「悩むことは時間の無駄」 切り替えが早い人は困難とどう向き合っているのか

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34歳のときに精巣がんが見つかり、手術。その2年後に独立し、自らのビジネスを立ち上げ、現在は代表者一人の法人で1 億円に迫る年商を達成。

『乗り越え力: 僕ががんから生還して年商1億円フリーランスになった理由』(日本ビジネス出版刊)には、幾多の困難に向き合い、乗り越えてきた著者の奥村哲次氏の半生と考え方がつづられている。

なぜ困難を乗り越えられたのか。そして、仕事に追われることなく、趣味のサーフィンを楽しみ、新たなビジネスに挑戦できる環境をどのようにつくってきたのか。奥村氏にインタビューを行い、その考え方の本質に迫った。

■34歳のときにがんで手術。そこで変化したものとは?

――本書では、ご自身の半生を振り返りながら「チャレンジし続けよう」というメッセージが込められています。どのような想いを込めて「乗り越え力」というタイトルをつけられたのでしょうか。

奥村:私の前にはこれまでさまざまな壁が立ちはだかってきました。たくさんの病気やケガ。アグレッシブさゆえのチャレンジするときの壁。さらには、20歳の頃からサーフィンをしているのですが、はるか沖からやってくる経験のない巨大な波。

そうした困難に立ち向かうときの意識は共通しています。少しずつ大きな波に立ち向かい、それを乗り越えていくんです。そのための力を「乗り越え力」と名付け、本のタイトルにしました。

――「乗り越え力」のモチーフの中に、ご自身の日課であるサーフィンのイメージが入っていることは一つのポイントだと思います。サーフィンと仕事や人生との共通点はどこにあるのでしょうか。

奥村:サーフボードはスノーボードのように足を固定せずに乗るため、とても不安定なんです。さらに波で不規則に動いている水の上にそれを浮かべるわけですから、さらに不安定さは増します。日によって波のサイズも違うし、風向きや潮の満ち引きによって波の質も変わります。だから「同じ状況で波に乗る」ということが一回もなく、毎回本番のような感じです。

――その不安定性、不規則性が私たちの人生に共通しているわけですね。

奥村:そうなんです。人生も常に本番ですよね。だからいろいろな困難がやってくるわけで、ひたすら頭を使わないといけません。

そうした中で、サーフィンであればまずは小さい波からチャレンジをしていって、どんどん大きい波も乗りこなせるようにしていきます。一方の仕事や人生も小さなチャレンジから始めていって、一つ一つ乗り越えていくことでスキルアップしていくというところは共通していると思います。

――奥村さんはケガや病気などさまざまな困難を乗り越えてきました。その中でも34歳で精巣がんが見つかったことは一つの転機だったと思います。がんが見つかる前と乗り越えてからのご自身でどのような変化がありましたか?

奥村:時間に対する感覚はおおいに変わりました。病気を経て、自分には絶対的に時間がないと感じたんです。まだまだやりたいことがありすぎるのに、このままでは死ねないという思いでした。そして、いずれは死ぬのだからやりたいことは全部やるという生き方を選びました。

それから時間の使い方を徹底的に合理化して、自分のやりたいことを優先するように切り替えたのですが、これがハマりましたね。仕事自体もどんどん楽しくなりました。

――死が先にあることを意識し、やりたいことを優先するようになったというお話は、スティーブ・ジョブズの「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」という言葉にも通じます。

奥村:おっしゃる通りなんですが、それともう一つ自分の中に入ってきた言葉があります。それがマハトマ・ガンジーの「明日死ぬがごとく生きよ、永遠に生きるがごとく学べ」という言葉です。明日死ぬと思うくらい全力で生き、永遠に生き続けようとするくらいに学ぶという、こちらの言葉の方が実感に近かったです。

――がんの手術を受けてから2年後には独立をして自分のビジネスを立ち上げています。それも病気をしたことがきっかけとなっているのですか?

奥村:そうではなく、自分でビジネスを立ち上げることはそれ以前からの目標でした。30歳のときの人事面談資料の目標・夢の欄に「36歳までに社長になる」と記載していたこともあります。

前職ではプログラマーから始まり、システムエンジニア、プロジェクトマネージャー、会社のグループリーダー、グループマネージャーと7年間でどんどん昇進していきました。その中で役割と責任を痛感しながらも、この先のポジション、つまり経営者になったときに見える景色はどんなものなのかという興味を抱いたんです。

――では、最初はその興味から社長を目指すようになったんですね。

奥村:そうです。ビジネスの中身よりも興味が先行していました。そして、起業の2年前に、大きなシステム開発のプロジェクトでチームを組織し、全工程に携わり、無事にリリースできました。このことが、自分なら起業できるという確信につながりました。

今はサーフボードのビジネスを仕掛けようと思っているのですが、そこでは「資本家の目線とはどういうものなのだろう」という興味が沸いています。

――チャレンジをしていく中でどんどん興味の目線が高まっているわけですね。そうした目線の高め方ができる秘訣を教えてください。

奥村:もともと昔から「この人は何を言っているんだ?」と思われるような規模の大きなことを言うタイプだったんです。27歳で工場をやめてIT業界に転職するときも、友人から「今からITは無理じゃないか」と言われましたが、自分としては言ったからには絶対に実現しよう思って、実際に有言実行しました。

大きなことを言うと批判されたりもしますが、その批判には何の生産性もありません。今やりたいことがあったらどんどん言うべきですし、どんどんやっていくことが目線を高めていく秘訣だと思います。

また、もう一つあります。経験した上でそれを発信すると、言葉に重みが出てきます。いわゆる説得力ですね。自分自身、経験がない状態で大きなことを言っていたから冷ややかな目で見られていたのだと思いますが、それを実行することで説得力が増したのだと思います。

――おっしゃる通り、この「乗り越え力」も奥村さんが様々な困難を乗り越えてきたからこそ、説得力があるのだと思います。ただ、そうした振る舞いができるのは、奥村さんご自身のポジティブなパーソナリティが根幹にあるのではないでしょうか。

奥村:それはあるかもしれません。そもそも私は「悩む」ということをほとんどしないんです。困難や壁に立ちふさがれたときに、それが今の自分に解決が難しいのであれば、悩む必要はないと思いますし、解決できる悩みならば、その方法を調べて、知ればいいだけのことだと思います。

――それが本書に書かれている「切り替え力」の根底にあるものですね。

奥村:考えてすぐ答えが出るものは、すぐに回答を出して実行します。一方で考えても答えが出ないものは、その時点ですぐに考えたり、悩んだりすることをやめます。そこで考え込んでしまうのは時間の無駄です。

また、課題や悩みが大きい場合は、それを細分化して、簡単に解決できることを優先して取り組みます。小さく砕けば、解決のスピードも飛躍的に上がりますからね。だから、私は「悩む」という行為をほとんどしないんです。

(後編に続く)

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