おかもとまり、“広末涼子ものまね”芸人時代を振り返る「笑いがとれないのに芸人という肩書は重荷だった」
広末涼子のものまねで人気を博し“かわいすぎる女芸人”として活躍した、おかもとまり。先日ABEMAの恋愛バラエティ番組に出演し、今も変わらず“かわいすぎる”姿を見せ、話題を呼んだ。彼女は2018年にものまねタレント活動を実質上引退し、現在は映像制作を軸とした様々な活動を展開中だ。華々しいデビューの裏側から、結婚・出産、大切な人との別れ、そして現在の仕事を始めるに至った経緯について、真摯に語ってもらった。
【写真】元“かわいすぎる女芸人”、おかもとまりの撮りおろしカット【12点】
「今の肩書きは……一言で表すと、『クリエイター』なのですが、本当に色々なことをしているので、何かいい表現がないかなあ。あったらぜひ教えていただきたいですよ(笑)」
現在の仕事について問うと、おかもとはニコリと笑みを浮かべこう答えた。19歳でとんねるずの番組内の企画で広末涼子のモノマネを披露し、「かわいすぎる女芸人」として世間に強い印象を残した彼女は現在、映像制作、映画/アニメの原作・原案を中心に、講演活動と幅広い活動を展開中。ものまねタレント業は2018年に実質的に引退している。
その彼女が今年2月9日に久々の本格的バラエティに出演。すると、あの”かわいすぎる“姿は、今も変わらないと話題を呼んだ。
「16歳の頃からお知り合いの方が番組ディレクターさんだったので、安心できるなあと思って出演しました。以前テレビでのお仕事をいただいていたときは『みんなに好かれたい』と見え方を何よりも大切にしていたんですけど、今回の久々の出演では『もう見え方は関係ない!私らしくいることが大切』と、肩の力を抜いて挑めました」
テレビへの露出はたびたびあるが、今の仕事と生活から離れることは一切考えていない。
「今はありがたいことに、昔以上に忙しい日々を過ごしています。自分の時間がなくても息子との時間があれば幸せ。この幸せは、きっとタレントを続けていたら感じることもなかったと思います」
幼少期絵を描くこと、化粧品のデザインを考えること、と何かをクリエイトすることが好きな少女だったおかもと。家族も仲睦まじく、平穏な毎日。その彼女が夢見ていた未来は、暖かでささやかなものだ。
「一番の夢は、『温かい家庭を築くこと』でした。柔らかい空気に包まれるのが子どもの頃から好きだったんです」
お転婆ではありながら周囲に迷惑をかけることはなかったという、派手とは程遠い真面目な少女が芸能界への門を叩くキッカケを作ったのは、ある一冊の本との出会いであった。
「太田光代社長の本を読んで、なんとステキな方だろう!と感銘を受けたんです。光代さんは自分のコメディー女優という夢を休み、パートナーの太田光さん、爆笑問題さんを支えるためにゼロから会社を作り売り込んでいかれた。自分以上に、自分が大切だと思ったことのために命を懸ける精神が、本当に輝いて映ったんです」
将来は自ら好きなものを発信し、自分の好きな何かをプロデュースしてみたいという想いを持つも、その想いを叶えるための方法と力は当時中学生のおかもとは持ち合わせていない。そこで一つの考えにたどり着く。
「有名になればお金ももらえ、自分の好きなことをできるキッカケ作りもできるはず」
中学生3年生の時、雑誌をめくると「あなたの夢を応援します」と書かれたオーディションが目に飛び込む。文言に惹かれるように受け見事合格。千葉のテレビ番組発のアイドルとして、芸能活動のスタートを切ることに。
会社の寮に泊まりこみながら、夢を追い求める生活が始まる。想像していた以上に芸能界は過酷であり“変”な場所だった。
「急に泥に落されたり、ドッキリをしかけられたり。男性30人に囲まれてどこまで臭いに耐えられるか?とか……もう、わけがわからない!としか言えない不思議な体験が毎週のように続くんですよ、そのたびに『私、芸能人の仕事をしているんだ!』と思っていました。田舎から出てきた10代の女の子としてはよく頑張ったと思います(笑)」
約2年にわたる活動を経て、次第に夢が大きく膨らむ。その夢のさらなる発展を求め、「真面目で古風な社風」との評判を聞き、憧れの太田光代と爆笑問題がかつて所属していた太田プロを新天地に選ぶ。事務所には自ら履歴書を持ち込み、売り込みをかけた。だが、晴れて入所するも、当時の太田プロには、おかもとの立ち位置にキレイに収まる部門がなかった。
「この頃の自分の強みは、そこそこ可愛くて、そこそこモノマネができるという点で、合う部門がなかったんです。宙に浮く形で、この子は女優になりたいのか?それともお笑いなのか?と、事務所内で話し合いがなされたんです。私は演技経験ゼロなので女優はできない。モノマネならちょっとできますということで、そこからものまねのオーディション、一方でアイドルオーディションなどに通う日々でした」
結果が出ず悩む日々。そんな折、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気企画『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』のオーディションに参加する。この経験と、事務所の先輩の一言がおかもとの人生を大きく変えることに。
「古賀シュウさんから、『ショートカットで少し広末涼子ちゃんに似ているし、タカさん(石橋貴明)も涼子ちゃんが好きだからモノマネしてみれば?』というアドバイスをもらって。そこからテレビやMVを観て研究し、いくつかパターンを作って受けたら見事に受かったんです。正直『あれ?』って。練習中ずっと『どこが広末涼子さんに似ているの?』と疑問に思っていたので、何が引っかかったかわからないことが、自分の心に引っかかりました(笑)」
本番の記憶はあまりに鮮烈な体験すぎて残っていなかった。微かに残るのは、2本目のネタがウケず裏で大泣きし、先輩の小出真保に『おかもと、本気なんだね』と、慰められたことだけ。この痛い経験と裏腹に、世間はおかもとを“見つけた”。『細かすぎて〜』出演翌日には週刊プレイボーイからグラビアのオファーが舞い込む。モノマネからまさかのグラビア。あれよと誌面に掲載されると、そこのキャッチにはこう書かれていた。
「かわいすぎる女芸人」。
宙に浮いていたおかもとの立ち位置は、この日から芸人にカテゴライズされることになる。
「笑いをとれないのに、“お笑いの人”という目で見られてしまい、まるで『東大卒の人』と言われているぐらいの高いハードルに乗った感覚で重荷でしたね。毎日が夏休みのようにワクワクすることが舞い込む一方、何かしらの結果も残さなくちゃいけないプレッシャーが襲い掛かる毎日でした」
目まぐるしく変わる環境、その中でおかもとは自分の立ち位置を俯瞰していた。
「少し経てばこの勢いは一段落すると思い、何か資格を取ろうと考えていました。想像通り2年目には仕事も落ち着き、私が番組内で求められる立ち位置も理解してきて。この頃は、温泉ロケで『気持ちいい〜!』と言って、モノマネすることが一番求められる仕事でした。ならばその良さを最大限に活かそう!と思い、温泉ソムリエの資格を取得したんです。予想は的中、旅ロケ仕事が増えました。とはいえ、『求められるものにどう応えるか?常に成功しなくちゃ生き残れない!』という焦りからくるものでした」
あらためてあの頃の、おかもとまりはどういうタレントだったのか?
「“運が良い子”でした。可愛いタレントさん、面白い芸人さんを間近で見ているからこそ、特技を持たない私にお仕事が来たのは運以外なくて。たまたまあの頃『かわいすぎる○○』が流行っていた時代に見つけていただいただけ。本当にとてつもなくラッキーな女の子ですね(笑)」
(取材・文/田口俊輔)
1989年12月13日生まれ、群馬県出身。“広末涼子似のかわいすぎる女芸人”として一世を風靡、現在は講演会講師のほか、映像制作、映画/アニメの原作・原案を中心に、公演活動など幅広く展開中。
Twitter:@okamotomari1989
Instagram:okamotomari1213
「今の肩書きは……一言で表すと、『クリエイター』なのですが、本当に色々なことをしているので、何かいい表現がないかなあ。あったらぜひ教えていただきたいですよ(笑)」
現在の仕事について問うと、おかもとはニコリと笑みを浮かべこう答えた。19歳でとんねるずの番組内の企画で広末涼子のモノマネを披露し、「かわいすぎる女芸人」として世間に強い印象を残した彼女は現在、映像制作、映画/アニメの原作・原案を中心に、講演活動と幅広い活動を展開中。ものまねタレント業は2018年に実質的に引退している。
その彼女が今年2月9日に久々の本格的バラエティに出演。すると、あの”かわいすぎる“姿は、今も変わらないと話題を呼んだ。
「16歳の頃からお知り合いの方が番組ディレクターさんだったので、安心できるなあと思って出演しました。以前テレビでのお仕事をいただいていたときは『みんなに好かれたい』と見え方を何よりも大切にしていたんですけど、今回の久々の出演では『もう見え方は関係ない!私らしくいることが大切』と、肩の力を抜いて挑めました」
テレビへの露出はたびたびあるが、今の仕事と生活から離れることは一切考えていない。
「今はありがたいことに、昔以上に忙しい日々を過ごしています。自分の時間がなくても息子との時間があれば幸せ。この幸せは、きっとタレントを続けていたら感じることもなかったと思います」
幼少期絵を描くこと、化粧品のデザインを考えること、と何かをクリエイトすることが好きな少女だったおかもと。家族も仲睦まじく、平穏な毎日。その彼女が夢見ていた未来は、暖かでささやかなものだ。
「一番の夢は、『温かい家庭を築くこと』でした。柔らかい空気に包まれるのが子どもの頃から好きだったんです」
お転婆ではありながら周囲に迷惑をかけることはなかったという、派手とは程遠い真面目な少女が芸能界への門を叩くキッカケを作ったのは、ある一冊の本との出会いであった。
「太田光代社長の本を読んで、なんとステキな方だろう!と感銘を受けたんです。光代さんは自分のコメディー女優という夢を休み、パートナーの太田光さん、爆笑問題さんを支えるためにゼロから会社を作り売り込んでいかれた。自分以上に、自分が大切だと思ったことのために命を懸ける精神が、本当に輝いて映ったんです」
将来は自ら好きなものを発信し、自分の好きな何かをプロデュースしてみたいという想いを持つも、その想いを叶えるための方法と力は当時中学生のおかもとは持ち合わせていない。そこで一つの考えにたどり着く。
「有名になればお金ももらえ、自分の好きなことをできるキッカケ作りもできるはず」
中学生3年生の時、雑誌をめくると「あなたの夢を応援します」と書かれたオーディションが目に飛び込む。文言に惹かれるように受け見事合格。千葉のテレビ番組発のアイドルとして、芸能活動のスタートを切ることに。
会社の寮に泊まりこみながら、夢を追い求める生活が始まる。想像していた以上に芸能界は過酷であり“変”な場所だった。
「急に泥に落されたり、ドッキリをしかけられたり。男性30人に囲まれてどこまで臭いに耐えられるか?とか……もう、わけがわからない!としか言えない不思議な体験が毎週のように続くんですよ、そのたびに『私、芸能人の仕事をしているんだ!』と思っていました。田舎から出てきた10代の女の子としてはよく頑張ったと思います(笑)」
約2年にわたる活動を経て、次第に夢が大きく膨らむ。その夢のさらなる発展を求め、「真面目で古風な社風」との評判を聞き、憧れの太田光代と爆笑問題がかつて所属していた太田プロを新天地に選ぶ。事務所には自ら履歴書を持ち込み、売り込みをかけた。だが、晴れて入所するも、当時の太田プロには、おかもとの立ち位置にキレイに収まる部門がなかった。
「この頃の自分の強みは、そこそこ可愛くて、そこそこモノマネができるという点で、合う部門がなかったんです。宙に浮く形で、この子は女優になりたいのか?それともお笑いなのか?と、事務所内で話し合いがなされたんです。私は演技経験ゼロなので女優はできない。モノマネならちょっとできますということで、そこからものまねのオーディション、一方でアイドルオーディションなどに通う日々でした」
結果が出ず悩む日々。そんな折、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気企画『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』のオーディションに参加する。この経験と、事務所の先輩の一言がおかもとの人生を大きく変えることに。
「古賀シュウさんから、『ショートカットで少し広末涼子ちゃんに似ているし、タカさん(石橋貴明)も涼子ちゃんが好きだからモノマネしてみれば?』というアドバイスをもらって。そこからテレビやMVを観て研究し、いくつかパターンを作って受けたら見事に受かったんです。正直『あれ?』って。練習中ずっと『どこが広末涼子さんに似ているの?』と疑問に思っていたので、何が引っかかったかわからないことが、自分の心に引っかかりました(笑)」
本番の記憶はあまりに鮮烈な体験すぎて残っていなかった。微かに残るのは、2本目のネタがウケず裏で大泣きし、先輩の小出真保に『おかもと、本気なんだね』と、慰められたことだけ。この痛い経験と裏腹に、世間はおかもとを“見つけた”。『細かすぎて〜』出演翌日には週刊プレイボーイからグラビアのオファーが舞い込む。モノマネからまさかのグラビア。あれよと誌面に掲載されると、そこのキャッチにはこう書かれていた。
「かわいすぎる女芸人」。
宙に浮いていたおかもとの立ち位置は、この日から芸人にカテゴライズされることになる。
「笑いをとれないのに、“お笑いの人”という目で見られてしまい、まるで『東大卒の人』と言われているぐらいの高いハードルに乗った感覚で重荷でしたね。毎日が夏休みのようにワクワクすることが舞い込む一方、何かしらの結果も残さなくちゃいけないプレッシャーが襲い掛かる毎日でした」
目まぐるしく変わる環境、その中でおかもとは自分の立ち位置を俯瞰していた。
「少し経てばこの勢いは一段落すると思い、何か資格を取ろうと考えていました。想像通り2年目には仕事も落ち着き、私が番組内で求められる立ち位置も理解してきて。この頃は、温泉ロケで『気持ちいい〜!』と言って、モノマネすることが一番求められる仕事でした。ならばその良さを最大限に活かそう!と思い、温泉ソムリエの資格を取得したんです。予想は的中、旅ロケ仕事が増えました。とはいえ、『求められるものにどう応えるか?常に成功しなくちゃ生き残れない!』という焦りからくるものでした」
あらためてあの頃の、おかもとまりはどういうタレントだったのか?
「“運が良い子”でした。可愛いタレントさん、面白い芸人さんを間近で見ているからこそ、特技を持たない私にお仕事が来たのは運以外なくて。たまたまあの頃『かわいすぎる○○』が流行っていた時代に見つけていただいただけ。本当にとてつもなくラッキーな女の子ですね(笑)」
(取材・文/田口俊輔)
▽おかもとまり
1989年12月13日生まれ、群馬県出身。“広末涼子似のかわいすぎる女芸人”として一世を風靡、現在は講演会講師のほか、映像制作、映画/アニメの原作・原案を中心に、公演活動など幅広く展開中。
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