8歳の時に世界ジュニア選手権(10歳以下の部)を制し、12歳9カ月という若さで挑んだ2002年の国内ツアー、リゾートトラストレディスで予選通過を果たした。その2年後、中学3年生の時に臨んだゴルフ5レディスでは3位に輝いた。

 そして、2009年にプロ転向すると、21歳だった2011年のフジサンケイレディスクラシックでツアー初優勝を飾った。プロテストで不合格の憂き目にあったこともあるものの、「天才少女」と大きな注目と期待を集め、「ギャルファー」とも「キンクミ」とも呼ばれてきた金田久美子のキャリアは順調で、華々しいものだった。

 だが、ツアー初勝利を挙げて以降、なかなか勝てない日々が続いた。すると、いつしかシード権も失っていた。そうして、彼女は33歳になっていた。

「11年189日」という数字ほど、彼女の苦労を物語るものはない。

 埼玉・武蔵丘GCで開催された樋口久子・三菱電機レディスで、金田は初優勝以来、ツアー施行後最長ブランクとなる11年189日ぶりの通算2勝目を挙げた。金髪に派手なメイクはギャルファーそのものだが、ホールアウト後にあふれ出した涙と彼女の言葉には年輪が感じられるというものだ。

「めっちゃ長かったです。めちゃくちゃ長かった。初優勝の時もやっと勝てたという思いがあったんですけど、あの頃はイケイケでゴルフができていた。今回はピンを狙いたいところでもピンを狙わなかったり、攻めちゃいけないところを攻めたり、落ち着いてジャッジしていた。

 何よりここまでいろんな苦労があったので、すごく重い優勝です。正直、今回のほうが(初優勝より)うれしい」


樋口久子 三菱電機レディスで11年ぶり2度目のツアー優勝を飾った金田久美子

 一番つらかったのは「5、6年前かな」と金田は振り返った。

「ドライバーで、キャリー140ヤードぐらいのチーピンしか出なくなって、どんなに大きなグリーンでも乗せられないし、50cmのパットも入らない時期があった。"こんなに恥ずかしいゴルフならやってもしょうがないかな"と思っていました。

 ゴルフ場に着いたら、涙が出たり、吐いたり。蕁麻疹が体に出たこともあった。自分のメンタルの保ち方が難しくなったけど、また勝ちたかった。その気持ちを忘れなかったのがよかったと思う」

 数年前から腰痛にも苦しみ、昨年は左の足首を捻挫し、以来、負担のかかるフルショットができなくなり、ハーフショットでスコアメイクせざるを得ない日々を送っていた。

 その間、ずっと支えにしてきたのは、熱狂的に応援してくれるファンの存在と、周囲の人々の「大丈夫だよ」の言葉だった。

「私って、もともと不安症なんです。世界ジュニアを5回勝っているんですけど、勝った翌年に行っても『予選通過するかな......』と。自分を不安にさせて、逆に練習するタイプなのかなって自分では分析しているんですけど、自信満々にゴルフをするタイプじゃないですし、みんなが思っているほど、メンタル強くないんです」

 2位に3打差をつけて迎えた最終日は、出入りの激しいゴルフとなり、同組で回る、前週に今季2勝目を挙げた19歳のルーキー・川粼春花に一時、1打差に迫られる苦しい展開となった。

「今日はイーブンで回れば勝てるんじゃないか、と自分のなかで設定していた。相手のスコアは意識しなかったです......いや、少しは『1打差か』と意識することはあったけど(笑)、勝負どころを見極めて自分のスコアメイクに集中できた」

 勝負を決めたのは17番パー4の第2打。ピンまで160ヤードの池越えのショットを1m弱の距離につけて、楽々とバーディーを奪う。川粼との差は2打となり、勝負を決めた。

 ホールアウト後、大会名に自身の名が冠されてもいる樋口久子さん(日本女子プロゴルフ協会元会長)が泣いていた。アマチュア時代から期待を寄せられ、プロになってからは、ロッカールームで「あなた目の周り真っ黒よ」と派手なメイクを叱られたり、髪型を注意されたこともあった。

「アマチュア時代からたくさん試合に出させてもらって、樋口さんには温かいお叱りの言葉をたくさんいただいていた。でも、最近はあまり怒られなくなって、自分のなかでちょっと成長できたのかなと思っていた時に、樋口さんの大会で勝つことができて......変な気持ちですっごいうれしかった(笑)」

 今後も、キンクミらしいスタイルは貫く。

「はい、そこは絶対に。それなりにファッションも楽しんで、ゴルフしたいな。2勝目までが長かった分、早く3勝目を挙げたいです」

 そう言って、涙と爆笑に包まれた感動の会見は終わった。