※この記事は2018年04月17日にBLOGOSで公開されたものです

財務事務次官「おっぱい触っていい?」

福田淳一財務事務次官の女性記者へのセクハラが問題になっている。現在発売中の「週刊新潮」が報じたものだが…。

「抱きしめていい?」「おっぱい触っていい?」「キスする?」…。

それにしても、こんな発言なんかしたら一般の会社でも問題になって、問答無用で依願退職にでも追い込まれるに違いない。最近では、日テレ系列の熊本県民テレビの代表取締役社長だった梅原幹(うめはらもとい)氏がセクハラで解任という、まさに前代未聞の出来事が明らかになった。梅原氏といえば、かつて日テレではドラマやバラエティー番組の名物プロデューサーとして業界では知られた人物だった。

そんな時代である。

にも関わらず、財務省のトップにまで上り詰めた百戦錬磨の人物の言動かと思うと、やっぱり理解に苦しむ。

福田氏本人はセクハラを否定しているが、相手は女性記者である。よっぽど、気を許した馴染み深い…お気に入りの女性記者だったのだろう。どっちにしろ脇が甘過ぎる。

もっとも、福田氏の場合、週刊新潮では「被害者の会が出来るんじゃないですか」なんていうコメントまで書かれていた。確かに、こういった卑猥な文言が躊躇することなくポンポンと出てくるあたり、やっぱりセクハラ発言については常習者だと言えそうだ。と言うより、これはもう性癖に近い状態なのだろう。

前述した、熊本県民テレビの社長も女癖が悪く、隙があると口説きまくっていたそうで、後輩には「愛人は10人つくれ」なんて吹聴していたらしい。やっぱりどこの世界も「権力」を持つと人間は変わるのだろう…。

だいたい、福田氏も女性記者の質問には、それなりに答え、その一方でセクハラ発言で迫ってくる。これは、もはや「情報が欲しかったら…」と言う、いわば駆け引きのようなもの。福田氏が使う究極のテクニックなのだろう。

それにしても、事情は違っても元TBSの山口敬之氏によるレイプ疑惑があったり、セクハラでは「#metoo」や「TIME’S UP」キャンペーンが世界的に盛り上がっている中で、こういった言動は、デリカシーがないとか無神経というより社会常識に乏しいと言うしかない。

しかし、こういった福田氏の〝情報〟と言うのは、省内では有名だったはずだが、それでも事務次官に据えてしまうのが、今の官邸の感覚だと言ってもいい。

スター揃いの「花の82年組」

いずれにしても、その福田財務次官の人格を分析するのは容易ではないが、ところが、この福田財務次官と財務省(旧大蔵省)で、1982年の同期入局だったのが〝森友問題〟を演出してきた元国税庁長官の迫田英典氏と前国税庁長官の佐川宣寿氏だという。これも揃いも揃って…と言いたくなる。まさに〝時代の寵児〟のトライアングルである。

それに、財務省で82年の同期入局には、もう1人、片山さつき参院議員がいるが、ただ、これを〝偶然〟と片付けてしまうわけにはいかない。

何と言っても82年が凄いのは芸能界でも立証されている。

小泉今日子、中森明菜、堀ちえみ、石川秀美、それに、歌舞伎俳優の中村橋之助と結婚した三田寛子などデビューしたのが82年だったのだ。この年は、まさに〝アイドル黄金の年〟だった。芸能業界では、この年にデビューしたアイドルを指して〝花の82年組〟と呼んでいるほどだ。

もっとも、このブームがいきなり訪れたわけではない。

80年に芸能界を引退した山口百恵に代わって松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵などのアイドルが生まれたことも大きな弾みになったことは確かだろう。一方で「スター!誕生」(日本テレビ)など、アイドル発掘番組の存在も大きかったかもしれないが、今振り返ると70年代から80年代になって、社会全体の雰囲気が一変しつつあったように思う。CDが初めて発売されたのも82年だった。世の中がアナログからデジタルに変わろうとしていた。そんな変革期に登場してきたのが小泉今日子や中森明菜といったアイドルだったわけだ。

82年と言うのは、そう言った数々の点においてターニングポイントだったのだろう。もちろん、今回の財務省の問題とアイドルを結びつけて語るのは、強引かもしれないし、いささか無理があるかもしれない。が、ある音楽プロデューサー曰く、

「80年代というのは、いわゆるシラケ時代が終わり、世の中的にもどこかチャラチャラしたムードのようなものが出始めたように思う。そう言った中で若者の意識も変わり、仕事も私生活も自分なりの楽しみ方が分かり始めた…。つまり70年代から80年代に変わる分岐点というのが82年だったと言えます。ですから芸能界で言えば、松田聖子やたのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)、さらには三原順子(三原じゅん子)のような個性的なアイドルが登場してブレイクし始め、その一方では中森明菜、小泉今日子らがデビューしたのが82年だったんです」。

こういった傾向は一般社会でも同じだったかもしれない。

この時代、東大に限っていえば、「アイドル同好会」などが活発だったように記憶する。五月祭では〝アイドルコンテスト〟があり、〝東大生が選んだアイドル〟とか言って武田久美子が話題になったりもしていた。本質的に芸能界やアイドルが好きだったのだろう。

そう言えば、その頃の片山さつきは「東大の百恵ちゃん」なんて言われていたらしいし、その後の髪型は「聖子ちゃんカット」だった…。

なるほど、福田氏や迫田、佐川の両氏も個性的な〝花の82年組〟だったわけだ。