※この記事は2017年04月28日にBLOGOSで公開されたものです

NPO法人「暮らしのグリーフサポートみなと」の講座が4月16、23日に開かれた。グリーフというのは、大切なもの(者・物)をなくしたときに生じるすべての感情で、日本語では「悲嘆」と訳すことが多いが、ほかにも「安堵」や「怒り」などの感情も含まれる。講座は、周囲の人たちがグリーフを体験したときにどう接していくかを考える場だ。代表は、長男(享年13)を自殺で亡くしている森美加さん(46)。その思いを聞いた。

長男をいじめ自殺で亡くす

この日の講座では雑誌に載っている写真や文字を切り抜いて、参加者自身のグリーフを思い浮かべ、画用紙に並べる作業をしていた。森さんは、青い海の写真を切り抜いて貼り付けた。

「青い海や旅は自分自身のグリーフを癒す場です。それに、息子は飛行機に乗らずになくなったという思いもあります。生きていればいろんなところに旅ができたのに、と旅をすると思ったりします」

飛行機に乗れば、亡き息子さんも青い海を見ることができたはず、という思いがある。森さんは10年ほど前、中学生だった長男を自殺で亡くした。いじめがきっかけの自殺だった。その当時、トイレでズボンを脱がされたのだ。

「それまで長男へのいじめのことは知りませんでした。主に言葉の暴力だったようですが、自殺当日、致命的な出来事がありました。息子は『死んでやる』と言ったそうですが、同級生にトイレで囲まれ、『こいつ死ぬんだって。最後だからズボンを脱がせよう。明日は来るなよ』と言われたのです。いつもは息子が先に帰るのですが、その日はまだ帰宅していませんでした。心配になって、ゲームセンターなどを探しました。同級生に電話すると、『死んでやる」』と言っていたことがわかりました」

結局、自宅の納屋で長男は自殺した。それを義父が発見した。そばにはいじめを示唆する遺書があった。10年前というと、いじめ自殺が相次いでいた時期であり、文部科学省が「いじめ」の定義を見直すきっかけとなった。

それまで文科省の「いじめ」を以下のように定義していた。

1)自分より弱い者に対して一方的に
2)身体的・心理的な攻撃を連続的に加え、
3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

だった。しかし、06年から以下のように変更された。

 「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない」

当時は第一次安倍政権。伊吹文明文科大臣(当時)に自殺予告の手紙が送られるなど、社会問題となっていた。

 「辛いことがあっても話さない子でした。部活動で鍛えられていたためもあってか、我慢しないといけないと考えていたのでしょう。息子が亡くなった原因は何かを私は知りたいと思いました。真実を知れば、苦しみや悲しみから逃れられると思ったのです。知らなければ、先に進めないと思っていました」

調査委では真実はわからなかった。遺族へのケアは?

当時、学校側は、亡くなった長男の同級生にカウンセリングをしていたという。しかし、遺族側は、要望しないとカウンセリングが受けられなかった。とくに、次男(当時小6)と三男(当時小4)は、長男が心肺蘇生をされているときに帰宅して来た。二人の子どもにとっては衝撃的な場面を目撃したことになる。

「2人とも学校に行けませんでした。そのため、担任にカウンセリングを要望しました。ただ、2人とも友達には恵まれていて、毎日のように同級生が家に来てくれていました」

森さん自身はどうか。気分がずっと高揚していて、フラッシュバックや不眠で悩んでいた。精神科にも行った。しかし、当時は「精神科の薬に依存してはいけないのでないか。早く社会に復帰しないといけない」と思っていた。周囲からも「あなたが元気じゃないとどうするの?」と言われていた。また、自殺の原因を誰かの責任にしたいという周囲の目があった。その中には、「母親が悪いのでは?」という声さえもあった。

「周囲は誰かの責任にしたがっていた。もちろん、私の責任もゼロじゃない。でも、子どもを亡くした悲しみを理解してもらいたい。共感してもらいたいと思っていました。自分がケアされたいと思いましたが、家に帰るときは、元気でないといけない。悲しみを抱えてはいけないと思い続けました。逃げ場がなかったんです」

行政側が設置した、いじめについての調査委員会には遺族側の推薦者はメンバーに入れなかった。自殺との因果関係については「いじめが大きな要因の一つ」とするだけで、具体的な内容はわからず、真実は見えないままに終わった。

裁判をする選択もあったが、これ以上、真実はわからないと思い、裁判はしなかった。一方、「何かを伝えたい」と思った森さんは、いじめ自殺に関する講演をするようになった。しかし、経験を話すと、帰りは孤独になった。喪失感が出て来たのだ。

「そうした感情は1人では抱えきれません。そのため、当面話さないでおこう」

森さんは決めた。

相談業務で抱いた共感 「もし生きていれば...」

2011年、森さんは上京した。知らない土地で知らない人と人生をやり直したいと考えたのだ。福祉関係の資格を取得しようと勉強を始め、ケアマネージャーの資格を取り、地域包括支援センターで相談業務に取り組むようになった。そして、そのときに忘れられない出来事に遭遇する。

末期癌の男性の具合が悪くなった際に、救急車を要請したが、男性は当初拒否をした。退院した後に、拒否した理由について話をする機会があった。男性はこう言ったという。

「実は、妻が3年前に他界したんです。そのとき、救急車を拒否したのは、妻の墓参りに行きたかったから。妻が好きだった車に乗って行きたかった。だから拒否したんです」

そして、こうも言った。

「同じ世代の夫婦を見ると、涙が出る。妻が生きていれば、仲のよい夫婦だったんだろうな」

森さんはその言葉に共感した。息子を亡くしているが、高校に入学する時期や成人式の時期は、やはり、「生きていれば....」と思っていたという。そして、男性の話を2時間聞いた。本来の仕事であれば、介護の課題やニーズを把握しないといけないのだが、できなかった。しかし、「話を聞いてくれてありがとう」と男性は言った。

「専門職として課題やニーズを把握しているつもりだった。こういう話ができる場所があるんだろうか」

遺族は、励ましの言葉に傷つくこともある

亡くなった長男への思いを話したいと考え、森さんはインターネットで検索した。すると、「グリーフサポートせたがや」がヒットした。言える場所をみつかた。親として、自分の子育てを振り返ることができた。自分が悲しいとき、周囲にどうあってほしかったのか。また、残された二人の子どものグリーフについても考えるようになった。

さらに、地域福祉の専門家と出会うようになって、地域に根ざすことの大切さを知った。そのため、「暮らしとグリーフサポートみなと」を設立させた。遺族は、周囲から「あなたが元気を出さないとだめじゃない」などと声をかけるが、励ましているようで実は傷ついていることがある。そのため、地域に喪失を抱えている人がいたら、どう接すべきかを学ぶ場があるとよいと考えた。

「喪失を抱えている人がいくつも電車を乗り換えるのは苦しいケースもある。逆に、住んでいる地域では話せない場合もある。そのため。気軽に行ける場所にあったほうがいい。港区にグリーフサポートの団体が他にあっても作ってたと思います。選択肢は何個あってもいい」

ちなみに、いじめ対策推進法は、11年の滋賀県大津市のいじめ自殺を機に、与野党の議員立法で12年6月に成立した。この法律で「いじめ」は06年の定義変更を参考にしている。いじめによって自殺や不登校が起きた場合、調査委員会が設置される。附則では、3年をめどに改正を含めた見直しがされることになっている。しかし、調査のプロセスを知る権利など、遺族側の思いを届かせるのはいたっていない。