下げされ、ギャラも減ってしまいました。
また、’20年から始めたYouTubeは登録者数が1千人をわずかに超えた程度。趣味の登山や剣道に関する動画を基本的に毎日アップしていますが、再生回数100回にも達しないことが多く、芸能人としては壊滅的でしょう」(テレビ局関係者)
近年バラエティにも活躍の場を広げる田中との“夫婦格差”はさらに広がっていたのだ。
「姉御肌の田中さんはこれまで責任感から深沢さんを支えてきましたが、還暦を迎え、人生を考え直すようになったそうです。コロナ禍で仕事の減った深沢さんと口論になることも増え、“死ぬまで大黒柱なんてイヤ”と思ってしまったのでしょう。
田中さんは’20年にお兄さんをアルコール依存症で亡くしていて、そのことも少なからず影響しているようです」(田中の知人)
一方の深沢の知人も語る。
「長年、女優・田中美佐子が自由に動けるようにと仕える気持ちだったそうですが、近年、仕事が減ったうえに親の介護も始まり、心が折れてしまったそうです」
「自分の人生が始まるのは60歳から」と題した『美ST』(20年12月号)のインタビューでは、田中がこんな思いをもらしていた。
《私たち夫婦は、40代50代は一緒に子育てをして駆け抜けてきました。これからはそれぞれが自分の人生を生きながら、共に寄り添い生きていく夫婦のカタチに変わるのではないかと思っています》
しかし、このころからすでに田中は寄り添い生きていくことをあきらめていたようだ。彼女の人生のTake2を応援したい。