伊東純也が加入!「スタッド・ランスでブレイクした」世界的選手7名

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日本代表MFの伊東純也が加入することが内定したフランス・リーグアンの古豪スタッド・ランス。

このところは中堅から下位という印象かもしれないが、1950年代から60年代前半にかけては欧州でもトップクラスの実力を誇ったクラブ。そのため今もナントと並び意外に全国的にファンが多いチームだ。

今回はそのスタッド・ランスでチャンスを掴んで世界的選手に成長したという7名のスターを紹介しよう。

ジュスト・フォンテーヌ

スタッド・ランス所属:1956〜1962年

未だに『ワールドカップ1大会での最多得点記録』を保有しているフランス代表の伝説的ストライカー。1958年大会はわずか6試合だったが、その中で13ゴールを決めたというエピソードを持つ。

当時フランス領であったモロッコで生まれアマチュアからサッカーのキャリアを始めた彼は、1956年にスタッド・ランスへと加入。1958-59シーズンにはUEFAチャンピオンズカップで準優勝にも輝き、名実ともに世界最高クラスの点取り屋となった。

残念ながらその後怪我を繰り返してしまったために28歳という若さで現役を引退。指導者としてもフランス代表やパリ・サンジェルマン、モロッコ代表を指揮したものの、1980年に交通事故で離脱してからは現場を離れ、スポーツショップを経営していた。

レイモン・コパ

スタッド・ランス所属:1951〜1956、1959〜1967

ミシェル・プラティニ、ジネディーヌ・ジダンらの前に君臨したフランス代表の「初代将軍」。ポーランド移民の息子として生まれた彼は、子供の頃から炭鉱で働き、その事故で左手の親指と人差し指を失っていたという選手だ。

アンジェでプロキャリアをスタートした後スタッド・ランスへ移籍し、すぐにフランス代表にも定着。そしてスペインでの親善試合で大活躍を見せたことで「小さなナポレオン」と評価され、当時の世界最強クラブであるレアル・マドリーに引き抜かれている。

そして1959年に復帰するも、60年代の中盤にはスタッド・ランスが低迷。コパ自身も怪我に苦しみ、67年に35歳で引退を決断した。その後はスポーツブランドの経営や解説者を務めながら、ドライバーとしてラリーに出場するなど幅広く活躍。2017年に85歳で死去している。

カルロス・ビアンチ

スタッド・ランス所属:1973〜1977、1984〜1985

スタッド・ランス屈指のレジェンドといえるアルゼンチン人ストライカー。ベレス・サルスフィエルドから1973年にスタッド・ランスへと加入し、フランスリーグ初年度から30ゴールを決めて得点王となった。

4シーズンで124試合107ゴールという見事な成績を収めたものの、ランスの財政難の影響によってパリ・サンジェルマンへ移籍。ビアンチ自身は大活躍したものの当時のクラブはあまり強くなかったため、タイトルには恵まれなかった。

1984年には2部で低迷していたランスへ復帰したもののあまり活躍できず引退。そのまま監督に就任し、1988年まで指揮を執っていた。それからニース、ベレス、ローマ、ボカ、アトレティコ・マドリーなどで指揮官を務め、コーチとして大きな成功を収めている。

エドゥアール・メンディ

スタッド・ランス所属:2016〜2019

近年のスタッド・ランスでは「出世頭」といえるエドゥアール・メンディ。2015年に半年間無職の状態だった彼は、マルセイユのBチームを経て2016年に加入。けが人の影響もあって出場機会を獲得し、素晴らしいパフォーマンスを見せてポジションを奪い取った。

2部でシーズン18回のクリーンシートを達成するなど活躍し、チームの優勝&1部昇格に貢献。2019年にはレンヌへとステップアップし、さらに次年度にはチェルシーへと引き抜かれていった。

そして現在もケパ・アリサバラガを相手にナンバーワンのポジションを確保しており、プレミアリーグで活躍中。セネガル代表でもレギュラーを務めている。

アクセル・ディザシ

スタッド・ランス所属:2016〜2020

メンディほど世界的に名を知られてはいないが、現在南野拓実が所属しているモナコのレギュラーとして最終ラインに定着している選手。彼はまさにスタッド・ランスでブレイクを果たしたディフェンダーだ。

もともとはパリFC(パリ・サンジェルマンではない)の下部組織に所属していた選手で、2016年に練習生としてスタッド・ランスへ加入。Bチームでの活躍でトップチームへと引き上げられ、2019-20シーズンについにレギュラーを獲得した。

そして2020年にモナコへと移籍。実績は少なかったもののいきなり副キャプテンを任されるなど重要なセンターバックとなり、最終ラインで欠かせない存在に。

グジェゴシュ・クリホヴィアク

スタッド・ランス所属:2009〜2011、2012〜2014

スタッド・ランスでブレイクした選手といえば、ポーランド代表の大型ボランチであるクリホヴィアクも見逃せない。若い頃から天才と名高い選手だったが、当時所属していたボルドーではほとんど出番がなかった。

2009年に当時3部のスタッド・ランスへ貸し出されるとレギュラーとしてチャンスを与えられ、2部昇格に大きく貢献した。さらにボルドーへの復帰、ナントへのローン移籍を経て、2012年にはスタッド・ランスへ完全移籍で戻っている。

その後リーグアンでの活躍によってさらに評価を高め、2014年にはパリ・サンジェルマンへと引き抜かれている。現在はロシアリーグのクラスノダールからサウジアラビアのアル・シャッバーブにローン移籍中。

シャカ・ティエネ

スタッド・ランス所属:2006〜2007

コートジボワール代表として103試合に出場した名レフティ。彼がプロ選手として台頭したのは、サンテティエンヌからローンで加入したスタッド・ランスでの1年間だった。

2005年からサンテティエンヌに所属していたが出番がなく、2006年に2部のランスへ。そこでレギュラーを獲得し、素晴らしいスピードと攻撃能力を見せつけて評価を高め、復帰後はリーグアンでもポジションを確保した。

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その後ヴァランシエンヌを経てパリ・サンジェルマンへ移籍し、リーグアン優勝も経験している。なお現在はコートジボワール代表のテクニカルスタッフを務めている。