「なかったことになってほしくない」~遺品が伝える東日本大震災の痕跡と悲劇 - 渋井哲也
※この記事は2018年04月04日にBLOGOSで公開されたものです
6歳でなくなった愛梨ちゃんの遺品を展示
「人はどうしても忘れる動物です。だからこそ、私たちみたいなものが語らないといけない。でないと、娘のことはなかったことにされてしまいます」
宮城県石巻市の私立日和幼稚園に通っていた園児、佐藤愛梨ちゃん(当時6歳)の遺品が、公益社団法人みらいサポート石巻が運営する「東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館」に展示されている。常設展は今月から始まっているという。母親の美香さんは冒頭のように語り、二度と悲劇が繰り返されないように願っている。
展示されている遺品は、愛梨ちゃんの上靴とクレヨンの2点。日和幼稚園の送迎バスが被災し、その中から見つかった愛梨ちゃんの遺体の側にあったものだ。上靴は、上靴入れの裏地が付着していたために特定された。クレヨンは、入園の年度によってケースの柄が違うために愛梨ちゃんのものだとわかった。
現場では遺品として、他にも「粘土」が見つかっている。上靴とクレヨンがあった場所で一緒に見つかっているため、「愛梨のものだとは思うけれど、粘土には名前が書いてあるわけでもないし、愛梨ちゃんのものと識別できるほどのものはない」(美香さん)という。
「これらの遺品を見てもらうことで、この地域は津波だけでなく、火災が起きたことがわかります。展示をすることで、リアルに伝わると思います。それによって、日和幼稚園で起きたことを知ってもらうきっかけになればいい」(同)
日和幼稚園は日和山(61.3メートル)の中腹にある。園内に待機するか、避難するとしても、日和山の山頂へ向かえば事故は防げたはずだった。ふもとにあった門脇小学校の校舎は津波と火災の被害にあった。しかし、教員の指示により、学校にいた児童たちは日和山に避難し、無事だった。
一方、日和幼稚園では悲劇が起きた。遺族が幼稚園を相手に起こした裁判の一審判決や遺族の説明によると、震災発生時、園では園児をバスに乗せ、津波警報が出ているなかで、海側に向かってしまう。愛梨ちゃんの乗るバスは、本来、内陸に向かう便のはずだった。
しかし、この日、愛梨ちゃんを含めて内陸に向かう便に乗るはずだった園児たちは、海側に向かう便に乗せられていた。バスの定員によっては一緒に乗ることになっているという園の“ルール”を保護者は知らされていなかった。
園のバスには12人の園児が乗っていた。途中、親が迎えに来たり、降車させたりし、門脇小学校に停車した時点で7人だったという。そこに、「バスを上げろ」と園長から指示を受けた幼稚園教諭2人が追いつく。しかし、指示は伝えたものの、バスは園児を乗せたまま、動き、被災現場付近まで行き、そこで園児2人を下ろしている。そして津波がくる中、運転手は園児5人と添乗員を残して、園に戻った。運転手は園に戻ったものの、園長との間で、添乗員や園児の話にはなってない。
園側は残された添乗員や園児たちの捜索はしていない。震災3日後、遺族たちが自らの子どもを発見した。愛梨ちゃんの遺体は車外の瓦礫の中にあった。火災の影響で焦げていた。誰かは判別できないが、ジャンパーの生地が肩に付着していたためにわかったという。抱き上げるが、壊れてしまいそうだった。
「震災の報道は少なくなっている」
その後、避難をめぐっては遺族と園は裁判になった。一審の仙台地裁(斉木教朗裁判長)では勝訴した。園側が控訴し、仙台高裁(中西茂裁判長)では和解となった。その中には、「幼稚園側は法的責任を認め、被災園児らと遺族側を含む家族に心から謝罪する」ともあった。たしかに、文面上では謝罪したことで法的には終わりだ。しかし、「心のからの謝罪」とあるため、遺族としては線香をあげにくることくらいは想像していたが、いまだに園側にそうした動きはない。
取材されることも減って来たという。
「被災三県(岩手、宮城、福島)以外では、東日本大震災の報道は少なくなっています。それは理解できなくはないのですが、忘れて欲しくはないです。忘れられることがないように、日々、発信することが必要なんだと思います。そして教訓として思ってくれれば幸いです」
幼稚園バスが被災したのは、日和山のふもとで、もう少しで津波浸水エリアではなくなるところだった。少しの差で生死が分かれた。震災直後は、ここで多くの車が火災で焼かれていた。その後、現場には花が置かれているのをよく目にした。現在は、土地区画整理事業によって、新しい地域が作られている。海岸線と内陸の盛り土道路が二重の壁になり、防潮堤となる。近くにある災害公営住宅が整備されて、入居が始まっている。
「2020年に祈念公園が完成する予定です。目に見えるものは変わっていくのです。そして、震災の記憶は薄れ、伝えていくものはだんだんなくなっていきます。ただ、震災を経験した私たちには記憶があります。今から生まれてくる子どものためにも、どう伝えていくのかが課題になって起きます。伝える人がいなくなったとき、津波が起きたこと自体が忘れられるかもしれません。東日本大震災が起きたから、今回だって、以前の津波を忘れられていました」
被災地にはまだ津波の痕跡がある地域がある。震災から7年経つが、その脅威を目にすることができる。しかし、時間が経てば、整備されて、痕跡も少なくなっていく。愛梨ちゃんの遺品は、痕跡を目にすることがなくなっても、悲劇を後世に語り継いでいく。