ルポ・生きづらさを感じる人々14 「死ぬとしたら一人で....」 両親の離婚、転校、いじめ、不登校を経験する中で感じたもの~花梨の場合 - 渋井哲也
※この記事は2018年02月26日にBLOGOSで公開されたものです
「(座間市の死体遺棄事件は)話題にならなくなりましたが、今はツイッターで(「#死にたい」が)どうなっているのか調べてみると、荒れていました。私は(心中相手を)募集するつもりはありませんが、自殺願望はあります。なぜ募集しないか。それは人間が好きじゃないから。誰かと一緒に、は考えられません。死ぬとしたら、迷惑をかけずに、自分だけで...」
そう語るのは関東地方に住む花梨(20)だ。自殺願望を語る人の中に、座間市男女9人死体遺棄事件で「10人目になりたかった」という人もいる。それは、この連載でも取り上げてきた。しかし、花梨のように「死ぬときは一人で」と考える人もいる。「死にたい」と思っていても、考える“結末”は多様だ。
やはり「一人で」と考える別の自殺願望者は「自殺は自分のタイミングでしたい。殺されて死ぬのは相手のタイミング」と話していた。こうした発言は、事件の被害者や10人目になりたい人たちとの違いが明確にわかる内容だと感じていた。花梨の場合の、「誰かと一緒は嫌だ」というのは人間嫌いを端的に表現している。
転校を繰り返し、勉強ができなくなる
花梨が最初に「死にたい」と考えたのは小学校のころだったという。いじめを受けており、当初は「学校を休みたい」という気持ちとほぼ同じで、「死にたい」という願望を、はっきりと自覚したことはなかった。いじめの原因ははっきりしないが、小学校を転校し、それぞれの学校で進度が違うために、勉強を理解できないでいたことも一因のようだ。
「最初は算数が得意だったんですけど、だんだんできなくなっていきました」
加えて、小学校高学年から中学まで学級崩壊を起こしたようなクラスだった。授業を受けることもままならない。ストレスを感じ、太っていった。そしていじめを受けた。教師は、教科書に落書きをすると怒鳴り散らし、花梨だけが、その対象になった、という。
「先生はきっと、見た目で決めていたんだと思う」
これが事実ならば、不適切な指導がストレスのたまる原因になったのだろう。
不登校になるが、行き渋りは幼稚園のころから
実際に教師が見た目で行動を決めていたのかは、不明だが、少なくとも花梨にはそう見えていた。その教師の授業を受ける気がせず、成績はボロボロになり、不登校となった。
ただ、不登校はそのときが初めてではない。
「幼稚園の頃から行き渋りがありました。休み癖もあったんです。小学校3年の転校の初日、ボロボロにいじめられました。無理やり土下座させられたんです。苦手な教科のテストがあり、恥をかきたくないので、前の子の答案用紙をみてしまったんです。それを横の男の子が見ていました。きっとそれが広まったんでしょう」
小学校4年の夏にも転校をした。転校先は地方だった。その地域の小学校は2校あった。一つは荒れている学校、もう一つは比較的安定した学校だった。花梨は、後者の安定した学校を選ぶが、ここでもいじめられ、不登校気味となる。
「死にたい」感覚を知ったきっかけは?
「小学校3年のころは『死にたい』という感覚を(言葉としては)知りませんでした。4年のころからだんだんと『死にたい』と思っていったんでしょうね。言葉を覚えた経緯は覚えていませんが、沸々と気持ちが湧いてきました。勉強する気が起きませんでした。塾に通わされましたが、同じで、やる気は出ませんでした」
話を聞いていると、この頃の花梨はうつの傾向があるようにも思える。転校といじめによるストレスがあったためだろうか。
ところで、「死にたい」という言葉を知った経緯は、もしかすると、インターネットだったかもしれないと振り返る。小4でパソコンを与えられた花梨は、このころ「自殺系サイト」が流行っていたことを覚えている。
花梨が10歳の頃は2007年。当時は、「自殺系サイト殺人事件」が起き、話題となっていた。自殺願望のある1人の女性と2人の男性が殺害された事件だ。こうしたニュースを当時、見ていたのかもしれない。
「お母さんが浮気した」離婚の理由を父から聞かされる
度重なる引越しと転校。それはようやく安定しそうな場所や人間関係を失うことも意味していた。なぜ、繰り返されたのか。その意味を花梨は小学校6年生のときに知ることになる。
「両親は離婚をしていたのですが、父から、離婚の原因は『母の浮気だった』と聞かされました。祖母が結婚を急かせて、なんとなく結婚することになったのですが、その後、相性が合わず、離婚したというのです。それを父が高速道路を運転する車内で聞かされました。私は放心状態でした。それを聞いて、母親が悪いと思いましたが、父親にも問題があります。『甘えるな』とよく言い、一切、褒めません。平気でセクハラ発言をします。浮気されても仕方がないと思いましたが、呆然としていました。ショックだったのか、この頃から急速に病んでいきました」
中学に進学したが、そこも荒れていた。小学校の時に避けた、もう一つの荒れた学校と一緒になったからだ。最初は荒れていなかった子たちも、次第に感化されていった、という。
「学校では物が盗まれ、靴は隠された。罵声を浴びせられることは日常で、授業にならないほど学級崩壊していました。廊下ではヤンキーがゲリラ的にきて、暴れて、帰っていきました。まるで動物園状態。この頃、ストレスで体重が100キロ近くになっていたんです。親は親で料理は作るんですが、残すと怒られるので、食べざるを得なかったということもあります。だからニキビもひどい。吐いたときもありました。この頃は毎日泣いていました」
恋愛禁止の部活。居場所にするために恋愛を利用
勉強ができずにいた花梨は、高校は、いわゆる教育困難校に進学する。不登校の子でも受け入れてくれたからだ。しかし、この学校も荒れていた。居場所を求めてなのか、部活にいくつも入ることになる。
「軽音部にも入りました。部員は問題がある人ばかり。恋愛禁止にもかかわらず、恋愛でドロドロしていました。私も本気で好きじゃない人と付き合いましたが、その輪の中に入れればいいと、手段として恋愛を使いました。そんななかで、一人の女子部員が彼氏を取っ替え引っ替えでした。だからでしょうか、楽器もうまくならない。音楽が嫌いになりました」
秋頃になると、軽音部をやめて美術部に入った。また、運動部である柔道部にも入ることもした。
「小学校のころからイラストを描くのが好きだったので、なんとなく入りました。柔道部も人出が足りないというので...。筋トレだけしたかったんです。だから大会には出ませんでした」
こうした学校生活を通じて、花梨はますます、人間が嫌いになっていく。
「ノリがよければいいという感じなんですが、結局、現実から目をそらしているだけではないでしょうか。冷め切ってしまいました。学校は殺伐としていました」
初めての自傷行為は小学校2年。文房具で痛めつけた
花梨が初めて自傷行為をしたのは小学校2年生だったという。最初は文房具で痛めつけていたが、リストカットをするようになっていく。ピークは中学2年生のときだ。
「自傷のことを知ったのはテレビだったか、インターネットの自殺系サイトの影響だったのか。今となってはなんとも言えません。覚えていません。人前で切ろうとしたことも何度もありました。中学のときは、それで親が何度も呼び出されていました。中2のころには首絞めをしていました。今はもうしていませんが、定期的に不安定になります」
このほか、飛び降りようとしたことも何度もあった。結局、ぶつかる先がなく、物に当たることが多かった。
「今はマシになりました。だから、いろいろと思い出せないことがあります。ただ、睡眠不足ですし、SNS疲れも感じています。SNSを見ていると、みんなの心に余裕がないですよね。タイムラインを読むと、余裕がないときには、弱いものに矛先が向くんです。『お前は甘ったれ』」だと。そんなのをずっと見ていたら、気が狂います」
東日本大震災が発生し、世界が「終わるかな?」と感じた
当時は中2で、進路について親にいろいろと責められていた。不登校だったために、フリースクールという選択もあったが、結局、別室登校を選択していた。パソコン教室の隣という気が休まらない環境での勉強だった。
2011年3月11日。午前中は病院に行っており、午後には自宅に戻った。その日の午後2時46分。東日本大震災が起きる。目の前にあるCDラックが崩れた。
「死にたいと思っていたときに地震があったので、(世界が)終わるかなとも思っていました。マジでやばいと思ったんです」
“世界”が終わったと感じたのは花梨だけではない。死にたいと感じていた若者たちのなかにも「終わった」、むしろ「終わってほしい」と感じていた人は少なからずいた。ただ、多くの死者・行方不明者は出したものの、“世界”は終わらずに、むしろ、復旧・復興という名目で走っていく。花梨の「死にたい」という感情とは裏腹だ。
いまを生きる理由はソーシャルゲーム
それでも、今の花梨には「生きている理由」があるという。それはソーシャルゲームだ。自らも「ソシャゲ中毒」と言うように、ソーシャルゲームに時間を費やしている。同じゲームに4年間、ハマっている、という。
「4年間で15万円をつぎ込んでいます。1年で4万円弱。働いていれば問題ない額ですが、ひきこもりで働いていないから問題があります。だた、希望をもらっています。依存だけど、不幸にもなっていません。人に物理的に依存するよりはいい。ゲームが好きというよりは、登場するキャラクターが好きです。ストーリー性があって飽きさせないです。一時期、働きたいという意欲が出たのもソシャゲのおかげです。今だって、働きたい。人と争う高揚感があります。順位が付けられて、他人を超えていくのは自己満足です」
そんな花梨は取材の最後にこう言った。
「楽しいことがあれば、生きていたいです。でも、どうすればいいのか、わからないんです」